文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

性同一障害を逸早くテーマに取り入れた『スパルタッコ』 下町人情ギャグの隠れた傑作『青い目のバンチョウ』

2020-08-23 16:03:37 | 第4章

『ぶッかれ*ダン』の連載と同時執筆された『スパルタッコ』(「週刊少年サンデー」71年4・5合併号)は、浮気性の妻に逃げられた父親から、徹底したスパルタ教育を受け、勇ましい日本男児へと変えさせられてしまった少女の、乙女心に揺れる心理的葛藤と苦悶に満ちたその日常を、程好いペーソスにくるんで紡いだ傑作中短編。

トランスセクシャルなどという言葉が一般に広く浸透する遥か以前に、自らの生物学上の性別と、所謂ジェンダーアイデンティティーとが結び付かず、生来の性別から背き離れた性への適合を意識する、ある種の倒錯したメンタリティーをコンセプトとし、異常度を高めた笑いへと転化させたその先見の明には、感服せざるを得ない。

尚、本作のヒロイン・景虎のネーミングは、戦国時代、越後国の大名で、関東管領でもあった上杉謙信の初名・長尾景虎にインスパイアされたものであり、本編に関しては、姫路藩藩主・松平忠明が記した史書『当代記』等の記述や連綿と語り継がれてきた謙信に関する数々の逸話から、1968年、歴史作家の八切止夫が唱えた「上杉謙信女性説」に着想を得たものと見て間違いないだろう。

当時としては、非常にセンセーショナルだったこの俗説(八切史観)は、後に数多くの小説や漫画のテーマとして取り上げられるが、本作『スパルタッコ』は、「謙信女性説」を戯画化した極めて初期のケースであり、滝沢解のシナリオも含め、後発の諸作品では味わえない何処か情念的な、唯一無二の泥臭い妙味に満ちている。

また、若干時代は飛ぶが、『レッツラゴン』連載時の1973年、「サンデー」の創刊十五周年を記念して描かれた六〇ページの大作読み切り『青い目のバンチョウ』(14号、原作/山中恒)も、この項目にて取り上げたい。

人気ドラマ『あばれはっちゃく』の原作者としても名高い児童文学作家・山中恒のその世界観に強い感銘を受けたという赤塚たっての申し入れで、コミカライズが実現したこの作品は、心優しい日本人夫婦を、本当の父と母として慕い、周囲から謂れのない偏見の目を注がれながらも、自らの内面にしっかりと根差した誇り高き江戸っ子気質で、正々堂々と日々を生きようとする異邦人の少年の成長を綴った長編ストーリーである。

担当の武居記者は、ギャグ漫画の構造基盤をも解体しかねないアナーキーな異常性を爆発させた『レッツラゴン』とは、幾分様相を異にしているせいか、後に本作を失敗作であったと指摘していたが、笑いの起爆性は稀薄であっても、山中作品の精髄が損なわれることのない、心を込めた篤実な筆致で描かれており、感涙と微笑みが渦巻く余韻と癒しを内に秘めた、意義深い作品になり得たと、個人的には評価に値する労作だ。


脱力対決『はくち小五郎』「タケちゃんマン」「仮面ノリダー 」の原点(!?)

2020-08-23 07:32:39 | 第4章

『もーれつア太郎』、『ぶッかれ*ダン』の連載時期においても、赤塚は更に多忙を極め、「週刊少年サンデー」誌上でも、長編読み切り等、イレギュラーの作品を複数本同時執筆することになる。

1972年から「冒険王」にて連載開始された『はくち小五郎』(72年6月号~74年12月号)も、元々は69年、「サンデー」(33号)に読み切りとして描かれた短編をシリーズ化したものだった。

但し、「サンデー」掲載時のタイトルは、『大バカ探偵 白痴小五郎』となっている。

大正から昭和中期に掛け、大衆推理小説の第一人者として健筆を振るっていた江戸川乱歩の『怪人二十面相』シリーズの大ファンだった赤塚は、時代に置き去られ、現代では失笑の対象でしかなくなった名探偵・明智小五郎と怪人二十面相の、ともすれば色褪せて感じる台詞廻しや物語的偏執を、明晰なギャグの位相に嵌め込むことが出来ないかと、以前より構想を練っていたという。

