文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

赤塚時代の終焉 変貌を遂げるギャグ漫画の勢力図

2021-12-21 22:42:42 | 第6章

1974年は、『レッツラゴン』終了後の赤塚にとって、一つの転換期とも言える年であり、無敵の進軍を誇っていた赤塚ギャグに、最大の対抗勢力となる作品が誕生する。

後に、「週刊少年チャンピオン」の部数増大の立役者の一つとなる、山上たつひこの『がきデカ』である。

主人公が日本初の少年警察官という設定そのものに、取り立てて新奇性はないものの、劇画調の絵で繰り出されるアブノーマルな笑いの数々、わかりやすいアクションを前面に押し出した混乱劇は、リアルな快楽原則に基づくエンジョイメントを放っており、山上はこの作品一本で、赤塚ギャグ以降、新たな跳躍を示し得なかった笑いのレトリックを、更に発展、鋭角化させることに成功した。

こうして、『がきデカ』は、赤塚漫画に変わり、時代の先端を行くトップ人気のギャグ漫画となり、その勢力図は大きく変貌を遂げる。

『がきデカ』のヒットは、ギャグ漫画の新たな表顕スタイルを生み出す誘発効果となり、以後、秋本治(代表作『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)、小林よしのり(『東大一直線』、『おぼっちゃまくん』)、鴨川つばめ(『マカロニほうれん荘』)、江口寿史(『すすめ‼パイレーツ』、『ストップひばりくん』)といったフレッシュな才能が続々とデビューを果たし、山上の台頭に後続した。

そして、ギャグ漫画というジャンルは、赤塚ギャグという潮流から遠く離れ、読者が漫画に求める笑いの趣味嗜好もまた、より細分化してゆく。

赤塚が、長らく主力作家を務めていた「少年サンデー」、「少年マガジン」、そしてレギュラー執筆していた「少年キング」から撤退し、赤塚ギャグの象徴的タイトルとも言うべき『天才バカボン』の連載が終了した1978年、80年代~90年代の少年漫画界をリードするツートップが、華々しくデビューを飾る。

鳥山明(代表作『Dr.スランプ』、『ドラゴンボール』)と高橋留美子(『うる星やつら』、『めぞん一刻』)である。

この78年、79年という時代は、ファッションや音楽を含め、あらゆる若者文化が大きく組み換えられるターニング地点でもあった。

70年代中盤、イギリス本土で発生したパンク・ムーブメント以降、ミュージックシーンの潮流は、目まぐるしく移り変わり、78年公開の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の大ヒットによって、電子音楽を駆使したディスコサウンドが世界的なブームを巻き起こす。

雑誌『POPEYE』を読み耽る若者達は、アメリカのウエストコースト・カルチャーを意識した最先端のファッションや遊びに夢中になり、街のゲームセンターからは、インベーダーゲームの電子音が鳴り響く。

我が国のモータリゼーションも、77年のスーパーカー・ブーム以降、益々の拍車が掛かり、若者達を中心に、スポーツカー需要が急激に拡大してゆくなど、70年代でありながらも、世の中からは、70年代的な泥臭さが加速度的に淘汰されてゆく、そんな時代であった。

そして、軽薄短小の80年代を前に、流通社会が一気に発展的飛躍を遂げ、子供達が抱く日常での夢や憧れも、世のミッドストリーム指向の蔓延とともに、平準化してゆく。

それは、確実という概念が希薄になってゆく時代相を如実に反映した空虚感が、軽佻浮薄な風潮と重なり、子供社会全般にも影響を及ぼしてきた結果だろう。

『機動戦士ガンダム』の放映開始により、アニメメディアに新たな夜明けが訪れたのもこの頃だった。

赤塚の週刊少年誌からの退陣と、鳥山、高橋留美子のデビューが奇しくも同時期であることが、全てをシンボライズしているように、戦後ギャグ漫画の父・赤塚不二夫の才能を受け継ぐ遺伝子は、画力水準を底上げするとともに、更なる進化を遂げ、それによる少年漫画の新たな波も、皮肉なことに、赤塚の手の届かぬところへと行ってしまった。

こうして、迎えた80年代、ギャグ漫画の系譜は、ラブコメへと組み込まれ、それもまた、一つの類概念として定着する。

そして、生活ギャグやスラップスティックを身上としたナンセンスギャグは、前近代的なレッテルを帯び、いつしか戦後漫画文化の歴史の一断面として語られるだけのジャンルになってしまった。

