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中でも、そうしたアンチノミーを呈した笑いを極度にヒートアップさせたエピソードが、これまで謎とされていたカラッペの出生が一気に白日の下に晒される「会いたやマブタのおっかさん」(「週刊少年キング」70年36号)であろう。
とある村の集落に住む可愛い生娘が誤飲してしまったカラスの卵が、そのまま体内で孵化し、生娘が放屁した瞬間、肛門からそのカラスが誕生するのだが、このカラスの赤ん坊こそが、何を隠そうカラッペであった。
余りにも自由度が高く、非常識極まりないこの発想には、「馬鹿馬鹿しい」とか「下らない」といった恣意的な認識をも飛び越え、ただ呆然とさせられるばかりだ。
その後生娘は、カラスを産んだ女として、村中から迫害を受ける羽目になり、人里離れた炭焼小屋に身を潜めてひっそりと暮らすことを余儀なくされる。
そのため、生娘はこの悲惨な境遇を辿らざるを得ない、直接的な原因となったカラッペに対し、憎悪の念を抱くようになったのだ。
そんな退っ引きならない因果関係から、カラッペは、念願の再会を果たした筈の瞼の母から、けんもほろろに追い帰されてしまうわけだが、そうした憐憫さに満ちた悲劇的展開を迎えながらも、その作劇は、超常的ナンセンスな発想を爼上に乗せた状況生成を織り成すことで、読者を悲劇と喜劇が重なり合う不条理な奥行きへと誘致し、狂操的な衝動が跳梁する、不穏且つエッジーなグルーヴを弾き出してゆくのである。
当然ながら、カラッペはギャグキャラクターだ。
だが、その内面には、キュートなマスコットキャラなどには到底なりきれない、憂いと暗い翳りを秘めている。
そう、粋で鯔背なイメージを纏いながらも、カラッペには、ニャロメ同様、挫折と屈折を背負った、そこはかとない哀切が漂っているのだ。
ここでいうカラッペの哀切とは、大学闘争敗北後の鬱屈した心情とオーバーラップしたニャロメのそれとは幾分異質なもので、もっと根深いところにある、被差別階級者の出自と境遇への屈折した意識の反映である。
そんな被虐性を極点に示しつつも、去勢されることなく自己の混じり気のない感情と欲望を剥き出しにして爆発させるエネルギッシュな行動性、これこそに筆者は、赤塚動物キャラの得難い魅力を感じるのである。
『風のカラッペ』終了後、舞台を現代に移した続編『おれはバカラス』(71年17号~30号)が、やはり「週刊少年キング」で短期連載される。
前作に引き続き、作画は佐々木ドンが担当。旅ガラスから大富豪となったカラッペが、東京のアパートに下宿し、そこで巻き起こる騒動の数々を描いた作品だ。
放浪型設定から定住型設定へと、シチュエーションそのものを大幅に変更させたこのアナザーストーリーは、日常的な世界のフラットなリアリティーを基盤とした、ライトコメディー風タッチへとマイナーチェンジしたものの、そうした発想の自由さが狭まれた空間では、新奇なアイデアを投入するまでには至らず、総体的に精彩に乏しいシリーズとなってしまった。
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