『おそ松くん』絶頂時、ペンギンと九官鳥の合の子・カン太を助手に持つ、シャーロック・ホームズ探偵学校の落第生のキンちゃんと、怪盗アルセーヌ・ルパンのどろぼう学校を落第しつつも、本人は世界を股に掛けて暗躍する大泥棒を自称する駄目怪盗・1/2面相とのあくなき頭脳戦(⁉)をドタバタテイスト一杯に炸裂させた、『怪盗1/2面相』(「少年ブック」66年4月号~8月号)なる作品を執筆していたが、それでは飽き足らない赤塚が求めたのは、笑いの持つ破壊力を更に強化させ、頭脳明晰なヒーロー探偵と現実感稀薄な怪盗紳士による推理対決を、矛盾だらけの独断的推理による、混乱と翻弄に満ちた狂躁のドラマへとすげ替えてゆく一点にあった。

そして、『怪盗1/2面相』をドラマ進行の基本ラインにしつつも、主人公を可愛らしい落ちこぼれ少年探偵から、冴えない大バカ中年探偵へと180度転換。主役の探偵を自らのロジックと行動原理に忠実なトラブルメーカーの権化に準え、『はくち小五郎』は、純然たるスラップスティックナンセンスとして執筆される。

はくち小五郎は、大東京中落合にある、うらぶれたラーメン店の二階にオフィスを構える腹ペコ迷探偵だ。

このはくち迷探偵、敬愛する明智名探偵にあやかってか、唯一の助手である我が息子を小林少年と呼び、目白中落合署に舞い込むありとあらゆる事件に首を突っ込んでくる。

はくち探偵が調査に乗り出すと、もう大変。事件とは全く関係のない善良な市民を犯人にでっち上げ、捜査を撹乱し、あげくの果てには、幸福な家庭をも崩壊せしめるなど、私立探偵という立場にありながらも、その暴走は触法行為にまで及んでしまう。

そんなはくち探偵に振り回され、辟易する所轄の大バナ警部との遣り取りや、はくちが追い続ける怪人三十面相をはじめとする珍妙奇天烈な怪盗達との対決軸が、ミステリーとしての論理的整合性を転覆させ、その物語は毎回、無意味な道化とシュールな感触が紙一重となった、不可思議な奥行きを広げながら展開してゆく。

特に、「怪TOTO便器現わる」(「冒険王」73年3月号)や「怪盗カニーファイブ対迷探偵はくち小五郎‼」(「冒険王」74年2月号)で描かれた迷探偵はくち小五郎と、便器や蟹をイメージしたギミック満載の人物造形も含め、支離滅裂なキャラクター設定が施されたダウナー系怪人との途轍もなく馬鹿馬鹿しいコンフロンテーションは、その作風やプロットにおいて『ドッキリ仮面』(原作/神保史郎・漫画/日大健児)と並び、後の人気バラエティー『オレたちひょうきん族』のタケちゃんマンとブラックデビルといった敵キャラとのバーサスを描いたコントドラマや、『とんねるずのみなさんのおかげです』のコーナードラマ「仮面ノリダー」のノリダーと奇っ怪な縫いぐるみ怪人との脱力対決のルーツと位置付けられる、当時としては非常にアバンギャルドな笑いをリードしており、こんなところにも、赤塚の類稀なる進取性を感じ取ることが出来る。

『はくち小五郎』は、赤塚漫画としては一般的にはマイナーな部類に入るタイトルと言えようが、「サンデー」版が発表された直後、本作のシリーズ化を想定し、東映動画主導によりテレビアニメ化の企画が立ち上がっていたことは、全くと言っても良いくらい知られていない事実であろう。

東映動画の企画書によれば、30分番組で一話完結の物語を予定していたようだが、どういう事情で企画そのものが立ち消えになったのか、未だもってその理由は謎のままだ。

尚、Gペンを使った描線の強弱によって、顔芸などのリアクションを強調したタッチを見れば、安易に識別出来るが、『ニャンニャンニャンダ』の後半部分同様、エピソード中盤からは、ヘッドスタッフの斎藤あきらが全ページの代筆を受け持つようになり、やはりスタンダードな赤塚タッチからかけ離れたアメコミ的世界観が演出されるようになった。

