文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

青春の哀歓を詩情豊かに綴った『九平とねえちゃん』

2020-04-29 21:34:19 | 第3章

コアな赤塚ファンの間で、赤塚少女漫画の最高傑作の一つとして誉れ高き名作『九平とねえちゃん』もまた、別冊付録としてだが、ホームグラウンド「りぼん」(66年4月号)誌上にて発表された短編だ。

幼い頃、父親を事故で亡くした女学生のユキ子は、水質汚染された大きなドブ川が流れる、スモッグに覆われた工場だらけの下町の古寂れた家に、玩具工場で働く母親と腕白盛りの弟の九平とともに慎ましく暮らしていた。

ある日、ユキ子は、ふとしたきっかけで、写真館の青年・裕と幼い妹のヤエ子の兄妹と出会う。

ユキ子は、颯爽とした好青年の裕に対し、兄のように慕うとともに、恋心にも似た一途な感情を抱くようになり、やがて、ユキ子と九平、裕とヤエ子の四人は、母子家庭という同じハンデを背負った身の上から、お互いの苦労や喜びを理解し合い、真の兄弟姉妹のような親密な交流を結ぶようになった。

ある時、ユキ子は、裕から自らが原爆症を患っていること、そして、妹である筈のヤエ子の出生の秘密を告げられる。

裕が発症した原爆症は、放射線被爆により、一〇年、二〇年の潜伏期間を経て、白血病や悪性リンパ腫などの血液癌を引き起こす極めて深刻な晩発性のもので、当時はまだ不治の病として認知されていた。

裕の独白にショックを受けるユキ子ではあったが、いつか元気になった裕とデートがしたいと、希望に胸を膨らませ、街のテーラーのショーウィンドーで見た素敵なコートを買おうと、冬休みにスキー場へとアルバイトに向かう。

だが、その時既に、東京で入院生活を送っていた裕の身体は、確実に原爆症の病魔に冒されつつあった……。

後に、曙出版の「アケボノコミックス」レーベル『赤塚不二夫全集』(第13巻)で、表題作として新書化された際、赤塚自身、その解説文の中で、「残念ながら、いたるところで消化不良をおこしているこの作品は、私の意欲とは、ほど遠い出来になってしまいました。」

と、かなり否定的な感性で、この作品を振り返っている。

しかしながら、恋することへのピュアな憧れや、その裏にある深い沈鬱、憂愁に閉ざされた現実への戸惑いといった、思春期特有の二律背反する心理のアラベスクを純粋化したドラマトゥルギーに、被爆者問題という社会的にもデリケートなテーマを妥協なく溶解したストーリーテリングが、掛け値なしに素晴らしく、少女漫画の枠組みを用いつつも、原爆の脅威が個人の人生に及ぼす具体的なトラジェディーを写し出した反戦漫画の力作にもなり得ている。

実際、一人の少女が精神的に成熟を重ねてゆく過程を、緩やかに流れゆく意識の領域から照らし出すドラマの端麗さもさることながら、背景の描き込みも、通常の赤塚作品とは違い、遠望される幾本もの工場煙突や巨大な石油タンク、運河を跨ぐアーチ状の鉄橋といった下町情緒漂うノスタルジックな景観が、端整な技巧を凝らしてレイアウトされており、それらもまた、物語に与えた統一と調和が醸し出す登場人物達の生活描写と同じく瞠目に値するなど、コマの隅々に至るまで格調高い完成度を指し示している。

特に、トワイライトに包まれた工場地帯を背景に、裕と別れを告げたユキ子と九平が、その想い出を偲びながら、高まる感情を抑えて、家路に向かうラストシーンは、装飾的なケレン味を取り払ったシンプルな次元で表出されつつも、リリカルな解釈を読者に許して余りある白眉の名場面であると同時に、切々たる哀歓に彩られた深い情感が惻々と胸に染み込む感涙の瞬間だ。

因みに、『九平とねえちゃん』は、『点平とねえちゃん』(「少女クラブ 夏休み臨時増刊」60年9月15日発行)、『しろいかっぽうぎ』(「少女クラブ 夏休み増刊号」61年9月15日発行)といった過去に発表した二つの短編をベースに、両作品の悲劇を越えたポエティカルな要素を無理なく溶け合わし、ドラマのプロットを微妙にアレンジさせながら、一つの主題における多様性と様式の完成を意欲盛んに追求したリメイク作品である。

