文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

寺田ヒロオの激励

2017-11-25 23:24:00 | 第1章

スランプに陥り、ペンも思うように運ばす、ともすれば、創作へのモチベーションさえも損ないかけた赤塚は、当時、西武新宿駅前にあり、後に交流を持つ先輩漫画家の冨永一朗の親族が経営していた老舗ジャズ喫茶「ラ・セーヌ」で募集している住み込みのウェイターにでもなろうかと思い立つ。

そして、既にトキワ荘を退出し、目白に住んでいた寺田ヒロオの下宿を、その時描きかけの少女漫画を持参し訪れた。

この時の状況を赤塚はこう述べている。

「もう僕はマンガ家になるのは、無理かもしれない。いっそのことマンガはきれいさっぱり諦めて、まったく違う仕事をやろう。たとえばボーイなんてどうだろう。そう思って「ラ・セーヌ」というジャズ喫茶に行って、ボーイの動きを観察してみたんだ。そうしたら、ボーイの動きが鈍い。なんだ、これなら僕にもできるって。それで僕は、寺田ヒロオに相談に行ったのだった。」

(『赤塚不二夫120%』アートン、99年)

もし、この作品が駄目だったら、もう漫画家からはきっぱりと足を洗おう。

そんな想いで持参した赤塚の原稿に目を落とし、じっくりと読んだ寺田は、赤塚にこうアドバイスをしたという。

「僕ならこれから、五本の作品が描けるよ。君は詰め込み過ぎだよ」

つまり、ページ数が限られているにも拘わらず、描きたいプロットを全て詰め込んで描いているため、テーマが一本に絞れていないことを、寺田は指摘したのだ。

この時、赤塚はトキワ荘の家賃を四ヶ月間滞納していた。

寺田はそのことを見越して、赤塚にその場で五万円もの大金を貸してあげた。

トキワ荘の家賃が一ヶ月、三千円だった頃の五万円である。

寺田の激励に支えられ、赤塚は、オリジナル執筆に情熱を注ぎつつ、来るべき日に備えて、夜はギャグのアイデアや物語のプロットをプールしていった。

日記帳に一つでも面白いと思えるアイデアを書き込むまで、寝ないという誓いを立てたうえでの日課だったため、突発的な原稿依頼にもネタに事欠くことはなかったという。

そして、この年の秋、赤塚にとって千載一遇のチャンスが訪れる。


石塚不二太郎・Uマイア・いずみあすか 石ノ森章太郎、水野英子との合作作品

2017-11-24 23:13:00 | 第1章

この間、前年の「石塚不二太郎」名義で、石ノ森章太郎との合作による描き下ろしのミステリーアクション『その仮面をとれ』(若木書房、4月20日発行)を執筆した流れから、フレキシブルなエディット感覚に定評のある丸山昭が、石ノ森と赤塚、既に講談社でその才能を開花させていた水野英子との合作をプロデュースすることとなる。

そのプロジェクトにより、石ノ森、赤塚、水野の三人は、ファラオの時代を舞台に、エジプトとエチオピアという二つの国によって引き裂かれた若い男女の悲しい愛のドラマ、ジュゼッペ・ヴェルディの『アイーダ』(原案・オギュスト・マリエット)を翻案した『星はかなしく』(「少女クラブ」58年8月号別冊付録)や、『旧約聖書』の「士師記」を原典とした歌劇で、神から怪力を授かったサムソンの復讐と悲劇の叙事詩『サムソンとデリラ』をコミカライズした『赤い火と黒かみ』(「少女クラブ」58年3月号別冊付録)、石ノ森がアイデアを練り、考案したストーリーで、可憐な少女が家族とともに殺人事件の謎に挑む推理サスペンス『くらやみの天使』(「少女クラブ」58年10月号~59年3月号)といった作品を、U・マイア名義で発表した。