このバタ臭い小洒落たタッチの仕上げなどをサポートしたのは、当時フジオ・プロのスタッフで、やはり「MAD」等のアメリカのパロディー・サタイア誌におけるアートイメージの影響を色濃く受けた絵柄を、自身のオリジナルとしていた青村純三だと思われる。

それと、オリジナルの「サンデー」掲載版と正規の「冒険王」の連載版、同じく1972年に執筆された『週刊漫画ゴラク』(1月13日・20日合併号)掲載の青年向け版(タイトルは『白痴小五郎』)とでは、小林少年のキャラクターメイクが大幅に異なるものであったことも、ここに付け加えておこう。


「同棲時代」の先駆的作品『ぶッかれ*ダン』 永井豪作品との比較論

2020-08-16 08:32:05 | 第4章

『もーれつア太郎』の連載終了から、中四週のインターバルを挟み、『ギャグ+ギャグ』連載中の第32号に、満を持しての新連載『ぶッかれ*ダン』が登場する。

『ぶッかれ*ダン』は、妻に先立たれた、子連れの年上男性と結婚した新妻が、様々な苦難に晒されながら、妻、母親、学生として懸命に生きてゆく姿を描いた富島健夫のベストセラー小説で、その後、関根恵子(現・高橋惠子)、麻田ルミといったフレッシュな若手女優を主演に抜擢し、映画、テレビドラマと相継いで映像化されたことにより、大人気を呼んだ『おさな妻』からヒントを得て挑んだ意欲的なシリーズだ。

小学生のダンは、アイちゃんという同じ小学生の可愛い女の子と一つ屋根の下で暮らす妻帯者だ。

学校では、腕白三昧のダンだが、家では亭主関白を気取りつつも、その実、アイちゃんには全く頭が上がらない。

一方のアイちゃんは、料理が上手で、掃除も洗濯もバッチリこなす出来た女房であったが、ダンが他の女の子と話すだけでカリカリきちゃう強烈なヤキモチ焼きだった。

二人は、時には仲睦まじく、また時には衝突し合い、子供でありながらも、その絆を深め合っていたが、ある日、家出同然でダンの押し掛け女房となったアイちゃんは、田舎のパパが雇った探偵にその居場所を突き止められ、パパはアイちゃんを連れ戻すとともに、ダンをブチ殺してやろうと、二人が住む家へとやって来る。

愛娘を拐かしたことへの怒りだけではなく、ダンの家とアイちゃんの家は、一〇〇年も前から憎しみ合う因縁の間柄だったのだ。

アイちゃんのパパは、あまりにも理不尽且つ直情的な性格で、怒り狂うと、平気でライフルをぶっ放す、ガンマン被れのアブナイ人間だ。

アイちゃんがパパに連れ去られたことで、二人の仲は引き裂かれてしまうが、ダンは腹を括り、アイちゃんを連れ戻すべく、担任のゲスペタ先生や悪ガキ仲間を引き連れ、アイちゃんの実家のある田舎へと乗り込んでゆく……。

果たしてダンは、アイちゃんを連れ戻し、再び愛の巣で、二人だけの幸福な生活を送ることが出来るのか……。

子供同士の夫婦が一軒の家に住み、新婚生活を送るというシチュエーションに限っては、これより何年も前に、既にアイデアとしてキープしていたというが、当時、少年漫画誌で絶大な人気を博し、赤塚ギャグの好敵手として意気軒昂な活躍を見せていた永井豪の『ハレンチ学園』、『あばしり一家』等、所謂ハレンチ漫画への対抗意識も、内在する要因としてあったのかも知れない。

