文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

ギャグ漫画の新機軸を打ち立てた『おそ松くん』 その連載開始と時代背景

2018-08-22 14:15:33 | 第2章

ブレイクスルーは突然訪れた。

1961年頃より、単発の読み切りを何本か執筆していた「週刊少年サンデー」編集部から、四話連続の連載作品の依頼が、赤塚のもとに舞うようにして入ってきたのだ。

この時既に赤塚は、ナンセンスとスラップスティックという二つのコンセプションから共通する特性を論理的に抽出し、双方のエッセンスを有機的に連環させることで、ギャグ作家としての自己同一性を確立しつつあった。

そんな赤塚が、更なる先鋭化を掲げ、唱道した作風のスタイルは、これまでの生活ギャグ漫画のテリトリーを越えた、徹底したナンセンスによる痛烈な社会諷刺と、その根底に流れる洒落たヒューマンなドラマを、矢継ぎ早且つリズミックなテンポの中で展開させ、笑いのオブラートに包んで再構築することにあった。

ギャグ熱が一向に高まらずにいる児童漫画界において、それは無駄な足掻きとも言える試みであったが、どうせ四回限りの連載ならば、この際、自分が本当に描きたい漫画を徹底して描いてやろうと赤塚は考えた。

実はそこに、周到な計算があったという。

1962年当時、高度経済成長の真っ只中にありながらも、日本の核家族率が急激に上昇し、少子化が叫ばれるようになった最初の時代でもあった。

子供の数が、戦前、戦後間もなくの頃に比べ、格段に減少しただけではなく、高度経済成長の恩恵を受け、物質的に恵まれることによるその悪影響が、子供達の生活や習慣にも顕著に表れ始めたのだ。

甘やかされて育ち、堪え性に欠け、逞しさを失った子供、連日の塾通いにより、子供らしい夢をも失い、現実の中でもがき苦しんでいる、所謂「現代っ子」と呼ばれる児童が増加し、赤塚が少年だった頃とは、比較にならないほど、子供達の肉体と精神は脆弱化してゆく……。

そんな時代背景もあり、現実に無力感を募らした現代っ子の鬱勃とする負の感情を浄化するかのような、バイタリティーに溢れた子供達が賑やかに暴れまわる作品を描こうと考えついたのは、至極当然のことであったと言えるだろう。

そのヒントとなったのが、『1ダースなら安くなる』(監督・ウォルター・ラング)という十一人の子沢山家族を主人公にしたファミリーコメディーだ。

当初のアイデアでは、十二人を主人公とした作品を考えていたが、それだけの数の登場人物ともなると、映画のスクリーンならともかく、とても漫画の小さなコマには収まりきらない。

そのため、半分の六人に落ち着いたという。

だが、それだけでは、セールスポイントがない。

そこで思い付いたのが、主人公を六つ子にして、六人の顔を全員統一することであった。

これは、結婚したばかりの登茂子夫人が「いっそのこと、同じ顔の子が1ダースいたらどうかしら?」と、ヒントを与えてくれたことによって生まれた設定だ。

タイトルは、瞬間的な閃きから『おそ松くん』に決定。

六つ子の兄弟を、おそ松以下、チョロ松、カラ松、トド松、一松、十四松と、思い付くままに命名した。

第一回のストーリーは、双子の空き巣が、父母の留守中、六つ子の住む家に忍び込み、姿かたちの見分けが付かない六つ子と遭遇することで巻き起こるチグハグな珍騒動を、ドラマの要として描くことに決めた。

両親さえも、区別が付かない同じ顔をした六人の男の子、このワンアイデアだけでも、従来のユーモア漫画の規範を乗り越え、読者を日常の空間から異界の領域へと導く画期的な笑いを繰り出してゆくのだが、その設定を赤塚から聞いた編集部は、当初、大いに難色を示していたという。

だが、編集部の不安は杞憂に終わり、『おそ松くん』は、「サンデー」1962年16号に初掲載されるやいなや、読者の人気と注目を一身に浴びるだけではなく、未だかつてない全く新しいスタイルを意匠とするギャグ漫画として、漫画業界に大きな衝撃を与えることになる。

