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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

没落した古伊万里

2019年06月19日 14時58分50秒 | 古伊万里

 我が家に、古伊万里の「染付蛇の目傘文楕円形皿」と「染付蛇の目傘文盃」があります。

 「染付蛇の目傘文楕円形皿」は、昭和59年に東京で買ったものです。

表面 (長径:15.9cm 高さ:2.7cm)

 

裏面  (高台径:6.5cm)

 

 この皿は、我が家では、通常は、額に入れ、壁にかけて飾っています。

 もっとも、買ってきた時点で既に額に入っていたものですから、そのまま飾っているにすぎませんが、、、。

我が家での通常の状態

 

 ところで、この皿の類品は、栗田美術館にもあり、以前は、本館の入口を入って直ぐの、大きな展示室への入り口のところに、やはり、額に入れて飾ってありました。

 故栗田館長さんがその皿を好きだったものですから、別格扱いだったんです。

 下の写真は、栗田美術館所蔵の皿です。「伊万里・鍋島」(財団法人栗田美術館が1985年に作成した図録)から転載しました。

伊万里染付傘形皿 h2.7cm  d16.5cm   宝永、正徳(1704ー15年)

 

 栗田美術館の物が、傘の柄の根元部分が白抜きになっているだけで、我が家の物とほとんど同じです。

 ただ、栗田美術館では、この皿の製作年代を宝永、正徳(1704ー15年)としていますが、私は、宝永、正徳(1704ー15年)はないんじゃないかな~、もっと若いんじゃないかな~、江戸後期じゃないかな~とは思ってはいましたが、ほとんど同じであることは否定できません。

 私は、この皿を、苦労して、やっとの思いで入手したこともあり、有頂天になり、入手した当座は、周りのコレクターに、「この皿は、栗田美術館の看板古伊万里の一つと同じなんだよ!」と吹聴し、自慢してみせびらかしたものです(^^;

 お陰で、私は、周りのコレクターから、「栗田美術館の看板古伊万里の一つと同じ物を持っている者」として、一目置かれるようになりました。

 

 その後、十数年が経った平成10年のこと、今度は、やはり、東京で、「染付蛇の目傘文盃」を買いました。

立てたところ( 口径:4.6cm 高さ:4.5cm)

 

伏せたところ

 

 この盃を入手した当座は、皿と対になったものですから喜びもひとしおで、「陶説」(日本陶磁協会の月刊機関誌)に投稿したり、ホームページで紹介したりしたものです(^-^;

  しかしね~、栄枯盛衰というものは、こんな古伊万里の世界にもやってくるんですね~(-_-;)

 平成8年に栗田館長さんが亡くなり、この皿の最大の庇護者がいなくなりました。そうしましたら、この皿の製作年代は江戸後期に引き下げられ(詳細年、元号は忘れました)、それまで置かれていた場所も、栗田美術館での特等席の本館の入口を入って直ぐの、大きな展示室への入り口のところから外され、一般の展示ケースの隅のほうに押しやられてしまいました。

 それまで置かれていた場所には、故栗田館長さんの大きな全身像の写真が飾られています。やはり、ここは、栗田美術館での特等席だったんですね。

 現在は、この皿は額から外され、その後、どこから見つけてきたのか、我が家にあるような「染付蛇の目傘文盃」とともに、下の写真のような状態で、一般の展示ケースの隅のほうに展示してあります。

 

 栗田美術館での実際の盃の展示は、立ててあるのか伏せてあるのか、忘れました。

 

 

 おまけ(皿と盃を伏せたところ)

 

  やはり、この皿は、一般的なガラスの入った展示ケースの中ではなく、別途、額に入れて壁面に飾るべきですね。そのほうが、この皿の格が上がるように思います。

 皿と盃を組み合わせて展示すべきではないように思います。それでは、美術品ではなく、食器に成り下がりますから。

 この皿も、落ちるに落ちたものです。庇護者がいなくなると、そんな運命をたどるんですね。何やら、人間世界を連想させますね。

 もっとも、この皿、本来、美術品としての実力がなかったんでしょう。 この皿を愛した人間に振り回されたということでしょうか、、、、、。

 

製作年代:皿、盃とも江戸時代後期