文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

類型化する漫画の表現形式を覆したトリオものシリーズ

2020-09-11 15:25:57 | 第4章

「赤塚ギャグ笑待席」が連載開始されるに至り、発表された予告ページ(69年№19)には、前述の『白痴小五郎』のイラストが掲載されていたが、この作品が「ジャンプ」誌上で発表されることはなかった。

既述のアニメ化とのタイアップ連載を予定していたが、アニメ化の企画が立ち消えになったことがその理由だと思われる。

『赤塚ギャグ笑待席』のコーナー内で、『おれはゲバ鉄!』以外に発表されたタイトルは、読み切り、二話連続掲載等の短編ばかりだったが、そのどれもが、簡素なドラマ構造を特徴としながらも、論理や思考の段階を感覚的に飛び越え、系統発生的な笑いを引き立ててゆく、軽快なフットワークを身上とした異端的魅力の作品だ。

『ゲバゲバ博士』(69年№24)は、一人のマッドサイテンティストが、外見にコンプレックスを持つ人の為に、ひと吹きで美顔に変身するという、驚異のスプレーを開発したことで巻き起こる狂態を鋭く描破したブラックコメディー。

妄想が暴走してゆく悪夢を笑いへと摩り替え、表層的な美意識を裏返しにさせたところにこそ、美の普遍と本質が映し出されるという、一面の真理を然り気なく看破したところに、この作品の値打ちがある。

『ゲバゲバ兄弟』(69年№20、№22)、『Oh!ゲバゲバ』(69年№26、№28)は、共に二話発表されたトリオものだ。

救い様のない馬鹿学生達による奇行愚行の鍔迫り合いが、威勢良く展開するスラップスティックコメディーであるが、連中が振り撒く、稚拙にして無軌道極まりないギャグの切迫は、自棄的な馬鹿騒ぎで憂さを晴らすしかなかった、当時の安田講堂陥落後以降の全共闘学生らの不毛と倦怠がオーバーラップしているようにも感じ、その後の退廃的時代相を予期させるニヒリスティックな笑いを、ついドラマの奥底に見出だしてしまうのは、筆者だけであろうか……。

かねてから赤塚は、サイレント映画とトーキーの端境期であった1930年代より、奇抜なアクション、小洒落た台詞廻し、ナンセンスな効果音を駆使した笑いで、アメリカ全土を一世風靡していたコメディートリオ『三ばか大将』といった、全く異なる個性が自己主張しながら、トライアングルを形成し、絡み合ってゆくスラップスティックギャグにも傾倒しており、自身の表現形態に、それらの疑似感覚性を取り入れ、オリジナル作品に昇華出来ないものかと、構想を練っていたという。

そこで誕生したのが、前述の『過激派七年生』であり、その発展型とも言うべきマスターピース、「少年」の豪華別冊付録「まんが№1」で発表された『サルばかガードマン』(68年1月号)だ。

性格も価値観もバラバラだが、三人揃って一人前の落ちこぼれガードマンのエースケ、ビースケ、シースケが、突然、日本に亡命して来たサルスベリ王国の王子様のシークレットサービスに任命され、その強烈な悪ガキぶりに手を焼きながらも、王子の身を暗殺部隊から守るべく、七転八倒の奮闘を重ねるというあらましのこの作品は、それぞれのパーソナリティーを引き立てながら、突発して迫り来る、予測不能なトラブルを切り抜け、大団円を迎えてゆく様が三者の視点より多声的に描かれ、胸弾む怒涛のドタバタナンセンスとしての完成を見た。

このように、類型化する漫画の表現形式を覆したと思われたトリオものシリーズであったが、一家ものシリーズのように、その後、バリエーションを増やし、赤塚のルーティンギャグの一群として根付くまでには至らなかった。

その後、時を経た1974年、「高1コース」誌上にて、おバカな高校生三人組の、非生産的で不消化なディスコミュニケーションを笑いの要とした『おいらダメ高』(4月号~6月号)にそのフォーマットは受け継がれるが、この作品は、それまでのトリオ物シリーズとは異なり、過激なスラップスティック表現を極力取り除き、恋愛の悩みを主だったテーマに据えるなど、掲載誌の読者層に適合したオーソドックスなシチュエーションコメディーとして描かれ、これを最後に赤塚のトリオものは完全封印されることになる。

