文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

ウエスタン版『おそ松くん』

2019-11-18 14:06:27 | 第2章

時代劇巨編に続いて多く描かれたのが、ウエスタン物である。

ウエスタン物では、チビ太を主役として迎えた作品が、その大半を占めているが、いずれも、これまでのチビ太とは一味も二味も違うハードボイルドな役柄を手堅い演技で熱演しており、哀愁漂うマカロニウエスタンの規範的な様式美に準えつつも、センチメンタリズムの中に、笑いとアクションの背中合わせを目論んだ、通俗的解釈による脱構築が、『おそ松』ワールドに、新たな機軸となるエポックを鼓吹するに至った。

極めて初期の段階で、お尋ね者のチビ太とシェリフの六つ子の対決をアメリカ製アニメを思わせるスラップスティック満載の笑いでテンポ良く紡いだ「おそ松ウエスタン おでんの決闘」(「別冊週刊少年サンデー 春季号」64年4月1日発行)なる作品も発表されたが、こちらは、チビ太と六つ子達によるウエスタンごっこの延長のような悪戯ぶりを幾層にも重ねたコント仕立てのエピソードだった。

孤高で凛々しい、チビ太のニヒリスティックな魅力を最初に引き出したと言えるのが、今も尚、西部劇映画の永遠の名作として語り継がれている『シェーン』(監督・ジョージ・スティーヴンス/主演・アラン・ラッド)をベースにして描いた「荒野に夕日が沈むとき」(「週刊少年サンデー増刊 夏休みまんが号」65年8月1日発行)ではないだろうか。

さすらいのガンファイター・チビ太がふらりと立ち寄った先は、悪辣な地主(おそ松ファミリー)が無法の限りを尽くす開拓農地だった。

空腹のチビ太は、その土地のデカパン農場のファミリーに助けられ、街の用心棒として、しばしデカパンのもとに身を寄せるが、松の木一家による弾圧は更にエスカレートし、遂には、チビ太を街から追い出そうと、腕利きの殺し屋・イヤミを雇う。

松の木一家とイヤミの無法に対し、憤怒に奮えるチビ太は、その暴虐の鎖を断ち切るべく、単身、松の木一家へと乗り込み、イヤミとの闘いを申し出る。

熾烈なガンファイトの末、チビ太はイヤミに勝利し、それと同時に、松の木一家は街を追われるように去って行く。

街に平和が訪れた。

デカパンファミリーに別れを告げ、牧場を後にするチビ太を呼び止めるデカパンの息子・ハタ坊の悲痛な叫びが、夕日の沈む荒野に響き渡る。

ドラマのスピード感やアクションシーンにおける臨場感は、その後、更にページ数を増大する『おそ松』版ウエスタンに比べ、多少見劣りはするものの、比較的短いページ数の中にも、素朴な抒情感を漂わせ、転調と緩急の往還を重ねながら、活劇シーンにおける見せ場を効果的に創出する辺りは、勧善懲悪のドラマトゥルギーに雑多な要素が絡み合うウエスタンシネマ本来の醍醐味が不足なく感じ取れ、中期『おそ松くん』としては、演出面においても、肌理の細やかさと奥行きを深めた一編と言えるだろう。

「シェリフ・チビータは勇者だった」(67年46号)では、チビ太は、ダヨーン保安官の助手で、無法者の殺し屋・イヤミとの対決で、絶体絶命のピンチに立つダヨーン保安官を命懸けで救う勇敢な少年を熱演。自らの命と引き換えに、イヤミを倒し、ダヨーンの胸の中で息を引き取る「泣かせ」の芝居を披露した。

悪漢のイヤミもまた、自らを撃ち抜いたチビ太を物陰から狙い撃ちする手下に向かい、薄れゆく意識の中で、銃を取るという、ヒールでありながらも、揺れ動く優しい胸中を真っ当なダンディズムで演じ切るという微妙な役どころを見事にこなし、イヤミもチビ太も、一本調子ではない、硬質な渋みを効かせる心憎さを纏った、いぶし銀の演技で魅せる名優へとステップアップしてゆく。

