文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

偉大なる先人・杉浦茂へのオマージュ『おでんクシの助』

2020-09-07 22:44:27 | 第4章

珍道中物は、赤塚にとって、自作に取り込みやすい格好のテーマだったのだろうか。

『風のカラッペ』の布石とも言うべき、日常を異化した放浪型コメディーを先行して二タイトル、「週刊少年キング」誌上にて執筆する。

1968年のお正月号(2・3号)の特別読み切りとして発表された『おでんクシの助』は、おでん串型の槍を片手に日本全国武者修行の旅を続ける足軽くんの活躍を綴った股旅物で、杉浦茂的世界観のとぼけた味わいを、現代のギャグ的視点に特化して笑い飛ばすパロディックな遊び心が、誌面一杯に注がれた実験応用作だ。

杉浦作品の人気者・ドロンちび丸や猿飛佐助を彷彿とさせるキャラクターメイクが施された足軽くんは、後に『天才バカボン』で圧倒的な存在感を際立たせるレレレのおじさんよりも、一足早く杉浦的センスにアプローチしたオマージュキャラクターと言えるだろう。

1960年代に入ると、漫画文化の急激な進化と発展に伴い、旧世代の漫画家の多くは、ことごとく淘汰され、コミックシーンの第一線から離脱してゆく……。

それは、赤塚がリスペクトする杉浦茂も例外ではなかった。

そんな一抹の寂しさからか、赤塚の意識に、戦後ナンセンス漫画の原点でもある杉浦作品の面白さを、現代の子供達に伝承したいという想いが芽生えたのかも知れない。

それを証拠付けるかのように、ファンクラブ会報誌『おそ松くんブック』の発展形である新書版型の小冊子「まんが№1」(全7号/67年~68年発行)を、フジオ・プロが刊行した際、赤塚は杉浦に執筆を依頼し、『ミフネさん』(第3号)、『バイトくん』(第5号)といった杉浦漫画の新作を掲載させたこともあった。

山賊に拐われたお姫様を救うべく地獄の死(四)丁目へと向かう足軽くんと、回転するプロペラちょんまげを頭に乗せた怪力入道・カンカラスタコラの助によるクイズや掛詞を巧みに使った特異なフレーズの遣り取りや、ナチュラルな着想を得て展開してゆく軽妙洒脱な忍術合戦は、杉浦茂を知る読者にしたら、思わずニヤリとさせられること間違いない。


「会いたやマブタのおっかさん」に見る被差別階級者の哀切

2020-09-07 19:18:26 | 第4章

 

中でも、そうしたアンチノミーを呈した笑いを極度にヒートアップさせたエピソードが、これまで謎とされていたカラッペの出生が一気に白日の下に晒される「会いたやマブタのおっかさん」(「週刊少年キング」70年36号)であろう。

とある村の集落に住む可愛い生娘が誤飲してしまったカラスの卵が、そのまま体内で孵化し、生娘が放屁した瞬間、肛門からそのカラスが誕生するのだが、このカラスの赤ん坊こそが、何を隠そうカラッペであった。

余りにも自由度が高く、非常識極まりないこの発想には、「馬鹿馬鹿しい」とか「下らない」といった恣意的な認識をも飛び越え、ただ呆然とさせられるばかりだ。

その後生娘は、カラスを産んだ女として、村中から迫害を受ける羽目になり、人里離れた炭焼小屋に身を潜めてひっそりと暮らすことを余儀なくされる。

そのため、生娘はこの悲惨な境遇を辿らざるを得ない、直接的な原因となったカラッペに対し、憎悪の念を抱くようになったのだ。

そんな退っ引きならない因果関係から、カラッペは、念願の再会を果たした筈の瞼の母から、けんもほろろに追い帰されてしまうわけだが、そうした憐憫さに満ちた悲劇的展開を迎えながらも、その作劇は、超常的ナンセンスな発想を爼上に乗せた状況生成を織り成すことで、読者を悲劇と喜劇が重なり合う不条理な奥行きへと誘致し、狂操的な衝動が跳梁する、不穏且つエッジーなグルーヴを弾き出してゆくのである。