好調なスタートダッシュを飾った『おそ松くん』は、四回の筈の掲載が二〇回、三〇回と連載回数を伸ばし、短期間のうちに「サンデー」の顔ともいうべき名タイトルへと成長を遂げた。

コミカルなアクションとオフビートのテンポを重視した『おそ松くん』の作劇スタイルは、話数を重ねるごとに、様々なギャグの鋳型を作り出し、不可思議な発想から紡がれたナンセンスな笑いの渦へと、加速度的に突入してゆく。

因みに、『おそ松くん』で描けなかった1ダースの子供が活躍するプロットは、没にはし難く、同じ年に「たのしい五年生」に連載にされた『オーちゃんと11人のなかま』(62年4月号~63年3月号)でお披露目される。

『おそ松くん』のような新たな笑いの類型提起となるインディビジュアリティーはないが、明るく健全な性格付けがなされた子供達を主人公に据えた本シリーズは、日常で直面する様々な問題に、持ち前のフェア精神と汚れなきバイタリティーで向き合い、解決してゆく彼らの姿勢が、読者の共感性を高めるハートフルなユーモアを纏いながら綴られており、その情操的な教訓性が付与された明快なテーマからも、赤塚の子供に対する深い慈しみの心が余すところなく伝わってくる。

尚、タイトルは、フランク・シナトラ&ディーン・マーティン、ダブル主演による痛快ギャング映画『オーシャンと11人の仲間』(監督・ルイス・マイルストン)をもじったものだ。


クレージー・キャッツの大進撃とその影響 『スーダラおじさん』の転機

2018-08-21 13:54:42 | 第1章

一方、クレージー・キャッツは、1961年より、日本テレビ系で、歌とコントをメインとしたバラエティーショー『シャボン玉ホリデー』がスタート。クレージーの破壊的なギャグパワーは、更にヒートアップし、作詞・青島幸男/作曲・萩原哲晶による『スーダラ節』、『ハイそれまでョ』、『無責任一代男』といった一連の無責任ソングがスマッシュヒットする。

翌62年からは、植木等を主演に迎えた古沢憲吾監督の東宝映画『ニッポン無責任時代』と『ニッポン無責任野郎』が公開され、こちらも大ヒット。その後も『日本一の色男』、『日本一のホラ吹き男』、『日本一のゴマすり男』等、『日本一の○○男』シリーズが続々と製作されるなど、クレージー・キャッツの活躍は留まることを知らず、映画、テレビ、レコードとあらゆるメディアを通し、彼らは、高度経済成長時代の現代社会にエネルギッシュな笑いと、その歪みがもたらすフラストレーションを発散させて余りある緩和剤の役割を果たしてゆくことになる。

また、クレージーの面々が発する強烈なフレーズ「お呼びでない? お呼びないね、こりゃまた失礼致しましたっ!」、「こりゃシャクだった」、「ガチョーン」、「言いたかないけど、面倒みたよ」は、いずれも流行語となり、日本人の笑いの価値観を根底から覆した。

クレージー・キャッツの大進撃は、我が国における笑いへの時代感覚をも確実に変えてゆき、60年代前半以降、『スチャラカ社員』、『てなもんや三度笠』等、演者の強烈な個性のぶつかり合いがナンセンスな笑いを増幅させてゆく、新鮮且つパワフルなお笑い番組が続々と誕生する呼び水となった。

その後、赤塚は「週刊少年サンデー」に、攻撃的な悪ガキが核実験の反対を訴える宇宙人の子供と遭遇する珍奇譚を綴った読み切り『ミスターかぐや』(62年2号)を間を空けて描き、その翌々週、同じく「サンデー」に『スーダラおじさん』(62年5号~6号)という10ページの短編を二本続けて発表する。

『スーダラおじさん』はタイトルからもわかるように、空前のクレージー・ブームにインスパイアされて描いた一本だ。

後に登場する赤塚マンガ最大の人気キャラクター、バカボンのパパを彷彿させる能天気でグータラな親父が、家族や町の人達を相手にはた迷惑な騒ぎを繰り広げると同時に、自らの道化ぶりを重ね、笑いを誘発してゆくという、取り立てて進取性のない、江戸落語的ともいうべき古典的ファースの定石を基本素材としたユーモア漫画だが、三段抜きの大画面で、十八人もの登場人物達がミュージカル仕立てで、威風堂々と『スーダラ節』を歌い、最後を締め括るシーンは実に圧巻だ。