そして、これらのトリオものシリーズは、『過激派七年生』を除いて、1976年、曙出版の曙文庫レーベルより『Oh!サルばか』を表題作にコンピレートされ、ここで漸く、赤塚トリオ物のほぼ全てのタイトルが日の目を見るようになった。


漫画入門書の最高峰『マンガ大学院』

2020-09-11 09:26:56 | 第4章

『おれはゲバ鉄!』以外で、角南記者が担当した赤塚連載では、廃刊間際の「少年ブック」(69年1月号~4月号)の別冊付録として、毎号一冊ずつ、らくがきコース(入門編)、アイデアコース(基礎編)、短編コース(応用編)、長編コース(卒業編)の計四冊に渡って編纂された『マンガ大学院』がある。

別冊付録で、愛読者を対象に漫画の通信添削を企画した角南記者であったが、一体どれだけの実習課題が応募されるのか、全くわからない状況では、当時のハードスケジュールぶりからは、引き受けられないと、赤塚はその依頼を辞退する。

しかし、一度肘鉄を喰らったくらいでめげるわけがないガッツマンの角南記者は、大学の後輩である早稲田大学漫画研究会の面々に、課題の添削指導を一任させるといい、強引にこの企画を押し進めてしまったという。

添削指導こそ、赤塚の直接的な介入はなかったものの、メインとなった漫画入門は、キャラクター作りやプロットの組み立て、ドラマの起承転結の紡ぎ方といった基礎から長編漫画執筆といった応用技術に至るまでを、微に入り細を穿つカリキュラムで編纂。赤塚が新たに描き下ろした漫画やイラスト、再録作品を長谷がテキストとして再構成し、最高峰の漫画入門書として名高い石ノ森章太郎の『マンガ家入門』と双璧を成す、充実のコンテンツを備えた好企画となった。

それを裏付けるかのように、同年ジャンプコミックス・レーベルで上巻(基礎編)、下巻(応用編)に纏め、改めて単行本化された後、1976年には、集英社漫画文庫でも、再度リリースされ、71年に赤塚の監修で刊行された小学館の入門百科『まんが入門』と同様、漫画入門書としては、異例のロングセラーとなり、その後も多くの漫画少年達に愛読された。


『赤塚ギャグ笑待席』『おれはゲバ鉄!』の連載開始と 「週刊少年ジャンプ」

2020-09-11 06:11:59 | 第4章

「週刊少年ジャンプ」誌上にて、新人漫画コンクールの草分け的存在である「手塚賞」から、1974年にギャグ漫画部門を分離させ、その登竜門として赤塚の名を冠した「赤塚賞」が設立されるが、「ジャンプ」で唯一シリーズ連載となった赤塚作品は、意外にも、『おれはゲバ鉄!』(70年2・3合併号~33号)のみである。

多忙な赤塚をサポートするため、古谷、長谷、とりいかずよしといったフジオ・プロ所属の漫画家達と順繰りで作品を発表する『赤塚ギャグ笑待席』(69年№20~70年6号)なる企画コーナーの一環として開始した『おれはゲバ鉄!』であったが、スタート当初のタイトルは、『Oh!ゲバゲバ』というもので、第三話目にして、漸く『おれはゲバ鉄!』と改題されたほか、途中で幾度か、休載を挟み、掲載ペースが不定期になるなど、極めて変則的な形で執筆された短期連載作品であった。

父親と母親に見捨てられ、孤児となった小学生の鉄が、強盗犯でありながらも、心優しい後藤のおじさん、拾った大金を正直に届けたことで、身元を引き受けてくれることになった会社社長の恩恵に支えられながら、唯一友達となった野良犬のバンパクと一人と一匹、悪い大人の陰湿な仕打ちや裏切りといった、世間の激しい荒波に揉まれながらも、正しき心で精一杯生き抜き、一人の人間としても大きく成長してゆく……。