当然ながら、カラッペはギャグキャラクターだ。

だが、その内面には、キュートなマスコットキャラなどには到底なりきれない、憂いと暗い翳りを秘めている。

そう、粋で鯔背なイメージを纏いながらも、カラッペには、ニャロメ同様、挫折と屈折を背負った、そこはかとない哀切が漂っているのだ。

ここでいうカラッペの哀切とは、大学闘争敗北後の鬱屈した心情とオーバーラップしたニャロメのそれとは幾分異質なもので、もっと根深いところにある、被差別階級者の出自と境遇への屈折した意識の反映である。

そんな被虐性を極点に示しつつも、去勢されることなく自己の混じり気のない感情と欲望を剥き出しにして爆発させるエネルギッシュな行動性、これこそに筆者は、赤塚動物キャラの得難い魅力を感じるのである。

『風のカラッペ』終了後、舞台を現代に移した続編『おれはバカラス』(71年17号~30号)が、やはり「週刊少年キング」で短期連載される。

前作に引き続き、作画は佐々木ドンが担当。旅ガラスから大富豪となったカラッペが、東京のアパートに下宿し、そこで巻き起こる騒動の数々を描いた作品だ。

放浪型設定から定住型設定へと、シチュエーションそのものを大幅に変更させたこのアナザーストーリーは、日常的な世界のフラットなリアリティーを基盤とした、ライトコメディー風タッチへとマイナーチェンジしたものの、そうした発想の自由さが狭まれた空間では、新奇なアイデアを投入するまでには至らず、総体的に精彩に乏しいシリーズとなってしまった。


股旅任侠物のパロディー『風のカラッペ』

2020-09-07 08:30:55 | 第4章

『天才バカボン』、『もーれつア太郎』の連載が開始した1967年以降、新たにスタッフを増員し、完全分業制を確立した赤塚は、更に仕事量を増やし、手塚治虫同様、「何処でも赤塚」と異名を取るほど、ほぼ全ての少年漫画誌に、寝る間を惜しんで作品を執筆してゆく。

赤塚の代表作といえば、「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」の二大少年週刊誌に発表された諸作品に集中しがちだが、「週刊少年キング」や「週刊少年ジャンプ」といった後発の少年週刊誌にも、前掲の二誌に比べ、幾分マイナーな印象があるせいか、商業性に捕らわれないファンキーな怪作の数々を連続して発表している。

「週刊少年キング」掲載作品で、最もメジャーなものは、1970年4・5合併号に読み切りとして発表された『旅ガラス カー太郎』をプロトタイプとした、喧嘩と博奕が三度の飯より大好きな江戸っ子気質のカラスが大暴れする『風のカラッペ』(70年8号~71年14・15合併号)だ。

三度笠と道中合羽に身を包み、長ドス片手に風のように颯爽と舞う主人公・カラッペの、粋で鯔背なキャラクターイメージが格段と映え渡ったこの作品は、子分のカラス天狗・カラテン、怪力小僧の土太郎を引き連れ、瞼の母を探し求めるカラッペが、渡世の義理により、行く先々で様々な事件に巻き込まれては、身も蓋もなく悲惨な目に遭遇するという、赤塚作品には数少ない、放浪型のドラマ構造に展開を委ねた時代劇任侠コメディーである。

因みに、カラテンは、『おた助くん』の事実上の主役である一郎との共通キャラであり、金太郎のパロディーキャラである土太郎も、後の『レッツラゴン』の主人公・ゴンのキャラクターデザインの原形として見て取れることから、本シリーズにおいても、赤塚特有のスターシステムが流用されている格好だ。

また、カラッペのキャラクターメイクに関しては、アメリカの著名なカートゥニスト、ポール・ホールトン・テリーが、1946年に発表したアニメシリーズで、二羽の黒いカササギを主人公に迎えた『ヘッケルとジャッケル』のキャラクターデザインをそのまま赤塚タッチへと変換し、そのアレンジに和のテイストを加えたものと思われる。