その他にも、石ノ森との合作では、「いずみあすか」名義で、『ちりぬるを』(「少女クラブ お正月まんが増刊号」58年1月15日発行)、『そしてミヤはいなくなった』(「少女クラブ」58年3月号)、『消えてゆく星』(「少女クラブ」58年1月号)をいずれも「少女クラブ」本誌や別冊付録等に執筆することになるが、U・マイア名義の作品では、ネームと構図は全て石ノ森が担当したほか、ヒロインは水野、ヒーローは石ノ森がそれぞれ担当し、赤塚の主な受け持ちはその他大勢と背景で、扱いとしては、殆どアシスタントのようなものだった。

いずみあすか作品でも、赤塚の執筆部分は、U・マイア作品の時とほぼ同じで、漫画を描き続けてゆく自信を失いかけた赤塚は、段々と石ノ森のアシスタント的立場に甘んじるようになってゆく……。

この頃、赤塚の窮状を心配した母親のリヨが上京、トキワ荘で同居することとなり、赤塚の身の回りの世話をするようになった。

赤塚もまた、当時『鉄人28号』で一躍流行作家の仲間入りを果たしていた横山光輝のアシスタントの出張アルバイトをすることで、母親の生活費を捻出した。

戦後の荒廃から、一〇年余りを経て、朝鮮戦争による特需依存から脱却した日本経済が、安定軌道に乗り上げた50年代後半、『経済白書』に「もはや戦後ではない」という言葉が明記され、経済面における戦後復興の終了を高らかに宣言。所謂「神武景気」の時代が到来した。

マスメディアにおいては、「週刊新潮」を皮切りに、一般週刊誌が相次いで刊行された。

また、テレビ局も、NHK、日本テレビに続き、新たな放送局が次々と開局され、まさに時代は、経済と文化の転換期であった。

スクリーンの世界では、石原慎太郎が芥川賞を受賞した『太陽の季節』で、その実弟である石原裕次郎が、宍戸錠、名和宏といった若手人気俳優に続き、日活のニューフェイスとして、華々しくスクリーンにデビュー。同世代の若者達の間に熱烈なブームを巻き起こし、「太陽族」なる流行ファッションも生まれた。

テレビでは、『やりくりアパート』、『お笑い三人組』、『番頭はんと丁稚どん』など、新たなバラエティー番組が一挙に放映開始し、いずれの番組も世間大衆から圧倒的な支持を得るに到った。

1958年には、国産初の子供向け特撮番組『月光仮面』の放映も始まっている。

確かに、赤塚が倦み疲れながら、少女漫画を惰性で描いている間、笑いをテーマにした漫画が増えつつはあった。

異色なところでは、貸本向けに描き下ろされた作品で、戦争や軍隊生活における狂態や不条理さを揶揄的な視点からカリカチュアした前谷惟光の『ロボット三等兵』が挙げられるが、雑誌の世界では、山根赤鬼の『よたろうくん』や大友朗の『出世だんご山』のように、おっとりとした与太郎的なキャラクターの少年が失敗を巻き起こすという、謂わば、落語の世界をそのまま漫画に持ち込んだような作風が潮流で、そのどれもが古色蒼然たる前近代的なイメージを脱してはいなかった。


生きることの幸せを謳いあげた『お母さんの歌』

2017-11-20 23:08:26 | 第1章

若木書房では、二冊目となる『お母さんの歌』(若木書房、58年11月25日発行)は、出生の秘密を知り、呻吟する少女とその家族の絆を抒情性溢れる筆致で描き、生きることの幸せを謳いあげた人生の賛美譚。

家族同士の深い結び付きを通し、人間心理の機微や人生の喜怒哀楽を濃密な実感を込めて綴ったこのドラマの最大の山場は、それまで優しかった筈の兄が、不良仲間との交流を重ね、次第に非行へ走ってゆく中、主人公であるみすずが、自分が血の繋がった本当の家族ではないことを告げられるシーンだ。

ショックを受けたみすずは、家族と離れ、自らの意思で本当の両親がいるとされる新潟へ一人旅立つが、その決意を耐え難き感傷から沸き立つ家族への反発ではなく、自らの悲痛な感情の置き場を探し求めた、内なる自分との必死な闘いに準えて描いているところに、この作品の美質とも言うべき重さがある。