漫画評論家の米沢嘉博は、70年代後半以降、赤塚漫画の人気が低迷の一途を辿った最大の要因に、その世界観に具体性が欠落していたことを挙げていたが、この指摘に限っていえば、強ち間違いでもなく、分裂生成した笑いをより不条理なギャグへと抽象化してゆく赤塚のナンセンス路線が、記号化されたその単純なタッチも含め、この時期、読者の嗜好から大きくズレ始めていたのは確かだった。

つまり、前述したような、ラブコメに見られる距離感の近い理想的世界や、精巧なメカが活躍するスピーディー且つアクロバティックな興奮、即物的な妄想を享楽的な笑いへと挿げ替えてゆくカタルシスといった、新世代の読者が漫画に求めるエッセンスを、赤塚の絵柄や発想では、具体的に示すことが出来なかったのだ。

1960年代から70年代半ばに掛け、旧世代漫画の最終形態であり、立体的なディテールとは無縁の概念を持つ赤塚作品が、時代を牽引し得たのは、いずれのギャグにも、従来の漫画表現の境界域をぶち破って余りある、圧倒的な起爆力が備わっていたからにほかならない。

だが、視覚的なリアリズムを重視したエンターテイメントが、コミックシーンの主流として台頭してきた時代にあって、そのアバンギャルドな先鋭性は、具体性が欠落しているが故、完全にコマーシャリズムとの接合点を喪失し、遂に赤塚漫画は、進化の袋小路へと陥ってしまったのだ。

ただ、21世紀を迎えた今、ギャグ漫画という分野に限り、その歴史を振り返ってみて、『がきデカ』の影響下にある一過性の人気を呼んだ諸作品と、それ以前に社会現象を巻き起こした赤塚ギャグを比較した際、様々な復刻本が出て読み継がれたり、その特異なキャラクターが、広告や商品に使われたりするなど、どちらが永遠の生命を持ち得たのか、それはもう言うまでもないだろう。

山上たつひこ、鴨川つばめは、比較的早い時期に漫画家を引退し、江口寿史は漫画家を廃業。現在も現役で執筆中の小林よしのりは、ベストセラー作家ではあるものの、もはや純然たるギャグ漫画家とは呼べないし、秋本治の長期に渡る不調は、かつてのファンからしたら、いたたまれない気持ちでいっぱいだ。

そういう意味では、拙著『赤塚不二夫大先生を読む』のインタビューで、藤子不二雄Ⓐが語っていたように、有為転変はあったものの、トータルして圧倒的な質と量を誇り、ギャグ漫画家というスタンスを、三〇年以上に渡って貫き通した赤塚を凌駕する才能は、今後もギャグ漫画界から現れることは一切ないと言っても過言ではない。

最後に、赤塚がテレビで発したこの言葉を引用し、第六章を締めたいと思う。

1970年代、赤塚がギャグ漫画の傑作、快作を大量執筆し、怒涛の勢いで、時代を駆け抜けて行った作家魂がこの言葉から零れている。

「現在、僕の仕事は、週刊誌四本に、月刊誌、新聞、その上、月刊漫画雑誌「まんが№1」の編集、発行をやっている。常識的に考えても、体力的にも、量的にも、限界にきている。これでは、ろくな作品を描けないと思いつつも、僕はこの限界を越えて行ってみようと思う。大量の仕事をやめられない激情が僕を突き上げてくる。それが一体何かということは分からない。不平不満ということもあるだろう。しかし、その真実は、とことん作品を描き尽くしてみるまでは、分からない筈だ。だから、僕の全てをぶつけた作品を、今後も大量に描き続けていくことを、読者諸君にここで宣言致します!」

(『私のつくった番組 マイテレビジョン』「赤塚不二夫の激情№1」73年1月25日放送)


『荷車権太郎』『いじわる爺さん』 レイト'70 青年向け赤塚ワールド

2021-12-21 22:42:06 | 第6章

1965年頃から、『おそ松くん』の爆発的ヒットにより、漫画家として一気に知名度を上げた赤塚のもとに、青年向け漫画誌からも、ポツポツと執筆の依頼が舞い込むようになる。