主人公のカップルが小学生とはいえ、漫画で同棲問題を取り上げたという点は、やはり同棲という若者の一つの生き方を世間的に認知させ、後に、時代風俗を象徴するタイトルとして注目を浴びた上村一夫の『同棲時代』の先駆的作品となったと言えなくもないが、『ぶッかれ*ダン』に関しては、時代の空気を体現したドラマにはなり得ず、その作劇作法においても、実験精神の発露とは無縁な穏和性に準拠する、極めてホームドラマ的な要素への傾斜を深めていった。

既に飽食の時代を迎え、あらゆる文化が混沌と息づく昭和元禄というインタラクティブな季節にあって、思春期の少年達の興味やエネルギーの対象は、テレビ、週刊誌等、情報メディアの発達に伴い、空腹を満たすものから、性的興奮を与えるものへと露骨なまでにスライドしていった。

即ち、永井豪のハレンチ漫画は、そんな時代の必然的産物でもあったのだ。

そうしたブームの下地もあり、「サンデー」編集部は、永井作品を超える陽気なハレンチ表現を標榜した『ぶッかれ*ダン』のヒットを確信したというが、いかんせん、アイちゃんは、読者が求めるエロティックな魅力をアピールする永井豪ヒロインとは掛け離れた旧世代児童漫画特有の、些か湿り気を帯びた少女キャラクターだった。

『天才バカボン』や『もーれつア太郎』、後に描くことになる『レッツラゴン』を通読すれば、はっきりと見て取れるが、永井豪、ジョージ秋山といった新世代の漫画家が、立体的なディテールを併せ持つタッチで、少年読者のセクシャルな欲望や即物的な妄想を享楽的な笑いへと特化し、週刊誌メディアに新たなギャグ漫画のスタイルを構築しつつあった60年代後半以降、旧世代漫画の最終形態であるタッチの赤塚漫画がヒットを臨むには、その表現方法において、従来のギャグ漫画の境界域を突破し得る、巨大な起爆力が必要だったのだ。

確かに、ダンとアイちゃんの同棲生活を覗き見して収まりがつかなくなったり、見境なく小学生の女子児童に結婚を迫る担任のゲスペタ先生は、それまでの赤塚キャラにはない、突出した変態性を際立たせていたし、八年間風呂に入っていないという徹底した不潔ぶりから、顔に蠅の大群が群がるようになり、素顔が全く見えないゲスペタ先生の学友の登場は、そのキャラクター設定に、群がる蠅をマスゲームの如く操り、様々な物体に変身させる特技を持たせることで、日常の秩序に混乱を投げ込む、グロとナンセンスを一体化した不浄の笑いを取り込んではいた。

だが、ジメジメとした陰気なスケベぶりを更に拗らせ、露呈させているゲスペタ先生よりも、何の躊躇いもなく、猥褻な欲望を剥き出しにして女生徒に迫るヒゲゴジラやマカロニ先生(いずれも『ハレンチ学園』の教師キャラクター)の方が、より生々しくアグレッシブで、少年読者の性的な欲求不満を浄化するカタルシスを振り撒いていたことは明らかであるし、極めてグロテスクな存在であるものの、簡略化されたデフォルメにより、日常から乖離した不条理性を植え付けているゲスペタ先生の学友よりも、ゴキブリ入りのお握りや小便で泡立ったビールを余裕で口にする『オモライくん』の主人公のダーティさの方が、更に少年漫画のタブーを突き破り、生理的嫌悪感と表裏一体とも言える開放的なエンジョイメントを輝かせていたのは、紛れもない事実だ。

どんなに衝撃的で新奇性に富んだギャグセンスでも、それが読者に浸透した途端、漫画表現における一つのセオリーとなり、その系譜を辿る、パタナイズされたジョークや筋立てでは、記号化された絵柄によるリアリティーを喪失した作品世界にあって、ドラマ本来のダイナミズムを失うだけではなく、キャラクターそのものの魅力さえも損なうデメリットを孕んでいた。

それを乗り越えられるのは、絵の力による世界観の一新である。

パッケージ(絵柄)を変えることにより、形骸化した笑いをファッションの部分で機能させ、幾度となく再生させることも可能なのだ。

つまり、赤塚が目指した永井作品を超える陽気なハレンチ表現は、ダーティな描写も含め、赤塚のクラシカルなギャグタッチでは、最初から成立し得ない命題だったのだ。

結局、赤塚自身、「新たな殻を破るには至らなかった」と振り返るように、『ぶッかれ*ダン』は、イマイチ読者人気が盛り上がらないまま、掲載本数三〇本をもって「サンデー」より撤退(71年11号)する。