因みに、本エピソードでは、バカボン親子が、ライバル誌「週刊少年マガジン」よりゲスト出演するレアシーンもインサート。イヤミに対決を挑み、あっさりやられてしまうコメディーリリーフを演じさせ、緊張が張り詰めた重いストーリーの場をほんの一瞬だが、和ませる遊び心も忘れてはいない。


時代劇版『おそ松』の最高傑作「イヤミはひとり風の中」

2019-11-15 18:01:20 | 第2章

パロディー版時代劇、延いては、数ある『おそ松くん』のエピソードの中でも、最高傑作であると誉れ高いのが、「イヤミはひとり風の中」(「週刊少年サンデー」67年41号)である。

チャーリー・チャップリン監督、主演による不朽の名作「街の灯」を下敷きにした一編だが、ストーリーは、翻案元となった「街の灯」以上に言い知れぬ哀切を纏いながらも、読む側の心に暖かな灯を燈すような、重厚且つ奥行きの深い感動巨編として結実した。

世に捨てられた素浪人のイヤミは、貧困層が密集した江戸のハラペコ長屋で、グータラなその日暮らしで毎日を無為に過ごす中年男。

そんなイヤミは、ある日道端で花売りの少女・お菊と出会う。

お菊は盲目で、それに託つけたイヤミは、花代の勘定を誤魔化し、釣り銭を多く掠め取ってやろうと企んでいたが、純粋なお菊の身の上を聞くうちに、思慕とも慈悲とも付かない、しかし、至純で篤い厚情を彼女に抱き、その目を治してあげようと思い立つ。

出会いは人の心を動かす。

守るべき人を得たその時、イヤミの中で何かが弾けたのだ。

ぐうたらな毎日を送っていたイヤミは、お菊の治療費を稼ぐべく、寝食を忘れ、毎日馬車馬の如く必死に働く。

しかし、お菊の目の治療費は、百万円近い大金で、そんな金を用意出来ないイヤミは途方に暮れてしまう。

そんな時、江戸城城主の若チビ(チビ太)が御前試合を開催し、優勝者には百万円の褒賞金を贈呈するというニュースが江戸中に流れた。

褒賞金で、お菊の目を治せると考えたイヤミは、一発奮起して試合に挑むが、お菊に恋心を抱く若チビの策略にはまり、優勝を逃す嵌めになってしまう。

追い詰められたイヤミは、江戸城の御用金を奪い、お菊の治療費を捻出する計画を企てる。

そして、御用金強奪は成功し、その金はお菊へと渡り、長崎で治療を受けたお菊の目は晴れて見えるようになるが、一方のイヤミは、御用金強奪の罪を問われ、捕らわれの身となり、牢獄へと入れられる。

時を経て、無事に目が見えるようになったお菊は、街道の茶店で働きながら、イヤミを待ち続けていた。

運命の悪戯か、そこに身柄放免の身となったイヤミが立ち寄る。

だが、お菊はその男がイヤミだとは気付かなかった。

牢獄から出て来たイヤミは、自らの落ちぶれた現状を思うと、自分がイヤミであることを告げることも出来なかった。

それは、イヤミにとって、武士として最後のプライドでもあったのだ。

そして、イヤミは、お菊に永遠の別れを告げ、彼女の幸福を願いつつ、一人、風の中を去って行く。

深い哀感を残したまま、物語の幕を閉じるラストシーンは、正に白眉の出来栄えで、痛切なまでに読む者の胸に響き渡る。

これらの作品は、その後、曙出版で『おそ松くん全集』として叢書化した際、いずれも表題作として扱われている点から鑑みても、時代劇というテーマは、赤塚自身、大層お気に入りで、また思い入れも強かったであろうことが窺える。

特に「イヤミはひとり風の中」は、単なる『おそ松くん』の一エピソードの枠を超えた、泣けるギャグ漫画の名作中の名作として令名高く、時を経て1990年、スタジオぴえろ製作によるオリジナル・ビデオ・アニメとして、日本コロンビア株式会社より単体でリリースされた。