当時「週刊少年サンデー」の主力作家だったため、メインとして迎えられることはなかったが、1968年の「ビッグコミック」創刊に際しては、人間の本音と建前における本音の部分を、壁一面に映し出される影を使い、戯画化した『影一族』(68年10月号)、台詞や擬音が全て漢文調で書かれた、新種の時代劇パロディー『用心棒的人物』(68年12月号)、『用心棒的人物』の西部劇バージョンで、お尋ね者と悪徳シェリフとインディアンの三つ巴の決闘を描いた『猛烈的西部人』(69年1月号)、様々な形状の足跡を通し、そこに反照される人間模様をサイレント映画風に描出した『アシアトモノガタリ』(69年10月10日号)と『アシあとものがたり』(69年10月25日号)、日常で起こり得るハプニングや災難を記録映画風に捉えた『わが家の日よう日』(69年9月10日号)と『ナンでも見てやろう』(69年9月25日号)、アメリカナイズされたブラックジョークをオムニバス形式で綴ったヒトコマ漫画集『秋です』(69年11月10日号)、『たき火』(69年12月10日号)といった単独作品を多数寄稿し、刊行間もない同誌の一角を支えた。

だが、本格的に青年漫画に着手するようになったのは、第七章にて後述する『ギャグゲリラ』の連載開始以降のことで、「ビッグコミック」系列の諸誌のほか、「リイドコミック」、「週刊漫画アクション」といった比較的メジャーな媒体にも進出し、やはりブラッキーな臭気を強めた迷作、奇作、怪作を立て続けに発表してゆく。

「リイドコミック」では、『名人』、『ニャロメ』といった作品が、創刊よりレギュラー執筆されていたが、赤塚が、同誌で異常性際立つナンセンス読み切りを多数発表するようになったのは、1975年を境にしてからである。

同誌で赤塚は、誇大妄想癖を患っているとある高校生が、ふとした出会いにより、早老病をも併発してしまう異端の恋愛譚『かけあし人生』(75年11月7日号)、幸せな新婚夫婦が不幸のどん底に叩き落とされてゆく様が、寒々しくも可笑しい『恐怖のネゴト男』(76年5月6日号)、一人のマッドサイエンティストの常軌を逸した価値観とそれに乗じた暴走を、複数回に渡りシリーズ化した『ナンセンセイ』(「リイドコミック増刊」76年8月12日号、10月14日号、12月9日号、77年4月14日号)、無知無能な産業スパイのトホホな失態が、鮮やかな落ちとなって際立つ『イレズミ作戦』(76年10月7日号)等の奇作、怪作を、ポツポツと単発で発表した後、暫しのブランクを挟み、『赤塚不二夫のギャグランド』(79年2月15日号~9月27日号)を約半年間連載する。

擬似乱数や芸能古事記といった雑問で、読者の硬くなった頭をほぐす赤塚版「頭の体操」とも言える「共通第3次試験」(79年3月1日号)、歪な純和風の装いの世界観を画稿狭しと展観する「日本に来たことのない外国人の筆による日本のまんが」(79年6月7日号)等、いずれも、手を変え品を変え、遊び心溢れるアイデアを目一杯に詰め込んだバラエティーページ的なコンテンツを包含したシリーズだが、特筆すべきは、当時好評を博していたNHK大河ドラマ『草燃える』をパロディー化した「秘話ここほれワンワン」(79年4月5日号)だ。

殿様であるレレレのおじさんが滅亡した徳川家を再興すべく埋めた小判を巡り、様々な人間が数奇な運命に翻弄されてゆく様を、軽快且つシニカルなユーモアに染め上げて綴ったナンセンス叙事詩で、その無駄のないコマ運びとストーリーテリングの冴えは、まさにギャグの鬼才の面目躍如といったところだろう。

ラストは、時空が現代へと飛び、小判を見付け出したチンピラが、それを元手に純和風高級トルコ風呂(現在の名称はソープランド)〝江戸城〟を立ち上げ、徳川家が再建されるという、意想外の落ちへと流れ込み、読む者の虚を衝く。 

尚、単行本では、今一つわかりづらいが、原画展などで、本エピソードの生原稿を見た者は、その異様とも言える大きさに、皆一様に驚くという。

それもその筈、雑誌掲載用の漫画原稿は、通常その1・2倍で描かれるが、この原画は、凡そ2倍もの大きさで執筆されているのだ。

原画が大きくなれば、製作面において、手間が掛かるばかりか、版元側にも、更なる経済的負担がのし掛かることは必至だ。

しかし、笑いに一切の妥協を許さない赤塚は、担当編集者と何気ない会話を交わす中、一気呵成にこのエピソードを描き上げてしまったそうな。

この「秘話ここほれワンワン」もまた、『天才バカボン』の「実物大のバカボンなのだ」や「説明つき左手漫画なのだ」といったメタフィジカルなナンセンスにも一脈通じる、稀代のギャグマスター・赤塚ならではの執筆パフォーマンスと言えようか。

「週刊漫画アクション」では、『荷車権太郎』(「週刊漫画アクション」78年7月27日号~8月17日号)と『いじわる爺さん』の二タイトルが、短期集中連載作品として、立て続けに発表される。