『点平とねえちゃん』は、テーマの深淵と悲劇的なドラマそのものが『九平とねえちゃん』のプロトタイプとなった作品で、『しろいかっぽうぎ』は、ワンピースが欲しくて、アルバイトをしてお金を貯めたものの、金額が僅かに足らず、割烹着用の白布を買わざるを得なかった一人の女の子の、諦観を突き抜きて沸き起こる細緻な情緒を、誠実を深めて綴った好短編だ。

どちらも、重々しい悲哀に満ちた人生の岐路や、嘆いても嘆ききれない、心をもぎ取られるような悔しさと対峙しながらも、そんな苦渋の現実さえも、夢や望みに染め直し、かいがいしく生きてゆく少女像を、無垢な感性と心温まる癒しの慈眼で着実に描き出し、品位に満ちたユーモアと心地好い感傷を美質としている。

本稿が発表された60年代半ば、池田内閣によって閣議決定された所得倍増政策の多大な影響により、国民の生活への意識レベルが確実に底上げされつつも、密接な人間同士の繋がりが、地域社会において未だ色濃く残っていた時代でもあった。

そうした時代にあって、邦画界では、『キューポラのある街』(監督/浦山桐郎)や『泥だらけの純情』(監督/中平康)、『愛と死をみつめて』(監督/斎藤武市)といった、吉永小百合、浜田光夫主演の日活の青春純愛映画が若者層を中心に圧倒的な喝采を受けていた。

因みに、『愛と死をみつめて』の原作は、一人の大学生・河野実と、軟骨肉腫により二一年という短い生涯を閉じたその恋人・大島みち子と数年間に渡る文通を、1963年に書籍化し、一五〇万部を超す大ベストセラーとなった書簡集だ。

これらの青春純愛映画もまた、初期赤塚少女漫画同様、困窮にめげることなく、心優しい周囲の大人達に励まされながら、その中で頑張って、清く正しく生き抜こうとする主人公の、精神的に成熟してゆく姿や、現実の生活とシンクロする彼らの何気ない喜びや苦悩が鮮やかに描出されており、そうした純粋性の発露が多くの共感を呼んだのだろう。

現在でこそ、漫画作品を原作とした本編が数多く製作されている日本映画界であるが、当時、既にそうした土壌が邦画界に根付いていたなら、この『九平とねえちゃん』も映画化され、青春純愛路線の優れたスタンダード作品として、沢山の観客の涙腺を緩ませていたに違いあるまい。


ヒューマニティへの賛美を主題に据えた『キビママちゃん』

2020-04-28 21:35:44 | 第3章

第一期『ひみつのアッコちゃん』連載終了後、翌号より、同じく「りぼん」誌上にて引き続き連載されたのが、ロバート・スティーブンソン監督、ジュリー・アンドリュース主演によるウォルト・ディズニー・カンパニー製作のミュージカル映画『メリー・ポピンズ』(原作/パメラ・トラバース)にヒントを得て描いたというホームコメディー『キビママちゃん』(65年10月号~66年8月号)である。

大会社を経営する裕福な大川家は、父親である桃太郎社長以下、男勝りでスポーツ万能、勝ち気な性格の長女・テツ子、花や人形が大好きで、お洒落にも興味津々という、ちょっぴりフェミニンな一面を見せる長男のカオル、悪戯が大好きなきかん坊でありながらも、動物好きという優しい一面を持つ次男のカン吉(『ひみつのアッコちゃん』より連続登板)、幼さゆえ、時折亡くなった母親を思い出し、涙にくれるものの、常に微笑みだけは絶やさない末娘のトコの二女二男の四姉弟が暮らす父子家庭だ。

若くして妻を亡くし、日々仕事に忙殺される男ヤモメの桃太郎社長は、ろくに子供達の躾も出来ず、お陰で大川家の四姉弟は、部屋はゴミだらけで、散らかし放題、喧嘩は日常茶飯事という、荒れ果てた毎日を送っていた。

そんな彼らに業を煮やした親戚の叔母さんは、ある日突然、春野キミ子という若いハウスキーパーを大川家に派遣する。

キミ子は、その可憐でキュートな見た目とは裏腹に、部屋の掃除も洗濯物の後片付けも、全て本人達にやらせ、彼らのだらしのない生活もピッチリ管理する猛烈に厳しい女の子だった。

当初、柔道の達人でもあり、容赦なくビシビシいくキミ子のバイタリティーに、現代っ子である子供達は、戸惑いを隠せなかったものの、キミ子の朗らかで優しいキャラクターと、みんなに希望と勇気を振り撒くそのハッスルぶりは、次第に彼らの心をガッチリと捉え、キミ子もまた、家族の一員として大川家に溶け込んでゆく。