『ニッポン無責任時代』のようなスタイリッシュな笑いを生み出すまでには至らなかった本作品であるが、個人を拘束するあらゆる柵から超然としたC調ぶりと、高揚感沸き立つミュージカルアクションを威勢良く取り入れたそのズレ下がりの笑いは、日本喜劇映画史上最高傑作として誉れ高い『無責任時代』よりも半年早く世に放たれており、我が国の加速度的な経済発展に伴う、硬直化した集団社会からの解放を夢想する大衆の意識レベルにおける価値観の逆転を、そのままダイレクトに漫画の中に落とし込んだ共時性も含め、赤塚の慧眼ぶりが明瞭に浮き出た好事例と言えるだろう。

傑作にはなり得ていないが、前出の『ミスターかぐや』では、核の根絶が作品のテーゼになっている。

キューバ革命以降、社会主義革命を訴え、容共的と見なされたカストロ政権は、関係が悪化していったアメリカへの侵攻に備え、ソ連との緊密化を進めてゆき、ソ連がキューバ国内に対米の核ミサイルを配置する「アナディル作戦」を敢行する。

それに対し、キューバと国交を断絶したアメリカも準戦時体制に入り、国内にて、核弾頭ミサイルを発射準備体制に置くなど、キューバを挟んでの米ソ冷戦における緊張は、地球的規模での高まりを見せていた。

そんな騒然とした時代の刻印が、この作品のテーマに盛り込まれている。

また、前年に発表された『インスタント君』は、シマダヤの「味付即席ラーメン」のPRを目的として描かれた作品であり、当時、巷で爆発的にヒットしていたインスタントラーメンがコンセプションの原点となっている。

このように、赤塚の発想力に季節的なテーマではなく、時事世相や社会風俗を、子供漫画、大人漫画の媒体を問わず、貪欲なまでにテーマとして取り入れてしまう機を見るに敏なゲリラ的マスコミ感覚が芽生えつつあった。

時代の大きな波に揉まれながら、スタンダードだった赤塚の作品スタイルにも徐々に変化が現れ始める。

そう、赤塚作品がメタモルフォーゼを遂げる瞬間が、この時すぐそこまで来ていたのだ。

 


赤塚ギャグへの助走と過渡期の生活ユーモア漫画

2018-08-21 09:48:16 | 第1章

1960年頃から、赤塚は少女向け生活ユーモア漫画から、少年向けギャグ漫画へと比重を置くようになった。

いずれもヒットには至らなかったが、打てば空振り三振、守ればトンネルエラーという弱小少年野球チームの活躍(?)をドタバタテイストいっぱいに描いた『トンネルチーム』(「たのしい四年生」60年4月号~9月号)、長男、長女、次男の3人兄弟のうちの兄と弟の愚兄賢弟ぶりを、弟のイノセントな視点からユーモラスに綴ったハートウォーミング・コメディー『ボクはなんでもしっている』(「たのしい五年生」61年4月号~62年3月号)、『ナマちゃん』のレギュラーキャラを主人公にしたスピンオフ作品『カン太郎』(「冒険王」61年5月号~9月号)といったタイトルを月刊誌に連載した後、檜舞台の「週刊少年サンデー」、「週刊少年マガジン」に読み切りを単発で執筆してゆくことになる。

「サンデー」、では、お風呂に三分間浸かれば、たちまち頭が冴え渡り、難事件もすぐさま解決してしまう『インスタント君』(61年9号)、グローブを盗まれた少年と泥棒の知恵比べを珍妙に綴った『たまおのどろぼうたいじ』(「別冊少年サンデー 春季号」61年4月1日)、ナマちゃんよりも更に悪戯好きで、ドライな現代っ子が大人をへこます『チャン吉くん』(「別冊少年サンデー」62年1月1日お正月ゆかい号)、父親が務める会社の社長宅に倅がサラリーマン修業に出掛けて、シッチャッカメッチャッカなトラブルを巻き起こす『ぼくは・・・・・サラリーマン』(「別冊少年サンデー 春季号」62年4月1日)といった作品を執筆。「マガジン」では、エイプリルフールの日に、騙し騙され合う子供達の掛け合いを小気味良く綴った『だまそうくん』(61年15号、単行本収録時に『ダマちゃん』と改題)を単発で発表した後、初の週刊誌連載『キツツキ貫太』(61年23号~34号)を執筆する。