新潟の片田舎から、一旗上げようと上京してきた厳つい風貌の中年男・荷車権太郎。御年四三歳で、学歴もコネもなく、おまけに童貞という八方塞がりの状況の中、持ち前のガッツと努力で一段の奮闘を重ねてゆくが、底抜けに純情で、世間知らずの権太郎にとって、都会の風は余りにも世知辛く、冷たかった。

しかし、そんな権太郎にも、女神のような女性が現れる。

同じアパートの住民で、神永アスカという若く麗しい女性だ。

権太郎は、アスカの激励に発奮し、職探しに奔走するが、頑張れば頑張るほど、全てが空回りし、いつしか精神の均衡を失ってゆく……。

不器用にしか生きられない人間の純粋結晶されたある種の悲壮感を、暗い現実の闇の中で、燦然と横たわる逆説的な輝きに準えつつ、濃密な情感を込めて綴った異色のトラジェディー。

いずれのエピソードも、爆笑シーンになる筈のところを、そうならない一歩手前で留めており、そこはかとない哀切を帯びた作劇の妙が、突出したインプレッションを残している。

そして、それに続く、あっけなくも衝撃的な幕切れもまた、自己存在の不安に苛まれている全ての現代人の心の傷と重なり合い、誇り高き虚無として、読者に深い感銘を刻まずにはおかないだろう。

長期連載を意識した展開にも耐え得るテーマだっただけに、全四回をもって終了したことが、甚だ遺憾なところでもある。

『いじわる爺さん』(78年11月30日号~79年3月20日号、不定期連載)は、一兆円の倍の倍のその一〇倍の、そのまた一〇〇倍の財産を持つが、そのドケチな性質ゆえ、住む家にも、着るものにも無頓着な褌一丁の意地井の爺さんが、人生の終焉期を迎え、これまで、人間のあらゆる愉悦を犠牲にし、貯めに貯めた巨万の富を如何にして遣うかが、毎回のそのあらましとなるブラックコメディーである。

アメリカ国内でも、有数のカートゥニストであったボブ・バトルの『意地悪じいさん』とは、タイトルこそ同じであるものの、意地悪へのアプローチは、カラッとしたエスプリを交えたボブ・バトル版よりも、赤塚版の方が更に刺々しく、サディスティックな戦慄を局在化せしめており、より逸脱性を強めたシックジョークに彩られている。

芸者遊びをしたかった若き日に想いを馳せ、酒と女で身を持ち崩した重症患者に、自らの代理として、散々っぱら遊ばせ、死に到らしめたかと思えば、町全体をミュージカルの舞台にし、出演させた住民達を全員、筋肉痛で動けなくするなど、その異常なまでのサディズムの欲求は、自らの欲望を徹底的に制して生きてきた青春期へのルサンチマンに貫かれたものだ。

しかしながら、意地井の爺さんは、拝金主義の世において、無秩序を体現したトリックスターであり、それゆえ、社会のあらゆる束縛のもとで生活を余儀なくされている人間にとって、その心の奥底に蠢く根源的自由への憧憬、延いては破壊的願望を代償的に充足させてくれる、ある意味痛快な存在と言えなくもない。

同じく「漫画アクション」誌上に、読み切りとして発表された『赤塚不二夫のタリラリラーン』(78年10月19日号)は、ある日突然、食事立法なる新法案が法制化され、人間の根源的な欲望である、性欲と食欲における倫理的観点が逆転してしまったらという、不条理な局面へと突入してゆくパラレルワールドを描いた好短編。

父親が、セーラー服を着た美少女がカレーライスの大盛りを頬張っている写真に欲情したり、息子が部屋で隠れてガムを噛んでいるところを見られまいと、マスターベーションに耽っている振りをして誤魔化したりと、お約束とも言えるベタな展開が途方もない倒錯を伴い、連打されているが、その脱常識の根拠となるテーマには、果たして、性欲とは否定されて然るべきものなのか否かという、人間の存在の根源に根を下ろした深い問い掛けが、極限の形で刻み込まれている。

共通のサブジェクトを扱った藤子・F・不二雄の傑作短編『気楽に殺ろうよ』と読み比べてみるのも一興だ。

「ビッグコミック」系列誌を発表媒体とした作品も、シリーズ連載に関しては、『「大先生」を読む。』(「ビッグコミックオリジナル」86年~89年)まで、暫く待たねばならないが、読み切り作品に限っていえば、この時期、快笑をもたらして余りあるエピソードが、連続して複数本描かれることになる。