そして、その厳しい性格と、何処となく亡くなった母親に似た面影を宿しているという理由から、キミ子は子供達から「キビママちゃん」のニックネームを貰い、キビママちゃんと子供達は、時には喧嘩をしながらも、血の繋がりという隔たりを越え、明るくのびのびと本音を言い合って、理解し合える対等の関係を築き、親子以上に強い愛情で結ばれてゆく……。

キビママちゃんや四姉弟の奮闘を通し、物事を率先して行い、自らの力量で最後までやり遂げてゆく自発的行動と意思決定の重要性を、作品のテーゼとして明確に示したエピソードがいくつも描かれているが、それらが気高い美意識に准えて掲げられているため、陰々滅々な説教臭さは微塵も感じさせない。

『キビママちゃん』は、リアルな日常を切り取った生活漫画でありながらも、舞台となる大川家の洋館風の邸宅やインテリア等のモダンなレイアウト、登場人物達の小洒落たキャラクターイメージなど、少なからず少女漫画ならではの華やいだ情趣に彩られており、その軽妙洒脱なやり取りと、ブライトな夢が注がれた当世風のドラマとの相乗効果により、何処となくアメリカのホームコメディーを彷彿させる、初期赤塚作品独特の泥臭さと 明らかな差異を含有した、ちょっぴり垢抜けた作風へと仕上がった。

本家『メリー・ポピンズ』では、ドラマを進行する重要なモチーフである不思議な魔法の能力を、本作を執筆するにあたり、押しなべて封印していることからも、赤塚自身、前作『ひみつのアッコちゃん』とは質の異なるカラーを打ち出し、その良質のテーマだけで、如何に読者にドラマの趣深さと共感性を訴えるか、試行錯誤を重ねていたかが伝わってくる。

後にステロタイプ化する装飾的表現と恋愛的要素をふんだんに盛り込み、様式美的な華麗さの追求を命題とした作品が勃興するなど、少女漫画というジャンルそのものが、大きく様変わりしつつあった変革期に、どんなに時代が変わっても、薄れゆくことなどないと信じたいヒューマニティへの賛美をテーマとして捉えている点に、清々しい心地好さを感じる。

既にこの時、赤塚は、ジャンルの時流から逸れつつありながらも、宮城まり子主演の同名タイトルの人気テレビドラマのコミカライゼーション版で、東北の分教場に赴任してきた新任の女性教師の奮闘と生徒達との交流を、細やかな人情とともにユーモアと哀切を織り交ぜて描いた『まりっぺ先生』(原作・舟橋和郎、「りぼん」59年4月号~12月号、4月号~11月号は別冊付録での連載)や、下宿人の募集に同時に応募してきた二組の姉弟が、一つの部屋をカーテンで区切って住み、当初は喧嘩ばかりしていた二組が、喜びや悲しみを分かち合いながら、次第に心を通わせてゆく人間模様をほんわかとしたタッチでスケッチした『夕やけ天使』(原作・高垣葵、「りぼん」61年11月号~62年4月号)といった、可憐で健気な、しかし芯のしっかりとした、逞しくて情に篤い女性の生き方を通し、時にはささやかな感動や幸せの瞬間を、また時には奥深い陰影をドラマに刻んだ秀作を複数執筆していた。

例え、悲歎に打ちしひがれても、心の望みを棄てずに生きることの尊さを謳い上げた、これら赤塚の少女向け生活漫画の延長線上に位置する産物にして、その作品様式の完成型として昇華させたものこそが、この『キビママちゃん』なのだ。

朗らかさや健気さといった、人間が本来持つ美徳を性善説の観点から描出し、地味だが、人間愛に基づいた癒しの幸福感がドラマの根底に注がれた作品だからこそ、人間関係の希薄化、延いては家族の孤立化が叫ばれ、稀ならず、育児放棄や児童虐待が横行するなど、物事の理非曲直に対する判断基準もが大きく揺らぎ、社会的においても、様々な病理現象が噴出するこの受難の時代に、是非読み継がれることを願わずにはいられない。

また、若干スノッブ感は禁じ得ないものの、近年マニアックなフェティシズム的倒錯からオタク文化の巨大水脈として完全に定着した、メイド萌えの要素を多分に含んでいる『キビママちゃん』には、時代をも先んじる進取性があると捉える向きもあり、そうした見解例からも、現在最も映像化に適した赤塚作品と言えるだろう。