因みに、前掲の武居俊樹著『赤塚不二夫のことを書いたのだ』によると、『ぶッかれ*ダン』の第六回目(「モテモテアイちゃん けいべつぞ」70年37号)の締め切り日に、赤塚の母・リヨが危篤状態となり、原稿を落とせないという苦肉の策から、赤塚抜きでアイデア会議を開き、長谷邦夫がネーム、古谷三敏が当たりをそれぞれ担当したほか、フジオ・プロスタッフ総掛かりで第六話を代筆したとあるが、これは武居記者の記憶違いだ。

実際に、赤塚抜きで仕上げられたというその作品は、その後、アケボノコミックス『天才バカボン』第12巻(71年発行)に採録される『ああ‼大脱獄』(「サンデー」70年38号、単行本収録時には『天才バカボン番外地』と改題)という特別読み切りで、所長のバカボンのパパと看守長のニャロメが残虐の限りを尽くす私立バカボン刑務所に、無実の罪で収監されたイヤミ、チビ太、デカパン、ココロのボスら、お馴染み赤塚漫画の名バイプレイヤーが、あの手この手の手段を講じ、脱獄を試みる大脱走劇である。

武居記者曰く「この回の代筆に気がついた読者は、誰もいなかった。」とのことだが、明確なタッチの差異だけではなく、赤塚マジックによって昇華されていない凡庸なアイデアやヒネリのない落ち、キレのないギャグの数々は、赤塚作品のヘビィユーザーたる「サンデー」愛読者にしたら、オリジナルの赤塚ギャグとは似て非なるものであることは、一目瞭然だ。

尚、残念なことに、実現化には至らなかったが、一連の赤塚アニメの成功もあり、この『ぶッかれ*ダン』も、開局初のテレビアニメ、またドラマとして、NHKより映像化の企画を打診されていたそうな。

今回、誠に遺憾ながら、NHKサイドからオファーを受けていた制作会社や監督、予定されていた俳優や声優の配役等、詳細確認が出来ず終いで終わってしまったが、出来、不出来に関係なく、パイロットフィルムでも構わないので、映像化された『ぶッかれ*ダン』を、是非この目で一度見たかったものだ。 


ニャロメが主役の傍流作品と新生赤塚ワールドの萌芽『ギャグ+ギャグ』

2020-08-13 20:14:48 | 第4章

ブームの終焉を迎えた後のニャロメは、バカボンのパパと双璧を成す赤塚キャラの花形スターとして、その後もマルチな活躍ぶりを発揮することになる。

ニャロメを主人公に迎えた傍流作品としては、『ネコの目ニュース』(「新潟日報」70年6月6日付~71年4月24日付)『ドクターニャロメ』(「明星」70年4月号)『ニャロメ』(「リイドコミック増刊」73年5月号、「リイドコミック」73年6月7日号~74年9月5日号)が挙げられるが、そのいずれもが、反逆によって自己肯定を貫くニャロメのキャラクタリスティックに焦点が絞られており、ラディカリズムの有効性と切れ味鋭いシュール&ナンセンスの概念を効果的に重ね合わせた、前衛感覚溢れるファインワークとして完成を見た。

『ネコの目ニュース』は、マイナーな地方新聞を発表媒体とした、僅か十数コマのスペースの中で展開されるショートギャグ作品でありながらも、ニャロメ、ケムンパス、べしのナンセンストリオを狂言廻しに、物々しい政界汚職や深刻化する産業公害といった、当時の社会的状況を映し出した時事問題に鋭く切り込み、諧謔性を表出したシリーズで、サタイア的観点に貫かれたそれら笑いのメソッドは、後に大人読者を対象とし、好評を博すことになる『ギャグゲリラ』のアイロニカルな世界像へと大きくリンクしてゆく。