「ビッグコミック増刊号」に発表された特別読み切り『家族』(78年11月23日号)は、家庭環境に嫌気が差した中年男が、レンタル家族に束の間の安らぎを求め、赤の他人でも、気が合えさえすれば家族であると納得するものの、このレンタル家族間においても、いつしか、その人間関係が泥沼化してゆくといった、病理現象としての家族の孤立化に痛烈なアイロニーを滲ませた一作。

赤塚を含む四大作家が同一のモチーフ(ポスト)から想を得て、競作執筆した『拝啓おまわり様』(『ビッグゴールド』79年№3)もまた、読者にシニカルな快感を誘発し得る、マスターピースに類した一本だ。

ある日、目ん玉つながりが勤務する交番に、指名手配中の怪盗23号から、「このたび 左記の住所に落ち着きましたので ご近所にお出かけの節には ぜひわが家にお立ち寄り下さい」と書かれた手紙と一緒に、現在住居としているアパートの写真が送付される。

目ん玉つながりらは、アジトと見られるアパートに急行するが、何と、怪盗23号は、彼らが到着する一時間前に、既に別の場所へと引っ越していた。

だが、その翌日、交番に怪盗23号からの速達が、またしても舞い込む。

今度は、下落合一丁目のマンションにいるという。

再び、目ん玉つながりらは、そのマンションへと怪盗23号を確保すべく向かうが、またまた現場は裳抜けの殻だった。

だが、そんな追跡劇を続けているうちに、警察は怪盗23号の立ち回り先に関する一つの法則を見出す。

 警察は、記者会見を開き、ホワイトボードに貼られた地図に、これまで怪盗23号がアジトとしていた場所と、これから立ち寄るであろう逃走経路を点と線にして結び、そのエリア内をマジックで黒く塗り潰した。

そして、黒マジックで塗り潰したエリア内に、必ず犯人がいて、犯人逮捕も時間の問題であることを記者達に説明する。

だが、その地図上に浮かび上がった点と線は、真っ黒く大きな星状の形を現しており、即ちこの追跡劇そのものが、警察の大黒星を意味していたという皮肉な展開へと、ドラマは更なる急転を見せる。

警察組織の怠慢や愚鈍ぶりを嘲笑うかのような攻撃的な笑いと、警察サイドから見たネガティブな苦笑が、一種の対位法的構造を辿ることによって、ドラマの劇的葛藤を盛り上げており、その同一の妥当性を伴ったフレキシブルな落ちに至るまで、ショートショートとしては、掛け値なしの逸品と言えるだろう。


赤塚漫画史上、究極のインモラリティーを発動した 『ワルワルワールド』

2021-12-21 22:41:24 | 第6章

『ブラックジャック』、『魔太郎がくる‼』、『ドカベン』、『恐怖新聞』等、強力な作品ラインナップを擁立し、「週刊少年チャンピオン」が一躍少年週刊誌№1の座に躍り出たのが1974年、この年漸く「チャンピオン」でも、本格的な赤塚のシリーズ連載がスタートする。

赤塚漫画史上、究極のインモラリティーを発動した作品であると、今尚往年の漫画ファンの間で語り草となっている異端作『ワルワルワールド』(74年41号~43号、47号~75年13号、20号~37号)である。

『ワルワルワールド』は、窃盗、喫煙、虐待と不徳義の限りを尽くす悪ガキ小学生・タロと、会社の傘を拝借する程度でしか、ワルの能力を発揮出来ない出版社勤務のダメパパ、姑をいびりまくる鬼嫁のママ、もはや説明不要の悪名高きダークキャラの目ん玉つながりの四人を主要キャラク ターに迎え、彼らに絡むゲストキャラもまた、とてつもなく極悪非道な輩ばかりという、怪奇千万な平行世界を舞台に、強烈な変質作用をもたらすドス黒い笑いが、二の矢、三の矢を放つかの如く繰り出されてゆく、バッドテイスト渦巻くシリーズだ。

本来神聖である筈の学舎でさえ、教師が、万引きのやり方を授業で教えたり、子供が父親を毒殺する過程を日記に綴って、発表したりと、倒錯性極まりない世界として機能し、間抜けやお人好しは、このワルワルワールドでは、次々と排除されてゆく……。

何しろ、この街では、殺人以外の罪状は、法による裁きの対象外で、夜にもなれば、街中泥棒だらけとなり、泥棒同士が顔を合わる都度、「おかせぎなさい‼」と、挨拶を交わす姿が、日常風景として見られる始末なのだ。

