ドリルのあな

ほんの小さな喜びと
ほんの小さな幸せ感じていれば
やがてそれは希望になる
歩いてゆこう!どこまでも!!

相撲と言えば千代の富士。横綱と言えば千代の富士。

2016-08-07 22:02:44 | 相撲


ども。8月ですよ。暑い日が続きますねぇ。(・_・;
こまめに水分補給は欠かせませんぜ。
暑中お見舞い申し上げます。
真夏の空とタスィ兄さんです。


名古屋場所が終わって、稀勢の里の潜伏確変状態がいつまで続くかが焦点となる中、
先週日曜日に飛び込んできた訃報ですよ。


あの千代の富士が…。(・_・;


私らの世代にとっちゃあ、憧れのヒーローでしたよ。
私が相撲にどっぷりハマったのは「若貴ブーム」以降ですが、
「相撲と言えば千代の富士。横綱と言えば千代の富士。」だったのです。
何やかんや言うて、相撲を見るキッカケは間違いなく千代の富士でしたもんね。


小さな体で巨大な小錦をぶん投げてた姿が忘れられんとです。(T_T)
大きな相手をことごとくねじ伏せる姿が、とてもカッコ良かったとです。(T_T)


昭和56年に関脇で初優勝してから一気に横綱まで駆け上がり、
いわゆる「ウルフフィーバー」を巻き起こし、
北の湖をはじめ、若乃花(2代目)、隆の里、双羽黒、大乃国、旭富士の歴代の横綱に、
琴風、若島津、北天佑、朝潮から小錦、霧島へと続く大関陣との熱戦を繰り広げたのだ。
両国国技館と九州場所には滅法強く、昭和63年には53連勝を打ち立て、
通算勝利数1045勝に幕内優勝31回、そして角界初の国民栄誉賞授賞など、
輝かしい功績を残した「昭和の大横綱」だったのです。


そして忘れられないのが平成3年夏場所初日の貴花田戦。
あの時は当時18歳の貴花田が千代の富士に勝つなんて、想像だにしてなかったもんね。
あくまで「千代の富士にどこまで通用するのか。」だったですよ。
いざ蓋を開けてみると貴花田の寄り切り。


アレは衝撃やった!(;゜0゜)


それから2日後、貴闘力に敗れて引退となりましたが、
「体力の限界!(T_T)」はあまりにも有名で、ちょくちょくブログにも使わせて貰いました(汗)。(^_^;)


引退後は「千代の富士親方」にはならず、九重部屋を継承して、
大関千代大海をはじめとする関取を数多く輩出し、
弟子の育成においても優れた手腕を発揮したのだ。


あと、「九重理事長」を見てみたかったですね…。61歳は早いですよ。
昨年の北の湖前理事長しかり、「昭和の大横綱」が続けて亡くなるのは寂しいものがありますね。


謹んでご冥福をお祈りします。m(_ _)m


秋場所はどんな展開が待っているのか。
天国からでも「強い者と稽古しろ!」「ケガは徹底的に治せ!」と言っていることでしょう。
照ノ富士と遠藤は考えたがええで、休むも勇気がいるけど…。(・_・;


ほいぢゃ、今日は是れにて。
ではでは。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする