文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

更なる進化を遂げたハジメの天才性

2021-03-28 11:56:20 | 第5章

連載を重ねるに連れ、ハジメの活躍がすっかり陰を潜めてしまったのは、コモンセンスに拘束された天才的思考からでは、意味付けの狭いスタンダードなナンセンスしか発生し得ない負の実相に、赤塚自身、気付いたからに他ならない。

先にも述べた「20年後のお話なのだ」(前編)では、この時青年になったハジメも登場している。

東大医学部に一番の成績で入ったハジメは、その後アフリカに渡り、三年もの間、病原菌の研究に従事することになる。

そしてこの時、バカ菌なる病原菌を発見し、「これで世界からバカがいなくなる日も近いでしょう」と、テレビ電話を通し、パパやママに研究の成果を報告するのであった。

年齢で言えば、二十代前半の筈だが、学者として苦悶苦闘を続けていたと見え、そのベビーフェイスは皺だらけになっている。

ハジメが全てを投げ棄て、バカ菌の研究に心血を注いだのも、幼少時代からパパに散々振り回されて来た過去が、拭いきれない外傷体験として、根深く心の奥底に残っていたからなのかも知れない。

しかし、理由はどうであれ、バカの発生原因が病原菌にあり、その病原性を実証したハジメの研究は、ノーベル生理学・医学賞の受賞も確実視されて余りある偉業と言えるだろう。

ハジメの天才性は、成人しても尚、変わることなく、それどころか、更なる進化を遂げており、天才からバカになるというパパと同じ轍を踏むことはなかったのだ。


天才坊やハジメの誕生

2021-03-28 11:56:20 | 第5章

長らく出産が延び延びとなり、読者をやきもきさせていたハジメだったが、連載六話目となる「どんな顔 こんな顔」(67年20号)で、漸くにしてこの世に生を受け、レギュラーキャラとして加わることになる。

そして、このハジメが産まれたことにより、天才(ハジメ)+バカ(パパ、バカボン)の図式が成り立ち、『天才バカボン』のタイトルが含有するもう一つのイメージが誕生するに至った。

生後二週間目にして喋り出し、十ヶ月目で歩き出すという驚異的なまでの超人ぶりは、生まれて間もなくの頃のパパには及ばぬものの、その天才的なDNAを確実に引き継いでいると見て間違いないだろう。

天才坊やのハジメは、その後も、ピタゴラスの定理やケプラーの法則をそらで解説し、フルスクラッチのテープレコーダーを製作、流暢な英語も喋れば、そっくりな似顔絵を描き、犯人逮捕にも貢献するという、ありとあらゆる局面において、その天才性を発揮してゆく。

ハジメという名は、漢字表記では「一」という字になる。

何でも一番になって欲しいという願いを込めて、ママによって名付けられたものだ。

次男であるにも拘わらず、名前が「一」というのも不思議な話だが、これは長男であるバカボンに命名するはずだったのが、パパの勝手な一存で、バカボンと名付けてしまったことに起因していると思われる。

初期『バカボン』において、ハジメの天才性が極限に示されたケースに、タイムマシンの開発が挙げられよう(「タイムマシンで神サマになるのだ」/「別冊少年マガジン」67年11月号)。

あらゆるフィクショナルな世界において、タイムマシンを最年少で発明したのは、誰あろう、ハジメであるといっても過言ではあるまい。

このタイムマシンは、何と、単純なダイヤル操作だけで、過去にも未来にもスリップ出来るスグレモノで、まさに全人類の夢と希望が託された雄偉なる創造と称して然るべき発明だ。

早速、パパとバカボンがタイムマシンに試乗し、ダイヤルを回すと、モニター上に大波に揺られながら漂泊する小型ヨットが映し出される。

ソロセーラーの堀江謙一青年が、マーメイド号で神戸からサンフランシスコまでの太平洋横断航海を成功させた際の映像である。

そして今度は、ゼロ戦が上空高く飛び交い、太平洋戦争開戦のシーンが流れる。

この辺りはまるで、昭和の時代の映画館でロードショーとともに上映されていたニュース映像の如くだ。

その後も、鹿鳴館スタイルのアッコちゃんや、十二単姿で佇むジャジャ子ちゃんが現れ、明治維新、平安時代へと遡り、紀元前の原始時代が映し出されたところで映像は途切れる。

パパとバカボンは、原始時代へタイムスリップしたのだ。

このエピソードでは、パパとバカボンが、手製の弓矢で原始人を倒したり、壺から手が抜けなくなってしまった部族の人間に、中で握っている手を放すように促し、助けてあげたりしたことから、天才、神様として崇められるという現実とのギャップがギャグとして描かれている。

このように、タイムマシンまで作り上げてしまう大天才に成長したハジメだったが、その活躍は、後に本人が「ツマミ程度」と自らを自虐的に語るように、徐々に翳りを帯びてゆく。

このような経緯から、「十歳で神童、十五歳で天才、二十歳を過ぎればただの人」という言い習わしの通り、ハジメもまた同様の生育歴をその後辿るのではないかとの指摘が、当時読者の間でなされていたそうだが、果たして、その真相は如何なるものだったのだろうか……。


持ち前の生真面目さで人生を軌道修正 その後のバカボン

2021-03-24 21:44:25 | 第5章

ハジメが産まれたことによる相乗効果も相侯り、こうして、バカボンは人間的にも大きく成長を遂げてゆくが、小学五年生という年齢でありながらも、サンタクロースの存在を信じて疑わなかったり(「おたのしみのクリスマスなのだ」/76年2号)、正しい性認識の欠如から、自身の出生をクラスメートから聞き、大きなショックを受けたりと(「ぼくはどこから生まれたの」/74年20号)、純真さがもたらす無知な一面は、その後も改善されないままでいた。