「ババアはいてこませ!」(74年42号)は、現在の姥捨山を彷彿とさせるエピソードで、チリ紙交換に出された老人や子供、病人達が、ワルワル警察の射撃訓練所に収容され、動く標的として使われるという、残虐性を窮極にまで跳ね上げた、この上なく苛辣な一編だが、そんな老人達も、日々、ワルワルワールドの毒気に揉まれているからか、パワフルさにおいては、猛悪な住民どもにさえ、負けてはいない。

ワルワルワールドで迫害を受けてきた彼らは、老人至上主義を標榜とする秘密結社・シワトカゲ団を結成。シワトカゲ団は、かつてのクー・クラックス・クランを偲ばせる、白装束姿に身を包んだ武装コミュニティーで、夜な夜な、集団で現れては、息子や娘、孫世代への討伐に乗り出し、ワルワルワールドの住民達を恐怖のどん底へと叩き落としてゆく。

また、連載後期に至っては、ワルワルワールドの壊滅を目的に潜入して来た「いいことしよう会」の秘密工作員や、昼間は天下無敵の大番長でありながらも、夜はジキルとハイド宜しく、人格が180度変貌し、善行に励んでゆく良事スル造などが登場し、ワルワルワールド特有の悪逆無道な価値観に、微妙な変化が生じ始める。

そして、道徳観念が住民の心に芽生え出すと、何処ともなく、イヤミそっくりなワルワル仮面が颯爽とバイクで現れ、彼らの邪悪な感情を取り戻すべく、街中に爆弾を投げ入れ、パニックに陥れるという、尚もって、ワルワルワールドは、カオス的な様相を呈するのだった。

このように、赤塚は、本作『ワルワルワールド』で、漫画本来のフィクショナルな表顕スタイルを最大限に活かし、悪が条理で、善が不条理という本末転倒の世界を創り上げ、新たなナンセンスの境地へと辿り着く。

善悪が価値転倒した超倫理的な世界観を主題とした作品は、「少年サンデー」版『おそ松くん』の最終話「ドロボウは芸術のために」(69年15号)で既に描かれてはいた。

規範的とも言えるギャング映画の構造をベースに踏まえたこの作品は、ギャングや泥棒が蔓延る街で、チビ太やイヤミ、バカボンのパパが、銀行を襲撃したり、詐欺を働いたりと、悪行の限りを尽くし、画稿狭しと大暴れするという、当時としてはその過激なブラック性を道標に、次なる笑いの機軸を模索した、謂わば試金石的な位置付けとなる長編ストーリーだ。

だが、『ワルワルワールド』で描かれた背徳の世界は、狂気や加虐といった破壊蕩尽に更なる拍車を掛け、読む者を常態が喪失した心理状態へと陥らせる、グロテスクなユーモアを存立基盤としていた。

不快指数も極限の値まで到達すると、一周廻って、ある種の生理的快感を生み出す。

そこには、レディメイドな笑いの表現など一切なく、矛盾を孕んだ複雑性が、ドラマの論理に併合され、躍動する多次元性へと還元した、循環的悪夢を哄笑とともに想起させてゆくのだ。

また、これまでにないリアルな活写で、脱糞や嘔吐、ただれた睾丸といった、スカトロジックな笑いが満載されており、そうした傾向も、この作品をグロテスクな作風へと傾きを掛けてゆく一要因になっている。

尚、その後描かれることになる『不二夫のワルワルワールド』(『別冊コロコロコミック』82年8号~83年12号)は、そのタイトル名から、『ワルワルワールド』の続編と混同されることがあるが、この作品は、満州から引き揚げして間もなく、奈良の大和郡山で、悪ガキとして過ごした日々を、程好い笑いと感傷をもって追壊した回想録的な作品で、両タイトルの作品的繋がりは全くない。

この時代の赤塚の活動の舞台は、少年週刊誌のみならず、月刊少年誌、月刊少女誌、隔週少年誌などにも広がり、70年代半ばに至っては、前述の通り、最大で週刊誌五本、月刊誌七本の同時連載を抱えることになる。

代表的なタイトルを列挙すれば、『はくち小五郎』(「冒険王」72年~74年)『ニャンニャンニャンダ』(「冒険王」75年~76年)、『つまんない子ちゃん』(「プリンセス」75年~76年)、『わんぱく天使』(「プリンセス」76年~77年)、『タトル君』(「マンガくん」77年)、『怪球マン』(「どっかんV」77年~78年)等があり、小学館系の各学年学習誌でも、『ぼくはケムゴロ』(「小学四年生」71年~72年)を筆頭に、『くりくりくりちゃん』(「幼稚園」71年11月号~72年8月号)、『クロッケくん』(「小学四年生」72年4月号~73年3月号)等、タッチ、ストーリー構成ともに安定感を纏った、オーソドックスな語り口の児童漫画も数多く執筆している。

