旅のウンチク

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スーパーカブで旅するタイ北部Day5=苦難の道のりと記憶喪失

2015年12月08日 | 旅の風景
11月25日

 今日のコースも走行距離は短いので気持ちに余裕があります。街へ出てゆったり朝食をとり、ゲストハウスでコーヒーを。ここのコーヒー、なぜかかなり濃くいれる独特のレシピでめざましにはピッタリです。

 昨日洗濯した着衣は残念ながら乾いておらず着替えのない私は濡れたシャツを着用して出発です。ここは町を出る分岐が少しわかりにくいので街を出て展望台で休憩するまで私が先頭を案内し、そこからは先頭を交代しました。

 メインルートを外れてメコン河沿いの地方道へ出たところで道路工事のため路面がダートに変わりました。オフロードバイクでないスーパーカブでは少し走りにくいのですが、それでも実用車の強み。それなりに走る事ができます。少し走ったところで先を走るお客様のバイクに異変が。どうやら後輪がパンクしてしまったようです。

 バイクショップに勤務経験がある私にとってパンク修理はお手のものですが、パンク修理道具を積んで走るのはこの旅ではコンセプトに合わないので準備していません。まず、お客様のバイクの荷物をすべて私のバイクに積み替えて軽くして、この先へ進むか、後退するか考えますがどう考えても戻った方が修理できる所は近そうです。

 周囲を見回しながらゆっくり走って修理できる所を探します。思いのほかすぐにガソリンスタンドを発見。ここは何度も通っているのに、こんなところにガソリンスタンドがあるとはまったく気が付きませんでした。
 
 ところが、このガソリンスタンドなぜか無人。しばらくすると横の家屋から人が出てきたのですが、パンク修理できないとのこと。もう少し戻った左側に修理できるとことが有るとの事で、またゆっくり走りながら探します。民家かと思った建物の1軒、ふと中を見るとカブのホイールがいくつか壁に飾られています。無事、バイクショップを発見。どこへ行っても修理してもらえるのがタイにおけるカブの最大の強みであります。
 
 片田舎のバイクショップの事。当然英語は通じないですが、パンクしたタイヤを見せれば一目瞭然。慣れた手つきで手際よくチューブを引き出し、交換してくれました。

 修理を終えて再スタート。道路は工事でしばらくダート。ペースは上がらず思いのほか今日の予定はずれ込みそうです。ようやく舗装道路に出て少しペースが上がったところで、どういうわけかチェンセンへの道路がバリケードで直進できなくなっていました。バリケードを迂回してその先へ進むと、川に渡した橋が落ちていて復旧工事中。このために塞いであったようです。迂回ルートを探してようやくチェンセンについたのは昼を過ぎていて、今までで一番遅い時間、今までにない苦難の道のりです。

 チェンセンの街もお祭りのために道路に多くの露店が出ていて、道路が一部通行止め。昼食をとったあと、う回路を探りながらゴールデントライアングルへ向かいます。

 ゴールデントライアングルではボートをチャーターしてラオス領のドンサオ村へ。ここは最初に訪れた頃にはタイと比べて物価がとても安かったのですがその後、どんどん物価が上がってしまって、実質的にお土産物屋さんしかないこの島の魅力を失わせる結果となっていました。ラオスへの入国が容易になった今、おそらく存在理由がなくなりつつあるのか、最盛期からは見る影もなく、お土産物屋もシャッター街になってしまっています。お店の人たちも私たちが通りかかっても興味も内容でトランプに熱中しています。

 ふと見るとラオビールが売られています。試しに値段を聞いてみると40バーツとのこと。今年9月のタイ&ラオス路線バスの旅では、ルアンパバンのゲストハウスで同じ缶ビールが90バーツの根をつけていたことを思い出すとラオス内としては格安です。ドンサオ村の物価はルアンパバンには抜かれたようです。



 がんばれドンサオ村。

 予定は大幅に遅れたもののルートが短いことに助けられて午後遅くにはメーサイに到着。ここもロイクラトーンのお祭りでパレードが行われていました。パレードの隙間を縫って走り、いつも泊まるバンブーハウスへ行ってみたものの、レセプションが撤去されていて、入り口も無人。閉まっているように見えます。仕方ないのでさらに先へ進んで試しに入った安宿は、1部屋150Bでホットシャワーも使える格安ぶり。ただ、部屋が狭いので2部屋にしようとしたところ1部屋のホットシャワーが壊れていたので100Bに負けてくれました。2部屋250Bはバンブーハウスの1部屋分。

 サッとシャワーを浴び、国境を見に行って夕食へ。屋台で食事をしながらビールを飲んで灯篭流しを見に行きました。ミャンマーとの国境を形成するそれほど広くない川にひしめくように人が集まって灯篭を流したり、生きた子亀や小魚を放流したりしています。

 ぶらぶらと歩きながら”もう少し飲んでいきますか”と見つけたお店に入ってみます。すでに地元の人たちが陽気に酔っぱらっています。ビールを少し飲んで、”何か軽くつまみましょうか”と串焼きを注文しに行って席へ帰ろうとしたら奥で盛り上がっている地元の人たちが少し遠慮がちに”こっちへおいでよ”と手招きしています。遠慮なく招かれたテーブルに行くと”こいつほんとに来ちゃったよ”といったリアクションとともに”飲めよ””食べろよ”という話。言われるがままにグラスを手に取って”チョックディー”とグラスを上げると、彼らも一安心したらしく、”もっと飲め””もっと食べろ”と大はしゃぎです。



 離れた席にビールとグラスを取りに行って、お客様も”彼らと一緒に飲みましょう”と声をかけて地元の宴席へもどりました。その後、もう1本ウイスキーの封が切られた事と、”日本人の負担は1人100バーツ”と言われて支払ったあたりまでの出来事と、やたらと”○X△ですかぁ”とよくわからない日本語を連発する人がいたこと、やたらと歌がうまい女性がいたこと、めったやたらと爆竹をあちこちに投げる男性がいたこと、横浜に友達がいるという男性がいた事までは記憶があるのですがその後の記憶がプッツリ消滅。人生で初めてお酒を飲んで記憶を失ったのでありました。

 後日、チェンマイでその話をしていたら、そのとき飲んでいた”タイガーウイスキー”はミャンマーのお酒らしく”すごく強い””アンタライ(危険)”との事でした。


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