文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

赤塚流「本気ふざけ」が結実 写真コミックへの挑戦

2020-09-03 07:58:21 | 第4章

「週刊少年サンデー」は、赤塚が漫画以外のところでも、自らの肉体や行為そのものを晒け出し、サービスマインドに徹した「本気ふざけ」を繰り広げて、誌面全体を賑わすなど、そのエンターテイナーぶりを発揮した最初のメディアでもあった。

その代表的な例が、「異色カラー写真コミック」と銘打たれた『マッピルマの決闘』(69年25号)や『現金カッパライ作戦』(69年37号)といった、野放図に解き放たれたグラフィック感覚がバッチリ決まった一連のグラビア企画である。

「フジオ・プロ演劇部」なる部署を洒落で立ち上げ、赤塚以下、当時、スタジオ・ゼロのアニメーターから、作画スタッフとしてフジオ・プロへ参入してきたとりいかずよし(代表作『トイレット博士』、『うわさの天海』)、古谷三敏、長谷邦夫といった面々がアクターとして画面狭しと登場したほか、この頃、「鳥取県が生んだ偉大なる芸術家」というフレーズが流行語となり、既に、ザ・ドリフターズと人気を二分していたドンキーカルテットをゲストに迎え、大ロケーションを慣行するなど、四色カラーのグラフィックコミックとしては、超豪華版とも言える仕上がりとなった。

元々は、赤塚がリーダーである小野ヤスシと個人的に親しくなった関係から、ドンキーカルテットのメンバーとフジオ・プロスタッフが総出演する企画ページは出来ないものかと、謂わば、遊びの延長で立ち上がった企画であったが、美術会社に依頼し、本編並みの衣装や小道具を揃えてもらい、また、多忙を極める中、徹夜でプランを練り上げ、構成に携わるなど、いずれも、赤塚の徹底した「本気ふざけ」が結実した好企画となった。

『マッピルマの決闘』は、「座頭市」をベースとしたさすらい物のパロディーで、主役の赤塚は離れ離れになった最愛の妻・トラ子を探し求めて、アメリカ西部を旅する「もーれつ市」なる素浪人の役だ。

もーれつ市の妻・トラ子は、ドンキーカルテットの猪熊虎五郎が演じ、トラ子を訪ねてきたもーれつ市の命を狙おうとする悪漢・ドンキー兄弟に、小野ヤスシ、ジャイアント吉田、祝勝らがそれぞれ配され、持ち前の芸達者ぶりと白熱のアドリブ芝居でドラマを盛り上げた。

二日間、富士の裾野に合宿し、一気に撮影するという強行スケジュールだったそうだが、そんな突貫工事ぶりを感じさせない、高いクオリティーを誇るナンセンスフォトグラフ劇だ。

『現金カッパライ作戦』は、拐われた美少女令嬢を救出すべく捜査に乗り出した、赤塚演じる紅顔の老刑事と、とりいかずよし演じる迷宮刑事が活躍するミステリーアクションで、令嬢を誘拐したギャング団を、今回もドンキーの面々が演じ、サスペンスとオフビートなドタバタの融合を基本軸としたギャグの連打が、ファンクなグルーヴを弾き出す快作となった。

神宮外苑から迎賓館、横浜の赤レンガ倉庫へと、少人数による撮影だったため、移動だけでも一苦労も二苦労もあったという。

私事で恐縮だが、以前知人を介し、『現金カッパライ作戦』で令嬢役を演じた植田多華子から当時の話を伺うという思わぬ収穫を得ることが出来た。

MGCというプロダクションに、当時子役として所属していた彼女は、評判の美少女ぶりから、この撮影に駆り出され、撮影中は一緒に楽しく食事をしたり、サインに快く応じてもらったりと、赤塚とドンキーのメンバーにはたいへん可愛がってもらい、今尚少女時代の素敵な想い出として、深く胸に刻まれているそうな。

これらのグラフィックコミックは、『おそ松くん』の大ヒットで、『週刊アカツカ』、『赤塚不二夫寄席』といった等身大の赤塚不二夫像をダイレクトに伝える写真コラムや特集記事が、「サンデー」の巻頭グラフに時折掲載されるようになった際に、その遊び企画の一環として、赤塚自らが女装したり、素浪人やギャングのボスに扮装したりと、得意の百面相を披露していた変装劇に、そもそもの発想の原点があったと思われる。

写真コミックは、赤塚自身お気に入りの媒体として、その後も幾本か手掛け、赤塚人脈からは、タモリ、団しん也らがゲスト出演する『赤塚不二夫のパロディ・ゲリラ』(『文藝春秋デラックス』78年5月号)なる読み切りや、文章とフォトコミックのコラージュ企画『赤塚不二夫のギャグ・フォトランド』(『ショートショートランド』81年春・創刊号~82年冬号)といった季刊連載等、散発的に発表してゆく。

『パロディ・ゲリラ』は、予算の枠組みから写真は殆ど使えず、タモリ、団しん也といった当代きっての人気タレントをキャストとして起用しながらも、漫画に僅か何点かの写真を添付しただけという、恐らく赤塚自身も満足いかないであろう出来栄えとなった。

因みに、当時の横溝正史ブームに便乗してか、この時の赤塚の役どころは、名探偵・金田一耕助だった。

『赤塚不二夫のギャグ・フォトランド』は、丸二年に渡って掲載された写真で見せる短編コント集。

後程紙幅を割き、改めて言及するが、1976年、「馬鹿なことを真面目にやる」という旗印のもと、作家の赤瀬川原平、詩人の奥成達、漫画家の高信太郎、それに長谷を加えて結成された「全日本満足問題研究会」が、様々なナンセンスフォトグラビアを「週刊読売」誌上にて発表していた流れから生まれた悪戯企画と言えようか。

ドラえもんやミッキーマウスのパロディーキャラに扮した、被写体たる赤塚の珍芸パフォーマンスが、呆れる程馬鹿馬鹿しくもあり、また稚気満々で微笑ましくもある。