青年コミック誌掲載版『アッコちゃん』

2020-04-27 00:03:30 | 第3章

少女誌を媒体としていた『アッコちゃん』だが、青年コミック誌掲載版も一作のみだが、特別企画として描かれたことも、最後に補記しておく。

創刊間もない「ヤングマガジン」の「巨匠ゲストシリーズ」として、石ノ森章太郎、藤子不二雄Ⓐらとリレー形式で掲載された『ヤング版ひみつのアッコちゃん』(81年2号)という読み切りがそれだ。

この物語は、アッコが鬱屈したロストバージン願望を胸に秘めたる、ウブでネンネな高校三年生という設定で、モコと同じ男子生徒を好きになってしまったアッコの、友情と恋心の狭間で揺れ動く思春期特有のときめきと苦悩が、軽快なラブコメ・タッチで描かれている好短編ではあったが、扇情的な恋愛要素や、魔法のコンパクトを素材に日常から飛躍したマジカルなドラマ的展開といった刺激性が希薄で、セクシャルな興奮と過剰な恥態シーンに貫かれたアダルトコミックの過激さのみならず、『アッコちゃん』本来のファンシーな世界観からも背離するインプレッションを纏った、どっち付かずの後日談となってしまった。

雑誌媒体の相違から、ファンタジー&メルヘンに主眼を置いた従来の『アッコちゃん』の既定路線とは異質のドラマがいみじくも引き出された展開となったが、名だたる自作キャラを汚れ役も厭わないシチュエーションでゲスト出演させ、かつての栄光はいずこ、とばかりに露骨なドサ廻りを転々流浪させることも少なくなかった80年代の青年向け赤塚作品において、アドレセンス期を既に迎えた設定年齢にしてなお、アッコにだけ純情可憐な乙女を演じさせるその過保護ぶりは、赤塚にとって如何にアッコが我が愛娘の如く愛おしく、また他のどのキャラクターよりも大切で、想い出深いヒロインであったかを実証する根拠となって余りある、と言説を強めるのは、些か極論過ぎと言えようか……。


アニメ版・第2作(88年)、第3作(98年)新原作・なかよし版『アッコちゃん』

2020-04-26 16:40:59 | 第3章

連載終了から実に十九年を経た1988年、フジテレビ系列による第二作目のテレビアニメ(88年10月9日~89年12月24日)の放映開始に伴い、「なかよし」10月号より、再び『アッコちゃん』の新作がリメイク連載される。(~89年9月号)

こちらも『おそ松くん』同様、レトロブームに便乗したテレビアニメとのタイアップ企画で始まったシリーズ連載だ。

第二作目のアニメ版では、アッコのキャラクターが第一作目の良家のお嬢様キャラをイメージさせるヒロイン像から一変、アクティブで男勝りな女の子像に設定されることになる。

また、前作のアニメ版では外国航路の船長という役どころだったアッコのパパが、当時テレビドラマの主人公にフィーチャーされる程花形職業として認知されていたニュースキャスターとして登場した以外にも、ママが超売れっ子の絵本作家という設定が付け加えられ、アッコ達ファミリーの住む家も、ロココ調建築の洋館から近代的なテラス付きハウスへと変更された。

これらのシチュエーションもまた、原作リメイク版のディテールに受け継がれ、作品全体にバブル景気時代のファッションや小道具、ライフスタイルが顕著に反映するなど、「なかよし」版の新原作は、「りぼん」版の旧原作とは全く趣の異なるファッショナブルなイメージを纏うと同時に、80年代少女趣味の嗜好を溶け込ませたキャッチーな美少女コミックへの傾斜を強めていった。

なお、「なかよし」版は01年に日本語と英語の台詞を併記したバイリンガル版も刊行。赤塚作品では00年、10年に『バカボン』、17年、19年に『おそ松くん』のバイリンガル版がリリースされ、幅広い世代の語学教育に活用されている。

第二作目のテレビアニメ・シリーズと「なかよし」版新原作の連載が終了した約八年後の1998年、『ひみつのアッコちゃん』は、再びフジテレビ系列において、三作目(98年4月5日~99年2月28日)のアニメが新作として放映される。

最高視聴率20・7%をマークするなど、レイティング面において、大健闘を見せた88年版『アッコちゃん』だったが、早々の段階で後番組の企画が決定していたほか、シリーズが高視聴率をキープし、余力を残したまま番組を終了することで、新たな『アッコちゃん』を再生し得ることも可能だという、テレビ局側のインテンションが働き、比較的短期のうちに放送終了した悲運のプログラムでもあった。