『キツツキ貫太』は、元気いっぱいの貫太少年が、真夏の炎天下に幽霊を取っ捕まえてルームクーラー代わりに使用するなど、毎回、ちょっぴり奇想天外な物語とノリの良いスラップスティックが日常の中で展開する、赤塚としても新生面を拓いたコメディーだったが、ページ数の少なさなどによる障壁から、その前衛的才覚をアピールするまでには至らず、連載回数全十二回をもって終了してしまう。

月刊誌時代の黄金期が終焉に近付きつつあったこの時期、生活ユーモア漫画というジャンルそのものも過渡期を迎えていた。

月刊サイクルの生活ユーモア漫画では、その季節の出来事からルーティンなテーマをアレンジすることで、物語を構築してゆくことが可能だったのだが、月に四本もの作品を生み出さなければならない週刊サイクルでは、日常生活を中心とした笑いから飛躍し、テーマを拡張しなければならなかったのだ。

それまでの季節感を伴った生活ユーモア漫画は、お正月号では、凧揚げや餅つき、お年玉、雪合戦というテーマを筆頭に、4月号では、花見や新学期、8月号では、海や山に海水浴やキャンプに行き、9月号では、運動会で大騒動という一つの定型が、毎度の如くストーリーに織り込まれていた。

赤塚は、歯切れの悪いこれらの季節的テーマを主体とした従来の笑いのセオリーを打破すべく、試行錯誤を重ねてゆく。

赤塚にとっての圧倒的な命題は、スラップスティックとナンセンスという異なる二つの概念を同等の妥当性をもって結晶化せしめることだった。

そして、その試みは成功し、赤塚ギャグというハード&ラウドな笑いの形態を新たに打ち立て、戦後ギャグ漫画のメインストリームを切り開くことになるのだが、そこに到達するまでには、今暫くの時間が必要だったのだ。


「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」の同時創刊

2018-08-20 20:21:28 | 第1章

皇太子明仁親王と美智子皇太子妃の結婚の儀が取り計られ、日本中がミッチーフィーバーに湧いた1959年、成婚パレードを契機に、テレビ普及率が二〇〇万台を突破するなど、日本契機は「岩戸契機」を迎え、高度経済成長の入り口へと差し掛かった。

前年、東京タワーが建設され、日本銀行が一万円札を発行。ロカビリー・ブームが到来し、王貞治、長嶋茂雄の「ON砲」の巨人軍入団が決定するといった、明るいニュースが相次ぎ、国民は景気の上昇と新たな時代の転換に酔いしれていた。

皇后のご成婚と同じ年に開局されたフジテレビでは、『おとなの漫画』の放映が開始され、ハナ肇とクレージー・キャッツの台頭が始まる。

『おとなの漫画』は、青島幸男が構成したお昼の帯番組で、時事世相を諷刺したコントを、日曜日を除き、毎日放映していた。

リズミカル且つこれまでの笑いの常識を打ち破る、パンチの効いたクレージーの怒涛のギャグ旋風は、茶の間を大いに驚かし、また快哉を叫ばせるに至った。

そして、漫画界において、エポックとなる事件が起こったのもこの年だった。

「週刊少年サンデー」(小学館)と「週刊少年マガジン」(講談社)の同時創刊である。

「サンデー」では、手塚治虫の『0マン』の連載が開始したほか、トキワ荘グループの盟友・寺田ヒロオの『スポーツマン金太郎』や藤子不二雄の『海の王子』も連載され、いずれも、創刊間もない「サンデー」の屋台骨を支える人気作となった。

遂に、漫画業界も、大量生産、大量消費によるマスマーケットの時代へと突入したのだ。

その熱気が相俟ってか、漸くギャグ漫画のフィールドも僅かながらに活性化し、いくつかの人気作が登場することになる。

板井れんたろうの『ポテト大将』、ムロタニ・ツネ象の『わんぱくター坊』、大友朗の『日の丸くん』といった作品だ。

新しく創刊した少年週刊誌では、「サンデー」に『快球Xあらわる‼』(益子かつみ)というSFユーモア漫画が唯一掲載されていたものの、読者の支持を得たとは言い難く、ギャグ漫画が受け入れられる環境は、この時まだ整ってはいなかった。