『くりくりくりちゃん』は、お伽の世界をイメージさせる野菜の村を舞台に、栗の実を可愛らしく擬人化したくりちゃんと、トマト、茄子、きゅうり、チェリーと、様々な野菜やフルーツをキャラクター化した仲間達とのカーニバル的日常を、ポップテイストいっぱいに滲ませて綴ったフェアリーテイルで、かつての『たまねぎたまちゃん』の童話的世界観を再び語り直したシリーズ。

『クロッケくん』は、街外れの古い洋館に、幽霊を装い住み着いた、人語を喋るブタ・クロッケくんとそのファミリーが、持ち前のガッツと賢慮で、悪辣な人間どもを向こうに回し、人間社会で奮闘してゆく姿をドタバタ風味いっぱいに描きつつも、その根幹には、成長小説的特性が注ぎ込まれている一作だ。

いずれも、各学年学習誌という、比較的商業性の稀薄な媒体に発表したタイトルでありながらも、決して手を抜かないその創作態度は、赤塚の幼年漫画に対する真摯な姿勢を物語っているようで、心地良い。


カオスとファンシーが一体化した超大作パニック・ギャグ 『アニマル大戦』

2021-12-21 22:40:38 | 第6章

『コングおやじ』終了後、「少年キング」では、最後の連載作品となる『アニマル大戦』(78年7号~36号)が、数ヶ月の間を置きスタートする。

一人の科学者の謀略により、人語を喋るなど、驚くべき高度な知能を授けられた動物達が、思い上がった人間どもに反旗を翻し、地球を征服してゆく「ドクター・ボロー編」(78年7号~19号)と、動物達に支配された人間社会に、突如救世主として現れた桃太郎が、子分を引き連れ、アニマル軍壊滅に乗り出す「桃太郎のガ

ラガンダーラ編」(78年20号~36号)の二部構成で展開される超大作のパニックギャグである。

動物が種別を越え団結し、人類をその支配下に置くというアイデアは、前年「少年ジャンプ」にて発表された中編読み切り『アニマルランド』で、既に試用されており、本作はそのプロットを創作の素材とし、多様なアレンジを加えたリメイクシリーズと位置付けていいだろう。

謎の科学者・ドクター・ボローの表向きの肩書きは獣医であるが、その正体は、過去に置かれた辛い境遇から、人間に激しい憎悪の念を抱くようになり、人間社会に恐るべき転覆を企てるようになったマッドサイエンティストだった。

ドクター・ボローは、動物の改造実験を繰り返し、動物達の自由を解放すべく、動物の動物による動物のためのユートピアの構築を宣言する。

そして、機が熟したある夜、人間を上回る全知全能のパワーを持つ動物達が至る所で集結し、東京の街を筆頭に、〝アニマル大戦〟と命名された革命の火蓋が切って落とされたのだ。

弾丸運搬用のトラのトラック野郎や夜間見張り用のフクロウ部隊、鼻から弾丸をぶっぱなすブタのライフル部隊等、アニマル軍団の怪物性、凶暴性のダウナーぶりも含め、読み手の平衡感覚を喪失させるそのシュールな脱線ぶりから、奇をてらっている印象も受けかねない本作であるが、作品全体を通しての完成度は極めて高く、ストーリーテラーとしての赤塚の本領が遺憾なく発揮された好シリーズとなった。

1970年代、『タワーリング・インフェルノ』や『日本沈没』等、国内外問わず、大作のパニック映画が映画界を席巻し、一大ムーブメントを巻き起こすが、そうした人気に便乗し、漫画界においても、パニック劇画の傑作怪作が、多数の人気作家により執筆されることになる。

そうした時期に描かれた作品ということもあり、当時の読者の中には、この『アニマル大戦』もまた、ブームの下地によって生まれた副産物にして、パニック物という新ジャンルに対する赤塚からのアンサーであると捉える向きもあった。

元々赤塚は熱烈な映画マニアであり、これまでの赤塚漫画にはない黙示録的なテーマを取り上げているという点を照合しても、強ちそれも間違った指摘ではないだろう。

最高の叡智たる人類を襲う未曾有の悪夢が動物という、カオスとファンタジーが一体化した出色のシチュエーションに、あらゆる恐怖と笑いを引き立てた、一筋縄ではいかない不条理劇が、二転三転を引き起こすドラマの意外性とダイナミックなストーリーを軸に繰り広げられる様は実に圧巻だ。