やがて、ドラマはみすずとその家族が本当の絆を取り戻す大団円を迎える。

楳図かずお作品に象徴される幻想的なミステリーや怪奇ホラーが全盛になりつつあった少女向け貸本漫画において、家族の絆をしっとりと描いた本作は、オーソドキシーにして、些か地味なドラマトゥルギーに終始した感も否めないが、その根底からは、後々の韓流ドラマの世界観にも通底する人間愛の発露が重く捉えられ、そうした話材選びに適した良質のテーマの選択からも、赤塚の作品に向けた直向きな誠実さがヒシヒシと伝わってくる。

また、この頃になると、漫画と映画、そして文学との連動性から発想を紡いだストーリーテリングの様式美のみならず、画力アップも目覚ましく際立ち、後の方向性を思わせるユーモラスな場面展開を実験的に取り入れるなど、短期間のうちに、作風がこれほど変貌上達したことに、正直驚かされる。

しかし、そうしたレベルアップを図りながらも、赤塚のオリジナル執筆は、次第に控え目な状態となってゆく。

新たな発表舞台となった「りぼん」では、生き別れた母と娘の再会を抑制の利いた演出でしっとりと描いた『ユリ子のしあわせ』(58年1月号)、一人の内向的な少女が再び生きる希望を取り戻すまでの意識と心理の流れをきめ細やかな情感をもって綴った『ひまわりと少女』(58年8月号)といった作品を執筆。いずれも、ヒューマニズムを基盤とした少女漫画であり、舞台となる田園風景における描出の繊細さが、少女の心象風景と重なり合い、センチメンタルな作品世界を一層際立たせるなど、描写の奥深さが散見出来る安定感を纏った短編を発表したが、描き下ろしの単行本は、前述の『お母さんの歌』のみで、その後、雑誌の読み切りは、断続的に数本描かれるのみに留まった。


『白い天使』 心に染み入るヒューマンな感傷

2017-11-20 17:03:00 | 第1章

続く『白い天使』(若木書房、57年7月25日発行)は、前作とは打って変わり、仔犬とのハートフルな交流を軸に描いた二人の姉妹の成長物語である。

犬が大好きな心優しい女の子、ミチ子には、ノリ子という気立ての良いお姉さんがいた。

二人は東京・下町の工場地帯の一角にある小さな家に、母親と三人、仲睦まじく暮らしていた。

ある日、仔犬が近所の悪童達に虐められているところに遭遇したノリ子は、仔犬を助け、逃がそうとするが、犬好きのミチ子に促され、気乗りしないまま、家へ連れて帰る。

大の犬嫌いである母親の許しなど得られるわけがないと、ノリ子は思っていたのだ。

だが、母親は、仔犬を座敷に入れないことを条件に、飼うことを許してくれる。

ノリ子は仔犬にゴッドと名付けた。

人懐っこいゴッドは、やがて母親にも家族として受け入れられるようになった。

ゴッドが家族の一員となって幾日か経ったある日、ノリ子とミチ子がゴッドを連れ、公園で遊んでいると、ノリ子が追い払った悪童が、兄貴を引き連れ仕返しにやって来た。

恐れ戦くノリ子とミチ子。だがその時、颯爽と現れ、彼女達を救ってくれた少年がいた。

少年の名はよしはる。

やがてノリ子は、逞しくて凛々しいよしはる少年に、恋心に近い憧れの感情を秘かに抱くようになるが……。

『心の花園』同様、最後に悲しい結末へと収束される薄幸の少女物のフォロワーだが、格闘シーン等、時折挿入される劇画的演出の妙が、適宜にして効果的であり、作品世界に絶妙な間合いを持たせたそのディテールも含め、決して軽視出来ない一作だ。