『ドクターニャロメ』は、人間の女の子に好かれたいと願うニャロメが、マッドサイエンティフィックな薬を開発し、そのスケベ心から退っ引きならない軋轢を引き起こしては自爆してしまうという、因果応報を明徴なテーゼに掲げながらも、ニャロメならではのチャイルディシュな滑稽的効果を描出した傑作中編。

町医者という設定にして、ほぼ人間に近い立ち居振る舞いでニャロメが主役を務めるコント的な状況生成は、その後、学者や探検家など、エピソードごとにキャラ付けを変化させることにより、笑いの底面積を広げ、定義不能の特異なドラマを提示せしめた『ニャロメ』へと引き継がれる。

『ニャロメ』は4ページという限られたページ数にして、青年誌を発表舞台にしているせいか、その作風は、作品全体を通し、幾分キッチュな雰囲気を漂わせ、先天的に女好きであるニャロメのキャラクター設定においても、猫でありながら、若い人間の女性に躊躇いなく肉体関係を押し迫るような、より卑俗的な側面が強調して描かれた。

尚、連載の途中からは、古谷三敏の紹介でフジオ・プロ入りした斎藤あきらによる代筆の含有率が高くなり、通常の赤塚タッチが醸し出す土着的なイメージを一新。アピアランスの領域において、アメリカナイズされた作品世界が構築されることになる。

長谷邦夫がネームを作成し、赤塚が作画を担当した『ニャロメの研究室』(「コスモコミック」78年9月20日創刊号~12月20日号、隔週連載)では、優れた学識を持ちつつも、鼻持ちならない学者猫という設定で登場。

アインシュタインの相対性理論や慣性の法則、ダーウィンの進化論等、数学やサイエンスといったアカデミックな分野を漫画と図解で解りやすく解説したこのシリーズは、1981年にパシフィカより描き下ろしの単行本として刊行され、ベストセラーとなった『ニャロメのおもしろ数学教室』や『ニャロメのおもしろ宇宙論』(パシフィカ、82年)『ニャロメのおもしろ生命科学教室』(パシフィカ、82年)『ニャロメのおもしろコンピュータ探検』(パシフィカ、82年)といったカルチャーコミックの先鞭を拓く仕事となった。

勿論、このシリーズの成功は、構成とネームを担当し、フジオ・プロのグーグル役を担っていた長谷邦夫の奮闘によるところが大きい。

その後も、ニャロメは、1997年の「まんがバカなのだ 赤塚不二夫展」の出展作品図録に描き下ろされた『ニャロメ』という読み切りに、息子とともに現れ、健在ぶりを見せ示したほか、視覚障害児童に向けて発表された触る絵本『よ~いどん!』(小学館、2000年)や、同じく点字とエンボス加工によって作られ、赤塚にとって事実上絶筆の作品となった『ニャロメをさがせ!』(小学館、02年)で、堂々の主役を張るなど、赤塚漫画のトップスターに相応しい、八面六臂のアクティビティを見せ付け、赤塚の漫画家人生のファイナルシーンを伴走した。

また、赤塚漫画や赤塚アニメから離れた他メディアにおいても、テレビCMをはじめとする広告媒体や、東映動画製作のアニメバラエティー『アニメ週刊DX!みいファぷー』で番組進行を担うホスト役として、ケムンパス、べしとともに登場し、映像分野でも目覚ましく活躍。グッズアイテムにおいても、衣料品を中心に、ファッションデザイナーのドン小西こと小西良幸が、自社ブランド『FICCE』で、ニャロメをデザインに取り入れたセーターやブルゾンを発表し、流行を発信するなど、単なるノスタルジーの枠には収まり切らない、普遍的な輝きを確保したスーパーキャラクターとして、その後もニャロメは、インテンスな存在感をアピールし続けている。

『もーれつア太郎』の連載終了後、赤塚は「週刊少年サンデー」誌上にて、瞬発的なギャグを連発して紡いだショートショート・シリーズ『ギャグ+ギャグ』の連載を1970年28号よりスタートさせる。