また、生命の倫理や進化に対する赤塚一流の哲学とロジックが、作中垣間見られる点においても、特筆に値する一作である。


赤塚版『キングコング』 獣性を全身で体現した プリミティブな躍動と生命感『コングおやじ』

2021-12-21 22:39:44 | 第6章

『オッチャンPARTⅡ』の連載終了から、約半年のインターバルを挟み、満を持してスタートしたのが、ジョン・ギラーミン監督によりリメイクされたパラマウント映画『キングコング』を、ユーモラスな発展効果を狙いパロディー化した『コングおやじ』(76年45号~77年45号)なる作品である。

ジャングルの奥地から一人息子を連れ、東京へぶらりとやって来た、人間か、ゴリラか、はたまた怪獣か、その属性が全くわからない、ジャイアンツ狂の巨漢男が、文明社会に紛れ込み大騒乱を巻き起こすという、アナーキー且つ獰猛な笑いを爆発させた、型破りのシチュエーションコメディーだ。

1976年版『キングコング』の公開(日本公開は12月18日)に合わせて描かれた作品であるため、時流に擦り寄ったイメージも少なからずある『コングおやじ』であるが、元々赤塚は、トーキーによるモンスター映画の金字塔、メリアン・C・クーパー監督によるオリジナル版『キングコン グ』(33年公開)の大ファンであり、後年のリメイク作品に関しては、「コングを殺したのは、飛行機でも美女でもない。特撮の進歩である」と断罪するほど、断固として認めていなかったという。

ギラーミン版『キングコング』は、当時としては最先端の特撮技術を駆使し、その圧倒的に高い完成度が勝因となり、記録的なヒットを飛ばすことになるが、モンスター映画に不可欠な、ドラマの規定路線を踏み越えた豪胆且つケレン味溢れる意匠とは、幾分掛け離れた様相を呈していた。

赤塚としては、そんな粗野でキッチュな『キングコング』本来の世界観を、シュールな笑いに包みながら、誌面上で再現したかったのかも知れない。

ジャイアンツが勝っても、負けても、激情を鎮められないコングおやじ。そんなコングおやじの行くところ、常に脱線と破壊が渦巻いており、森羅万象あらゆる道理が、コングおやじのその無軌道なロジックによって、非道理を現実とした不穏なアンビアンスへと一変させられる。

コングおやじは、あらゆる局面において、常識を変転させる凄みを放ち、獣性を全身で体現したプリミティブな躍動と生命感をそのキャラクターに宿していたが、コングおやじが引き起こす旋風は、まさに勢いに任せたごり押しのそれであり、赤塚ギャグ特有の鋭鋒なエスプリやキメの細やかさとは、峻別したものであった。

ギャグに関しても、落ちらしい落ちといったものに無頓着なエピソードも多々あり、そのドラマは、非文法性、非整合性に貫かれた、唐突なエンディングをもって、読者に投げ掛けられる。

しかし、そうした自らが構築したギャグ漫画の文法構造を脱論理化しながらも、赤塚ならではの新奇な着想は健在で、ビジュアル的に壮大な趣向を凝らした笑いが、各話ごとに幾つも散りばめられている。

「コングおやじVS合体男」(76年50号)では、何の説明もなく、コングおやじが怒ると突然巨大化し、円谷プロ製作による特撮ヒーローの如く、大暴れして敵をなぎ倒し、「合体男のヤキイモ・エネルギー」(76年51号)では、催涙弾を上回る強烈なオナラを噴射する、自称・恐怖のガス人間に追い詰められ、やはり巨大化したコングおやじが、キングコングと同じく、エンパイア・ステート風の高層ビルのてっぺんに追い詰められ、咆哮を上げながら、のたうち廻るなど、それらの鮮烈なカタストロフには、赤塚独自のパロディックな演出効果が見事に化合しており、アナログな怪獣特撮がもたらすトーンと同様の高揚感が味わえること請け合いだ。

『コングおやじ』は、ジャスト一年間連載され、全五二話が執筆されたが、単行本は、大きな売り上げが見込まれなかったせいか、版元である少年画報社のヒットコミックス・レーベルより、第1巻がリリースされたのみだった。

そのため、その後、絶版古書ブーム(1990年代後半)の際、発禁本と間違われ、絶版漫画コレクターの間で、数万円単位の古書価格で取り引きされることになるが、元々初版刷りだけで、増刷を掛けなかったという理由から、単に流通量が少なかっただけのことで、本書が回収騒ぎを起こしたという事実は一切ない。