現在に至るまで連綿と続く「友情、努力、勝利」をモットーに踏まえた、「ジャンプ」正統派路線とも言うべきこのドラマの原案を考え、シナリオ風に纏めて赤塚に描かせたのが、後にとりいかずよしの人気漫画『トイレット博士』を担当し、そのメインキャラクター・スナミちゃんのモデルとなる「ジャンプ」の角南攻であった。

元々角南記者は、赤塚漫画の大ファンで、大学時代から足繁くフジオ・プロに遊びに来ていたため、赤塚とは旧知の間柄であった。

角南記者は、名もない一学生とも別け隔てなく対等に接してくれる赤塚の寛大な人柄にも魅了され、赤塚と仕事がしたいがために、わざわざ集英社に入社したという、赤塚曰く「熱血みなぎる好漢」だ。

後発の隔週少年漫画誌というハンディキャップを背負った「ジャンプ」は、ベテランの人気漫画家を敢えて起用せず、新進気鋭の若手漫画家を擁立してゆくことで、先発誌との差別化を企てるべく編集方針を打ち出していたが、それでは思うように売り上げが伸びず、時折、藤子不二雄Ⓐや楳図かずお、望月三起也といったビッグネームに単発の読み切りを依頼しては、誌面強化を図っていた。

「ジャンプ」創刊の際、赤塚は幾つもの締め切りに追われながらも、合間を縫って、父親の敵討ちのため、プリズンを脱獄したギャングの大物・イル・カモネとの一騎討ちを果たそうとする少年保安官・アパッチ君が、タイトル通り大暴れして活躍する『大あばれアパッチ君』(68年8月1日創刊号)なる痛快ウエスタンギャグを大御所枠で執筆し、誌面の盛り上げに協力したが、無理は承知で、このような新連載まで打診されてしまったのも、そうしたセールスアップを目指した苦肉の策が、当然ながら、その背景に根強くあったからだろう。

だが、当時『天才バカボン』、『もーれつア太郎』といった週刊連載のほか、月刊誌、イレギュラーの短編や長編読み切りの仕事をどっさりと抱えていたため、もはやアイデア会議ですら、時間的に応じかねる旨を、マネージメント役の長谷が告げると、角南記者は、ならば自分がアイデアを考えるから、絵を描いて欲しいと、臆することなく、詰め寄ってきたという。

そんな角南記者の熱烈アピールを、無下に断り切れなかった赤塚は、見切り発車のまま、『おれはゲバ鉄!』の連載をスタートさせる。

角南記者との兼ね合いもあり、赤塚も作画、ネームともに質的にばらつきのない、特段と丁寧な作品を提供し続けたが、純然たるギャグ漫画ではない、ある意味、梶原一騎的熱血根性路線を縮小再生産した『おれはゲバ鉄!』は、タッチだけはギャグ漫画という致命的な違和感を纏い、ストーリー劇画独特の烈々とした情念や、ケレン味と様式美が一体化した、怒涛の作劇効果を醸し出すには至らず、期待通りの人気を掴めないまま、連載回数全二〇話をもって敢えなく打ち切りになってしまった。


フジオ・プロを自虐的に戯画化した『われら8プロ』

2020-09-09 20:24:33 | 第4章

「週刊少年キング」掲載作品で、最も異色にして、エクスぺリメンタルな一作が、赤塚自身の姿を投影して描いた人気漫画家と、そのプロダクションのアシスタント達の喧騒に満ちた漫画制作の裏側を過激にカリカチュアライズした連作『われら8プロ』(68年43号~44号)ではなかろうか。

人気漫画家のハチャメチャな日常を自虐的な内輪ネタも盛り込み、一見荒唐無稽に演出しているが、彼らの穉気満々たるその有り様には、藤子スタジオ、つのだプロ、フジオ・プロと机を並べ、お祭り騒ぎのような雰囲気で漫画を描くことをエンジョイしていたという、当時のスタジオ・ゼロの漫画家達の若き日の勇姿が、そのまま写し出されているかのようで感慨深い。

また、作中に描かれた彼らの作品も、ギャグ、劇画、少女漫画とバラエティーに富み、あらゆるジャンルの漫画の画風、スタイルを赤塚の独断的な解釈により、解体、パロディー化を試みているのも痛快だ。