そんな諸般の事情を受け、暫しのインターバルを置いて復活を遂げたのが、第三シリーズである。

やはり、この第三作版『アッコちゃん』も、先行の二作のアニメ版と同様、作風や各種設定、キャラクターメイクに至るまで時代に沿ったアレンジが施され、原作本来の『アッコちゃん』とは、従来以上に似て非なるパラレルワールドの様相を呈していた。(尚、第三作放映開始に伴い、曙出版・曙文庫レーベルにて、『ひみつのアッコちゃん』第1巻が刊行される。赤塚のコミックスが同社より新刊としてリリースされるのは、77年の『天才バカボン』第31巻以来、実に二一年ぶりのことであったが、売り上げの不振からか、第2巻の発売はなされず、赤塚にとっての曙出版での刊行は、同書をもってピリオドを打つ結果となった。)

特に、美少女ヒロインの潮流が大きく変移した時代に作られただけあって、アッコのキャラクターは、原作の原型を一切留めていないビジュアルへと翻案され、オールドファンを愕然とさせる結果となった。

だが、作品の根底に流れる女の子と鏡の永遠の繋がり、憧れの姿に変身したいと願う女の子共通の深層意識をリアライズしたテーマは、時代を超越して、あらゆる世代の少女達に深いシンパシーを与え、親子二代に渡って『アッコちゃん』のファンだという人達も少なくない。

そういった意味でも、世代を超えて女の子を魅了し続けた『ひみつのアッコちゃん』は、夢見る少女達にとって、永久に変わらぬ憧れの存在であり、ハイファンタジーな魔法少女アニメにおけるクオリティー高きスタンダード作品と言えるだろう。


第二期連載の大幅な加筆訂正

2020-04-26 11:34:30 | 第3章

旧原作のリライトを中心とした68年版の第二期連載、もしくは、それ以降に刊行された虫コミックス(虫プロ商事・全3巻、69年)、アケボノコミックス(曙出版・全5巻、74年)、スターコミックス(大都社・全3巻、80年)、ぴっかぴかコミックス(小学館・全3巻、05年)小学館文庫(小学館・全1巻、05年)等の単行本では、コンパクト等のアイテムの他、ストーリー設定、キャラクター造形など、切り貼りや描き足しによる大幅な加筆訂正がなされ、アッコやモコ、カン吉といったレギュラーキャラのデザインにおいても若干の変更がなされるが、漫画名作館(アース出版局・全3巻、94年~95年)、完全版(河出書房新社・全4巻、09年)、オリジナル版(河出書房新社・全4巻、12年)は、きんらん社版(全4巻、64年~65年)曙出版A5版 (全6巻、65年頃)を主な底本としており、初出版に近い再編集版『アッコちゃん』を読むことが出来る。

また、リライトに付随し、アッコのペットで、『アッコちゃん』のマスコットキャラ的な役割を担うことになるキュートなメス猫・シッポナ、密かにアッコに恋心を抱きつつも、ついつい意地悪をして、いつも魔法のコンパクトでやっつけられてしまう暴れん坊の同級生・大将、その弟で、ガキ大将の兄の威光を笠に、周囲に偉そうな態度を振り撒く生意気な赤ん坊の少将、大将の飼い猫で、憎らしい巨漢猫のドラなどの新キャラクターも準レギュラーとして続々と登場。藤子・F・不二雄系メインストリームにも通ずるその均衡の取れたキャラクターアレンジメントは、シチュエーションコメディーという観点からも、総じて堅固な安定感を裏付け、作品世界に一気に弾みを付けていった。

一方、東映動画魔法少女路線第二弾としてスタートしたテレビアニメ版『ひみつのアッコちゃん』は、最高視聴率27・8%、平均視聴率19・8%という高アベレージをマークし、第一回目放送開始から、前番組『魔法使いサリー』(原作・横山光輝)を凌ぐ大ヒット番組となった。

その後、中嶋製作所以外の各メーカーとのライセンス契約を締結。文具、玩具、食品、衣料品に至るまで多種多様な商品展開を繰り広げ、アッコちゃんは、強力な顧客吸引力を有した人気キャラクターとして、版権ビジネスの面においても大きな成功を収めることになる。

テレビアニメ版がオンタイムで放映中だった1969年、原作版『アッコちゃん』は、「りぼん」12月号の「銀行強盗大ついせき」を最後に幕を閉じることとなる。

銀行強盗に遭遇したアッコが、モコからお父さんが犯人かも知れないと独白され、正義を尊ぶ想いとモコへの友情との狭間で苦悶しながらも、犯人調査へと乗り出してゆくサスペンスフルな一編だ。