やはり、赤塚ブーム期の最中にスタートしたということもあり、連載当初より青島文化教材社からプラモデルとして立体化されたほか、セイカノートやカネボウハリスからも版権商品が複数発売されていた状況からも窺えるように、この作品も、原作のヒットによるアニメ化を見込んでスタートしたシリーズであったと見て間違いないだろう。

(カネボウハリスのカラッペガムのCFでは、ブラウン管狭しと躍動するカラッペがアニメーションとして、既に登場している。)

実現の運びには至らなかったものの、事実、『カラッペ』もまた、東映動画より一話完結、15分物シリーズによるアニメ化の企画が立ち上がっており、放送時間も午後7時30分から45分と具体的なプランも決まっていたのだ。

ニャロメのブレイクによって翻然として悟った赤塚は、本作『カラッペ』においても、擬人化がもたらすフィクショナルな先鋭的ギャグの暴発性を、方法論として早速取り組む。

そして、動物を人間形態化した主人公をフレキシブルに操る物語構造を、局面ごとに変貌するステージ上で手を替え品を替え、寓話化したエピソードに絡めて描く技法は、アイデアの不毛を招くことなく、赤塚漫画にかつてないイマージュを類型化したが、連載途中から、フジオ・プロスタッフの佐々木ドンが作画を務めたことにより、赤塚漫画の表層としての魅力が損なわれる結果となり、読者から期待通りの反響を得るには至らなかった。

しかしながら、予定調和の展開をはぐらかし、読者の関心を引き込んでゆく伝統的股旅物の意匠を活用したストーリーテリングは、些か纏まりに欠けるきらいがありながらも、全体を通し、痛快な読み応えがある。

そして、そうした股旅物の常套手段を拝借しつつも、その様式美を解体しかねない、みすぼらしいまでのカラッペの非力さが、悲劇と喜劇が表裏一体となった、寒々しくも無邪気醇正たる観念を鼓舞せんとする高揚感を投げ掛け、マイナー色の強い、当時の「キング」のラインナップにあって、極めて高い異端性を放っていたのだ。


赤塚流「本気ふざけ」が結実 写真コミックへの挑戦

2020-09-03 07:58:21 | 第4章

「週刊少年サンデー」は、赤塚が漫画以外のところでも、自らの肉体や行為そのものを晒け出し、サービスマインドに徹した「本気ふざけ」を繰り広げて、誌面全体を賑わすなど、そのエンターテイナーぶりを発揮した最初のメディアでもあった。

その代表的な例が、「異色カラー写真コミック」と銘打たれた『マッピルマの決闘』(69年25号)や『現金カッパライ作戦』(69年37号)といった、野放図に解き放たれたグラフィック感覚がバッチリ決まった一連のグラビア企画である。

「フジオ・プロ演劇部」なる部署を洒落で立ち上げ、赤塚以下、当時、スタジオ・ゼロのアニメーターから、作画スタッフとしてフジオ・プロへ参入してきたとりいかずよし(代表作『トイレット博士』、『うわさの天海』)、古谷三敏、長谷邦夫といった面々がアクターとして画面狭しと登場したほか、この頃、「鳥取県が生んだ偉大なる芸術家」というフレーズが流行語となり、既に、ザ・ドリフターズと人気を二分していたドンキーカルテットをゲストに迎え、大ロケーションを慣行するなど、四色カラーのグラフィックコミックとしては、超豪華版とも言える仕上がりとなった。

元々は、赤塚がリーダーである小野ヤスシと個人的に親しくなった関係から、ドンキーカルテットのメンバーとフジオ・プロスタッフが総出演する企画ページは出来ないものかと、謂わば、遊びの延長で立ち上がった企画であったが、美術会社に依頼し、本編並みの衣装や小道具を揃えてもらい、また、多忙を極める中、徹夜でプランを練り上げ、構成に携わるなど、いずれも、赤塚の徹底した「本気ふざけ」が結実した好企画となった。