若干設定を組み替えたこのOVA版は、ほぼ忠実に原作のドラマを再現しながらも、ヒューマンなストーリーとダイナミックな殺陣をより丹念に際立たせた演出効果が冴え渡っており、OVAという媒体では括りきれない奇跡の作品の呼び声も高い。

赤塚ファンにとって、共通財産の一つとして押さえておきたいマスト・アイテムだ。


時代劇版『おそ松くん』

2019-11-13 17:16:59 | 第2章

ここで、個人的に当時のギャグ漫画における表出的価値の領分を超克したと思える長編版『おそ松くん』の傑作エピソードをいくつか紹介してみたい。

いずれも、高度なテーマと壮大なドラマが、量感溢れる様々な発想ツールを組み換えて、描き分けられているが、取り分け、その多くに使われたのが、時代劇巨編である。

一番最初の時代劇版『おそ松くん』は、1964年(「月刊別冊少年サンデー」11月号)という比較的早い時期に発表された「デカパン城の御前試合」という作品だが、ページ数も17枚と長編と言えるものではなく、家老のイヤミが悪巧みを企てて、トラブルを巻き起こすという『おそ松くん』特有の不文律を江戸時代に舞台を移して描いたアナザーワールドであり、入り組んだストーリーの道筋や登場人物の深い性格描写以上に、イヤミが道化に徹した喧騒劇そのものに重点を置いた試作タイプと言える。

時代劇という新たな劇構造におけるドラマ部分に本格的な期待を寄せると、限られたページ数に起因してか、若干平板化した展開を見せるため、読後は肩透かしを喰らった印象を受けざるを得ない。

時代劇版『おそ松くん』にして、本格的な長編バージョンのスタート発進となった作品が、うだつのあがらない素浪人のイヤミが、その名を江戸中に轟かせていた丹下左膳(ダヨーン)を名乗って、名刀「乾雲丸」ならぬ「親ネコ」を奪い、本物の左膳との一騎討ちに勝って、自らを左膳として売り出そうとする「イヤミ左膳だ よらば斬るざんす」(「月刊別冊少年サンデー おそ松くんテレビ化記念号」66年3月号)であろう。

林不忘の国民的な知名度を誇る時代小説を、当時としては、29ページという破格のスペースを用意され、パロディーとして描いた本作は、全体を通し、時代考証となる江戸の風俗描写や剣劇シーンにおける大立ち回りといった時代劇に不可欠な要素を完全無視した粗雑な部分も見受けられ、こちらも従来の『おそ松くん』の既定路線の範疇に位置する仕上がりとなっているが、勧善懲悪が本末転倒するニヒリスティックな結末が、抗しきれない人間の運命や業に対する一種の諦観とも取れ、子供漫画としては、何とも意味深な後味で締め括られている。

因みに、イヤミはその後、「丹下左膳と宮本武蔵に座頭市」(68年11号)で、再びニセ左膳を演じ、ダヨーンの武蔵とデカパンの座頭市とともに、地主とヤクザにその生活を追いやられようとしている長屋の住民達の用心棒を務めるが、ここでも、女々しくて格好悪いダーティーヒーローを演じている。

有名な「松の廊下事件」に端を発し、赤穂藩家老・大石内蔵助率いる赤穂浪四十七士が、旗本・高家肝煎・吉良上野介邸を討ち入りし、主君・浅野内匠頭の仇討ちを果たしたとされる、所謂「元禄赤穂事件」を題材とした『忠臣蔵』の『おそ松』バージョンも、「江戸工城の忠臣蔵だ」(「月刊別冊少年サンデー クリスマスゆかい号」66年12月号)なるタイトルで、松造が浅野内匠頭、大石内蔵助がデカパン、六つ子が赤穂浪士という配役により演出、創作された。