まだまだ根強い人気を依然として誇っていたニャロメをフィーチャリングしたこの作品は、コンパクトに纏められたスペースの中、毎回ニャロメがプリミティブな激情を爆発させ、人間社会で欲望の限りを尽くしてゆくカタルシス一杯の怪異記であるが、サディスティックなまでにニャロメがズタズタに切り刻まれるなど、後に描く『レッツラゴン』や『ワルワルワールド』(「週刊少年チャンピオン」74年~75年)等、血飛沫吹き出すグロテスクなスプラッタ描写さえも笑いに取り入れてゆく新生赤塚ワールドの萌芽となった「スッキリ・ヒネ坊」(70年29号)や、サイケデリック時代のオーラを如実に反映させた視覚的演出の妙が、極彩色に彩られた幻想的空間を顕在化し、読む者に危うい酩酊感を惹起させる「サイケ・サイケビーチにて」(70年31号)といった、ナンセンスの過激ぶりにより拍車を掛けた先鋭的要素の強いエピソードも、この時既に用意されており、赤塚ギャグ本来のシュールさを際立てて深いものにした。

同年37号をもって『ギャグ+ギャグ』の連載は終了。連載回数僅か一〇回という、次なる新連載の繋ぎとも言うべき短期連載であった。

尚、これらのエピソードは、アケボノコミックス『もーれつア太郎』第12巻(71年発行)に併せて収録されており、全話纏めて読むことが出来る。


新原作版で原点回帰 90年版『もーれつア太郎』

2020-08-13 11:26:50 | 第4章

1988年以降、続々と続いた赤塚アニメのリメイクラッシュに乗じ、90年4月にテレビ朝日系列で、前シリーズと同様、東映動画製作によるニューバージョンの『もーれつア太郎』(4月21日~12月22日放映)の放映が始まり、原作の方も、そのタイミングに合わせて、90年4月号から91年1月号まで「コミックボンボン」、同じく90年5月号から91年1月号まで「テレビマガジン」と、やはり講談社系列の児童誌にてリバイバルし、再度、赤塚自らの作画による新作が短期連載される。

「ボンボン」版の第一回目のエピソードは、物語の冒頭、ア太郎とデコッ八の二人が出会い、中盤においては、×五郎が木から転落死したりと、矢継ぎ早な展開を迎える中、旧作では途中登板したニャロメやココロのボスが賑やかしとして登場し、やはりグルーヴィーなノリで、激しくドラマを盛り立てるなど、新作アニメ版の第一話を基底としたストーリーが組み込まれており、アニメとのドッキング企画を明確に打ち出した編集部側のプロモート作戦の一端が、端々より垣間見ることが出来る。

新原作版のエピソードは、旧原作版と然程差異のない世界観をベースとしているものの、子供である筈のデコッ八がどういうわけか、軽トラックを運転していたり、ブタ松をア太郎やデコッ八の子分ではなく、街の顔役として定着させるなど、新原作版『おそ松』と同じくそのシチュエーションにおいて、幾分調和を失った珍妙な人物構成が施されている。

旧原作には登場しなかったモモコちゃんなる美少女キャラクターが、『ア太郎』のヒロインキャラとして、その作品世界に華を添えている点も、アニメ版とのタイアップを狙った、マイナーアレンジの一環と言えよう。

新原作版の『ア太郎』は、ドラマが確固たるフォーマットによって統一されている分、これに前後して描かれた最新版『天才バカボン』や『おそ松くん』とは異なり、ナンセンス性は影を潜めるものの、赤塚ギャグの原点回帰とも言えるホームコメディー的要素が強調され、円熟の域を極めた赤塚の流麗なストーリーテリングが満喫出来る好シリーズとなった。

尚、「テレビマガジン」版『ア太郎』は、2002年、小学館から刊行された『赤塚不二夫漫画大全集DVDーROM』に『もーれつア太郎 別巻』として収録されたが、「ボンボン」連載版は、単行本未収録のまま現在に至り、ファンの間では、幻のシリーズとして知られている。

「ボンボン」版『ア太郎』は、同誌掲載の諸作品と同じく、90年代赤塚ギャグのメインストリームであり、その記録的価値も含め、一刻も早い書籍化が望まれるところだ。