掲載誌は月刊誌だったが、少なくとも、1959年から60年の時点で、赤塚の『ナマちゃん』や『おハナちゃん』を遥かに凌駕する破壊力を備え、ギャグ漫画と呼べるタイトルも登場していた。

「日の丸」に連載されていた石ノ森章太郎の『テレビ小僧』である。

テレビスターになろうと、アヒルのガー公を引き連れ、上京した主人公・テレビ小僧が、テレビ局を舞台に狂騒的なまでの売り込み作戦を展開するという、アメリカナイズされたアグレッシブなスラップスティックコメディーで、笑いの裾野を十二分に広げた一本だったが、大きな人気をもたらすまでには至らず、短期のうちに終了してしまう。

このように、少年週刊誌が創刊されても、ギャグ漫画というジャンルは、大きく跳躍することはなく、またまだ発展途上の段階にあったのだ。


『おハナちゃん』 非日常性を喚起する奇抜な発想

2018-08-20 19:12:23 | 第1章

『おハナちゃん』(「少女クラブ お正月まんが増刊号」59年1月15日発行、「少女クラブ」60年1月号~62年3月号他)は、跳ねっ返りで、チビッ娘な女の子と若い美人のお母さんとのてんやわんやの騒ぎを主軸に展開するホームコメディーで、どういうわけか、父親は一切登場しない母子家庭という設定だ。

『ナマちゃん』では、親しみある腕白小僧の無邪気で日向的な笑いの連続が、小学生読者の憧れや日常感覚にリンクした、胸のすく痛快感を解き放していたが、非日常性を喚起する奇抜な笑いにエスカレートさせることはなかった。

しかし、『おハナちゃん』では、母子家庭という、ややもすれば、その作品総体にペーソスを漂わせがちなシチュエーションを、コマからコマへと、突飛且つアンリアルな発想を繋ぎ合わせることによって、遊び心満載な、ギャグ漫画としての特性を纏った真新しい世界観を創出するに至ったのだ。

アケボノコミックス『おハナちゃん』(曙出版『赤塚不二夫全集』第3巻、68年発行)にコンパイルされた諸作品を通読すると、この時既に、非現実と現実の論理の対立から放射される笑いの共鳴波動がビビッドに発露され、後に、飛躍を遂げるナンセンスギャグの創出因子となるサンプルが高確率で描かれていることに改めて驚かさせる。

「なき声アルバイト」(60年10月号)では、後の『天才バカボン』のルーティンギャグとして、作中頻繁に登場するバカ田大学の学生を彷彿させる、虫の鳴き声の流しとも言えるようなバイト学生が現れ、その突拍子もない行動で、おハナちゃん母子を困惑させ、「こじきはいかが?」(61年11月号)では、名刺に「こじき」の肩書きを印した、スタイリッシュなホームレスが登場し、おハナちゃんとナンセンスな禅問答とも呼べるような珍妙な遣り取りを展開する。

また、幽霊の赤ん坊を保護したことで、幽霊の家族がおハナちゃんの自宅に押し寄せて来る大騒動を描いた「おばけとなかよし」(61年9月号)や、節分の豆まきで街に紛れて来た鬼の子供とのほのぼのとした交流を綴った「オニさんをいじめないで」(62年2月号)等、幽霊や鬼といった超常的な存在がデフォルメされて、日常に紛れ込むというそのストレンジな展開は、従来の少女向け生活漫画とは、明らかに異質な特色を帯びており、その後の赤塚ワールドの展望を予感させた。

『おカズちゃん』(「たのしい五年生」60年4月号~61年3月号)は、ひたすらにドライで、食いしん坊な女の子が食べ物を巡って、男の子を向こうに廻し、熾烈なバトルを繰り広げるという、バイタルなパワーがみなぎる少女物で、後に描くことになる『ジャジャ子ちゃん』や『ヒッピーちゃん』などの毒気の強い少女系ナンセンス漫画の源泉となった作品だ。