特に、主人公・バカ谷大先生のライバルであり、藤子不二雄を思わせる超売れっ子のフニャコフニャオが描く漫画の絵柄が、『ルパン三世』のモンキーパンチ風であったり、はたまた『若者たち』の永島慎二風であったりと、当時の人気漫画家の作風をそのまま拝借するなど、良い意味での、その開き直りと節操のなさには、思わず拍手を送りたくなる。

現代劇でありながら、侍風の刺客に奇襲を受け、拳銃をぶっ放す永島慎二風漫画は、主人公の顔付きが突然園田光慶(代表作『アイアンマッスル』、『ターゲット』)調に変貌するなど、読む者に脱力的気分をもたらすこと請け合いだが、背景に永島ファンにはお馴染みの喫茶店「国分寺ほら貝」を然り気なく忍ばせるなど、全編に渡り、遊び心に満ちた心憎い演出が仕込まれている。

尚、フニャコ先生版『ルパン三世』は、一部の漫画マニアの間で物議を醸し出した初期「週刊少年ジャンプ」連載作品『ヌスット』(叶バンチョウ)よりも更に露骨なイミテーションとして、滑稽の対象となって然るべき珍品と言えよう。


サイケな笑いが横溢する『荒野のデクの棒』 「週刊少年キング」掲載の諸作品

2020-09-07 23:22:27 | 第4章

『おでんクシの助』同様、アケボノコミックス『赤塚不二夫全集』第21巻に併録された『荒野のデクの棒』(「週刊少年キング」68年34号~37号)は、戦いにより鼻を奪われ、顔面崩壊した過去を持つガンマンのデクの棒が、持ち前の機転の良さと奇想天外なガン捌きで、世に蔓延る悪漢達をバタバタと倒しながら、賞金稼ぎをしてゆく『荒野の用心棒』(監督/セルシオ・レオーネ・主演/クリント・イーストウッド)を元ネタとした、全四話の連作からなるハレンチウエスタン。

敵の目玉や鼻を根刮ぎ奪い、立体福笑いを売り出そうと画策するネコソギキッド、頭蓋骨に巨大な砲弾がめり込み、パラノイアに憑かれてしまったシルクハットのバーカー等、シュールでアブノーマルな登場人物達と繰り広げる、幼児性を孕んだキュリアスな応酬が、ドラッギーなLSD感覚を醸し出し、恰も別の赤塚ワールドに足を踏み入れさせるかのように、読む者に幻覚類似的な陶酔感を与える。

「キング」で発表したその他の作品では、憎き猫面の大家の家を車で突っ込んでぶっ壊したり、被害妄想から町内の住民達の生活までも理不尽な加虐で蹂躙してゆく、鶏そっくりな風変わりな一家の日常を面白可笑しく描いた連作『にわとり一家』(69年2号~6号)や、頭を叩くと、想像したものが物体として出てくるという不思議な人間と、心優しいクズ屋の親子との交流を軸に、人間の欲望の浅ましさを、童話特有の啓蒙的示唆を強めて問い掛けた『何がでるか⁉』(68年17号)、従来の浦島伝説をナンセンスな視点からパロディー化した『浦島くん』(68年21号)があり、いずれも、剽逸且つシュールな発想を生き生きと具現化しつつ、絶妙なギャグの間と肩透かしを浮き立てた、遜色ない赤塚ルーティンに仕上げた。

中でも、とあるやんごとなき理由から、突然人間の涙が必要となり、竜宮城の王様から人間を連れて来るように命じられた不良ガメが、浦島くんを唆し、竜宮城へと拉致するも、浦島くんが思い通りに泣こうとしないため、竜宮城の面々が四苦八苦したり、最後にブチ切れた浦島くんによって、不良ガメが甲羅を剥ぎ取られ、蛇にされてしまうなど、「浦島太郎」本来の物語のイメージと峻別した『浦島くん』におけるその修辞技法は、童話や児童文学への狭義的解釈とはまた違った、現実世界への新たな発見的認識をもたらす苦味と香りを放ち、ドラマそのものに、後の『ハレンチ名作シリーズ』へとリンクしてゆく、機智と逆説に富んだアレゴリーを宿すこととなった。