この作品でも、異彩を放つのが、イヤミ演じる吉良上野介だ。

人間の善悪における因果関係をも超越した悪辣な野心家というキャラクターは、イヤミならではの説得力を備えたはまり役で、他の共演者達の存在感を圧倒的に凌駕している。

イヤミ邸討ち入りのシーンでは、当時大人気を博した『007』シリーズを彷彿させるような「オフトンマーチン」なる布団型の人力型スポーツカーや猫ミサイルを発射する竹筒型バズーカ等、奇抜なガジェットを用いた攻防を連続して展開させるなど、仇討ちの悲壮感とは真逆な笑いに傾きを掛け、『忠臣蔵』本来の様式美的な作劇術に、単なる焼き直しではない喜劇性を増幅させている点は、ギャグの天才・赤塚ならではの巧妙なテクニックと言えよう。


赤塚ワールドに無限の可能性を広げた『おそ松くん』の長編化

2019-11-12 22:39:58 | 第2章

『おそ松くん』の連載が好調をキープしたまま、後半戦に突入した頃、更に『おそ松くん』をエポックメイキングとして位置付けるような、ジャンピングボードとなる転機が訪れる。

「週刊少年サンデー」の部数増大に伴い、小学館が、正月、春季、夏季と季節毎に合わせた増刊号や月刊の別冊を、ページ数を大増し、発行するようになったのだ。

これらのサブストリーム誌においても、「週刊少年サンデー」の目玉商品である『おそ松くん』が、強力なイメージリーダーの役割を担うのは、必然の成り行きであり、それまでの13、14ページに留まっていた『おそ松くん』のスペースに、25、32、時には、40を越える破格のページ数を割くことで、作品そのものの存在感は、更なる光彩を増し、従来のパブリックイメージを突き破ることとなったのだ。

ページ数が一気に増大したことで、再スタートを切った『おそ松くん』は、横町の生活圏外へと舞台を移動し、ウエスタン、時代劇、SF、スパイアクション、海賊物、戦記物とリテラリースタイルの幅を広げ、作品の規模をスケールアップさせる。

ギャグ漫画による長編化。それは、一見、作品の出来を不完全なままに留めかねない無謀な挑戦とも思われたが、ドラマの重層性を広げる役割を担ったのが、赤塚の映画に対する造詣の深さであり、また、その壮大な世界観により一層贅沢な色彩と立体感を与える重要なファクターとなったのが、『天才バカボン』、『もーれつア太郎』のスタートを経て、無尽蔵に増殖してゆく赤塚キャラクター達が、タイトルの垣根を越えて友情出演するスターシステムであった。

パロディックなストーリーに貫かれたエピソードが少なくないものの、長編版『おそ松くん』には、笑いの中にも、思わず、読者が感涙に咽ぶような挿話が数多く描かれ、ナンセンスギャグとヒューマンドラマという相反する概念を空中分解させることなく、絶妙の綱渡りで落とし込むことで、赤塚ギャグの新生面開拓に値する独特のドラマトゥルギーを構築させることに成功した。

『おそ松くん』長編化のメリットは、その世界観を拡散し、あらゆるテーマに対応し得るプロットを多元的に構成出来るだけではなく、13ページ、14ページという限られた枚数では、異なるシチュエーションや役どころでキャラクターを動かしてゆくことが出来ても、その心理的内面に肉薄し、人生の憂いや悲喜劇、人間関係の奥深さを精緻に語るには足りないというジレンマをも反転させた。

スターシステムの先鋭化は、お馴染みのキャラクター達の新たな性格付けにおいても呼応し、イヤミもチビ太も熟成された従来のキャラクターに様々な魅力とよりリアルな人格的特徴が付け加えられ、役柄によっては、読者の心の琴線に触れる感動やペーソスを喚起する名演技を披露してゆく。

イヤミが心優しい素浪人を演じたり(「イヤミはひとり風の中」)、「六つ子対大ニッポンギャング」では、何と、デカパンが、それまでの善良なイメージを覆すダブルのスーツを粋に着こなした冷血なギャングのボスを貫禄たっぷりに演じ切るなど、その劇構成において、赤塚ワールドの人気キャラ達が、性格俳優よろしく、善玉になったり、悪玉になったりと、バラエティー的空間を強化する伸縮自在なバロック性を趣意とすることで、とかく子供達にとってはモノトーンな印象は否めないであろう映画や文学の古典的名作の面白さや意義深さを、当時の「週刊少年サンデー」の愛読者に喧伝していった。