このように、初期の赤塚少女漫画には、一作ごとに新たな意匠を凝らし、作風の幅を広げるなど、試行錯誤を重ねた跡が確実に見て取れ、そんな赤塚の若きセンシビリティの躍動は、汲めども尽きせぬ興趣がある。

哀話でありながらも、陰惨さは決してなく、健気さ、美しさといった人間本来の美徳が、優しい温もりに包んで描かれており、心に染み入るヒューマンな感傷を全編に渡って滲ませた、得難き名編へと仕上がった。


少年活劇路線のエッセンスを少女漫画に溶解させた『消えた少女』

2017-11-19 04:13:24 | 第1章

『消えた少女』(曙出版、57年8月20日発行)は、犯罪に巻き込まれた一人の少女が誘拐されたことによって展開されるサスペンスアクション。

スタジアムで野球観戦に興じていたエリ子とその兄の大三は、試合観戦後、スタジアム近くの路上でスリに遭遇する。

その後、エリ子と大三は喫茶店に立ち寄り、試合結果の賭けに負けたエリ子が、会計を済まそうとバッグを開けると、そのバッグの中には、身に覚えのない大金が入っていた。

その大金は、先程のスリが証拠隠滅のために、エリ子のバッグに忍ばせたものであった。

大三は、その金を警察に届けようとし、先にエリ子をタクシーで自宅へと帰らせるが、エリ子の乗ったタクシーは、不審な車に追跡され、エリ子が自宅前に到着したその時、追跡車輌から降り立ったスリ一味にその身を拐かされてしまう。

その夜、身代金を要求するスリ一味からの電話が、エリ子の自宅に掛かってくる。

警察は、スリ一味の指示通り、身代金を用意させ、エリ子の父を指定の場所へと向かわせるが、思わぬ行き違いにより、取引現場にやってきた犯人の一人を取り逃してしまう。

それから数日後、エリ子の身の危険を案じ、エリ子のボーイフレンド、勇二とともに次なる対策を考えていた大三は、我が家を覗き見しようとしている、身に覚えのある男の姿を発見する。

その男は犯人グループの一味で、警察の動向を探るべく、エリ子の自宅を偵察にやって来たのだ。

この男の後を付ければ、犯人の隠れ家、延いては、エリ子の居場所がわかると判断した大三は、勇二にタクシーで男の車を追跡させるが、その行く手には、勇二をも誘拐しようとする犯人一味の恐るべき策略が待ち受けていた……。

エリ子と勇二の運命は如何に……?

少女漫画でありながら、正義感溢れる勇敢な少年が、拐われた少女を救うべく、果敢に悪漢どもと対決し、活躍するという少年活劇路線のエッセンスを少女漫画に持ち込んだ意欲的な一作であり、スピーディー且つキレの良いカッティングが、犯人一味との息詰まる攻防を緊迫感一杯に盛り上げている。

謎解きへの証拠付けとなる布石や伏線を磐石としたサスペンス本来の醍醐味とは趣の違う、成り行きの緊張感のみにドラマの展開を委ねた異端の少女ミステリーであるが、犯人を追跡する勇二少年に次々と襲い掛かる巧妙な罠や、不安感を募らす戦慄の連続によって、読む者の目をラストまで釘付けにするテンポの良いプロットの数珠繋ぎが、ドラマのスリル感を加速度的に高めてゆくなど、作品としてのクオリティは極めて高く、良質の冒険小説にも匹敵する興奮と愉悦を確保した奇跡の一本と呼べるだろう。

尚、同時期に赤塚は「少女ブック」の別冊付録(57年12月号)に『うごく肖像画』という傑作短編を執筆している。

古い洋館を舞台に、ナポレオンの肖像画を巡って起こる怪奇現象をモチーフとした少女ミステリーで、ドラマのラストには、予測不能の大どんでん返しが読者を待ち構えている。

これまで単行本収録を見送られてきた、まさに幻の傑作であり、今後赤塚作品のアンソロジー集が刊行される際、資料的価値をも超える作品としてのそのバリューが認められ、収録作品の一つとして陽の目を見ることを切に願う次第だ。