『マッピルマの決闘』は、「座頭市」をベースとしたさすらい物のパロディーで、主役の赤塚は離れ離れになった最愛の妻・トラ子を探し求めて、アメリカ西部を旅する「もーれつ市」なる素浪人の役だ。

もーれつ市の妻・トラ子は、ドンキーカルテットの猪熊虎五郎が演じ、トラ子を訪ねてきたもーれつ市の命を狙おうとする悪漢・ドンキー兄弟に、小野ヤスシ、ジャイアント吉田、祝勝らがそれぞれ配され、持ち前の芸達者ぶりと白熱のアドリブ芝居でドラマを盛り上げた。

二日間、富士の裾野に合宿し、一気に撮影するという強行スケジュールだったそうだが、そんな突貫工事ぶりを感じさせない、高いクオリティーを誇るナンセンスフォトグラフ劇だ。

『現金カッパライ作戦』は、拐われた美少女令嬢を救出すべく捜査に乗り出した、赤塚演じる紅顔の老刑事と、とりいかずよし演じる迷宮刑事が活躍するミステリーアクションで、令嬢を誘拐したギャング団を、今回もドンキーの面々が演じ、サスペンスとオフビートなドタバタの融合を基本軸としたギャグの連打が、ファンクなグルーヴを弾き出す快作となった。

神宮外苑から迎賓館、横浜の赤レンガ倉庫へと、少人数による撮影だったため、移動だけでも一苦労も二苦労もあったという。

私事で恐縮だが、以前知人を介し、『現金カッパライ作戦』で令嬢役を演じた植田多華子から当時の話を伺うという思わぬ収穫を得ることが出来た。

MGCというプロダクションに、当時子役として所属していた彼女は、評判の美少女ぶりから、この撮影に駆り出され、撮影中は一緒に楽しく食事をしたり、サインに快く応じてもらったりと、赤塚とドンキーのメンバーにはたいへん可愛がってもらい、今尚少女時代の素敵な想い出として、深く胸に刻まれているそうな。

これらのグラフィックコミックは、『おそ松くん』の大ヒットで、『週刊アカツカ』、『赤塚不二夫寄席』といった等身大の赤塚不二夫像をダイレクトに伝える写真コラムや特集記事が、「サンデー」の巻頭グラフに時折掲載されるようになった際に、その遊び企画の一環として、赤塚自らが女装したり、素浪人やギャングのボスに扮装したりと、得意の百面相を披露していた変装劇に、そもそもの発想の原点があったと思われる。

写真コミックは、赤塚自身お気に入りの媒体として、その後も幾本か手掛け、赤塚人脈からは、タモリ、団しん也らがゲスト出演する『赤塚不二夫のパロディ・ゲリラ』(『文藝春秋デラックス』78年5月号)なる読み切りや、文章とフォトコミックのコラージュ企画『赤塚不二夫のギャグ・フォトランド』(『ショートショートランド』81年春・創刊号~82年冬号)といった季刊連載等、散発的に発表してゆく。

『パロディ・ゲリラ』は、予算の枠組みから写真は殆ど使えず、タモリ、団しん也といった当代きっての人気タレントをキャストとして起用しながらも、漫画に僅か何点かの写真を添付しただけという、恐らく赤塚自身も満足いかないであろう出来栄えとなった。

因みに、当時の横溝正史ブームに便乗してか、この時の赤塚の役どころは、名探偵・金田一耕助だった。

『赤塚不二夫のギャグ・フォトランド』は、丸二年に渡って掲載された写真で見せる短編コント集。

後程紙幅を割き、改めて言及するが、1976年、「馬鹿なことを真面目にやる」という旗印のもと、作家の赤瀬川原平、詩人の奥成達、漫画家の高信太郎、それに長谷を加えて結成された「全日本満足問題研究会」が、様々なナンセンスフォトグラビアを「週刊読売」誌上にて発表していた流れから生まれた悪戯企画と言えようか。

ドラえもんやミッキーマウスのパロディーキャラに扮した、被写体たる赤塚の珍芸パフォーマンスが、呆れる程馬鹿馬鹿しくもあり、また稚気満々で微笑ましくもある。