とはいえ、結婚は意外と早く、二十歳を迎える頃に、既に第一子をもうけている。

年齢から考えるに、学生結婚で生まれた子である可能性が高い。

バカボン一家の二〇年後の姿をフィーチャーした「20年後のお話なのだ」(前編)(72年6号)では、御年三一歳となったバカボンが登場。

スーツを着用している点から、一般企業に就職していると思われるが、気苦労が多いせいか、まだ若いにも拘わらず、見事に頭が禿げ上がっている。

この時、配偶者こそ出ていないものの、バカボンが息子であるマジメとともに、パパとママが住む実家に里帰りするシーンが描かれている。

このマジメ、バカボンが散々甘やかして育ててきたため、鎌髭を生やすわ、激しい家庭内暴力を振るうわ、とんでもなくクソ生意気な悪ガキに育ってしまったものの、バカボンはそんなマジメのご機嫌取りを嬉々としてしている。

この時、バカボンの妻が登場しなかったのも、恐らく教育方針の不一致から、バカボン自身、妻から三下り半を突き付けられ、離婚、もしくは別居という状態にあったのかも知れない。

また、「恐怖の結論いそぎ人間なのだ」(「別冊少年マガジン」75年5月号)というエピソードでは、マジメのほかに、名前こそ不明なものの、自身と瓜二つの息子が登場しており、そのシチュエーションから勘案するに、バカボンが還暦を迎えた際に出来た子供ではないかと察せられる。

初登場時は、どうしようもなくボンクラだったバカボンだが、持ち前の生真面目さで自身の人生を軌道修正し、その後一人前の社会人として、曲がりなりにも、家庭を築き上げた点は称賛に値しよう。


純真無垢な心の現れ バカボンの豊穣な人間力

2021-03-24 18:46:56 | 第5章

『天才バカボン』というタイトルが全てを示すように、この作品の本来の主人公は、バカボン一家の長男・バカボンである。

しかし、パパの予断を許さぬ馬鹿さ加減が話題を独占し、遂にはパパに主役の座を乗っ取られる格好となってしまった。

連載開始から暫くの間は、パパとともに愚行奇行を繰り返していたバカボンであったが、回を重ねる毎に、パパの暴走から取り残され、その存在感は徐々に薄らいでゆく。

連載当初のバカボンのキャラ設定は、学習能力が著しく低く、悪童連中から愚弄され、騙されては地団駄を踏むといったパターンが多かった。

あくまでそれは、人を全くもって疑わない、純真無垢な心の現れであったと言ってもいいだろう。

だが、そうした知恵足らずな部分も、ハジメが生まれ、兄としての自覚が芽生えるうちに、パパの度を越した非常識に対し、たしなめるスタンスを取るなど、年相応のバランス感覚を身に付けるようになる。

パパやハジメのように、激烈な個性や突出した非凡さを持ち合わせてはいないバカボンだが、その得難い魅力を挙げるなら、何と言っても、あらゆる人や動物に対して、別け隔てなく優しさを与えられる点であろう。

近眼のハンターに狙われた熊に、自らの絣着物を着せて匿ったり(「アッホーアッホーと山へいくのだ」/67年35号)、年老いた野良犬が冬を越せるよう、家で飼おうとしたりと(「パパはイヌでバカボンはネコなのだ」/67年41号)、バカボン絡みの心綻ぶエピソードは枚挙に暇がない。

また、「サルマネ菌のウン命だ」(67年34号)では、刑務所を脱獄し、バカボン家に押し入ったものの、サルモネラ菌に当たり、命からがらとなった凶悪犯を親切に介抱し、今一度、罪を償うよう改悛させるという、慈愛に満ちた豊穣な人間力の一端を垣間見せている。


初期『バカボン』ワールドの要 ママの寛大なる優しさとバカボン一家の家族愛

2021-03-21 20:42:32 | 第5章

何故このように、ママの方からパパにプロポーズするに至ったのか……。

ママがパパに惹かれた同じく理由の一つを、二人の新婚時代にスポットを当てた「新婚はヤキモチだらけなのだ」(71年50号)で、はっきり確かめ得ることが出来る。

この挿話で、ママの実父が、二人の新居に訊ねて来るシーンがあるが、この父親の風貌や雰囲気が、何と、パパにそっくりなのである。

つまりママは、重度のファザーコンプレックスで、無意識裡に、容姿が実父に酷似しているパパに好意を抱いていた可能性が、充分に考えられるのだ。

また、前述のエピソード「白痴パパをもったママのないてあかした100日間なのだ‼」で、同級生が語っていたところによると、女学生時代のママは、常々ピカソのような芸術家と結婚したいと公言していたらしい。

従って、人間社会におけるあらゆる規約や柵から解き放たれたパパのアナーキーな感性に、ママが前衛アーティスト特有の自由奔放な生き様を二重写しで見ていたであろうことには、推測出来なくもない。

ママはパパやバカボンの馬鹿さ加減に、時には呆れ果てたり、また本気で怒ったりもするが、バカに対する差別感は決して抱いてはいない。

このように、連載初期における『バカボン』世界の特質としては、バカや常識人が、ヒエラルキーの介在しないコミュニティーを形成し、各々の個性や人格を尊重し合うファミリーファンタジーとしての側面が強く、その要となる存在こそが、ママの寛大なる優しさであり、ハジメが生まれたことで更に強まった家族愛であるという解釈に、異論を挟む余地はないだろう。

尚、1994年、ママが、ブルドッグソースの新商品「東京のお好みソース」のイメージキャラクターに単独で起用され、お茶の間の耳目を集めたことがあったが、この際、同商品のオリジナルCMソングを歌うとともに、その声を当てていたのが、80年代の最強歌姫・中森明菜であるという事実は余り知られていない。