陽から陰、動から静、コメディーからトラジェディーへと、ストーリーの単位を構成するシーンの一連が、ドラマ的起伏に富んだ壮絶な人間劇に方途を見出だしている長編版『おそ松くん』だが、それでもクライマックスに至るまでギャグ漫画本来の遊撃性を犠牲にすることはなく、エンターテイメント性を重視しており、後世に改めて評価されるであろう良作がズラリと揃っている。


『おそ松くん』ショック ノンフィクショナルな笑いへのパラダイムシフト

2019-11-11 14:25:50 | 第2章

『おそ松くん』が旧世代のユーモア漫画を完膚なきまでに淘汰し、他の追従を許さないそのアンチテーゼとなり得た要因の一つに、機を見るに敏に、流行や時代風俗、社会世相を作品世界に反映させ、少年読者にとって、カルチャーや情報の発信地の役割を果たしていた点も挙げられる。

無論、『おそ松くん』が流行の発生源となっていたことは、言うまでもないが、それと同じく、テレビの人気タレントが発する流行りのフレーズ、話題のテレビコマーシャル、その時、幅広く親しまれていた旬の流行歌などをギャグや台詞に巧みに取り込み、時には時事問題や政治情勢の報道や批評までもさりげなくテーマとして扱うなど、日々、新聞やニュースなどから伝わる社会的な事件や事象を子供達の共有意識として、笑いの中に浸透させ、ある種の情報空間としてのアナロジーを開示していたことも、それまでのギャグ漫画のトラディショナルスタイルを打ち砕いた新鮮さであった。

具体的な例を挙げると、連載初期の段階から、聖徳太子の偽千円札が出回り、伊藤博文の新千円札が発行される契機となった「チ‐37事件」、厚生省によるコレラ防疫のための台湾産バナナの全面輸入禁止、産業の発展に伴う光化学オキシデント等によるスモッグ汚染の深刻化、所得倍増計画を推進し、高度経済成長の立役者となった自民党・池田勇人内閣の大躍進、東京五輪開幕に向けた莫大な公共資金投入による大規模な首都改造といった、世間を騒がし、また賑わした社会的な事柄が、ギャグのネタやフレーズとして時宜に適して使われ、連載中期から後期に至っては、「𠮷展ちゃん事件」や「三億円事件」といった戦後の重大事件までが、そのままストーリーの題材として扱われた。

戦後最大の誘拐事件と呼ばれた「𠮷展ちゃん事件」は、事件発生とその悲憤に満ちた惨劇から二年の歳月を経て、迷宮入り寸前のところ、漸く被疑者逮捕へと至った際、「電話をひけば大さわぎ」(65年30号)で、六つ子とチビ太が入れ代わって誘拐されるトラブルに絡めて描かれ、二十世紀最大のミステリーと呼ばれた「三億円事件」は、強奪されたジュラルミンケースが発生から四ヶ月を経て、現金を積み替えた逃走車両とともに発見された正にその直後、『ア太郎+おそ松』の「いまにみていろミーだって」(69年21号)で、バカボンのパパとイヤミの親子によって、やはり劇中、奪われたジュラルミンが、犯人が乗り捨てた車から発見されたことに端を発する狂騒劇のモチーフとして、臨場感溢れる演出効果を表出しつつ、取り上げられている。

他にも、松代(六つ子の母親)が突然懸賞小説を書き始める「かあさん懸賞小説をかく」(65年23号)などは、当時、専業主婦の間で、雑誌や新聞への投書が静かなブームとなり、投書夫人なる言葉が生まれたことに着想を得ていることは一目瞭然であり、また、イヤミが開業した温泉にニワトリ型の純金風呂があると知った松代に唆されたおそ松とチョロ松が、その浴槽をかじり取りに行く「金のおフロに入ってちョ」(66年8号)は、有名な熱海の船原ホテルが純金風呂を導入し、頻繁にマスコミで取り上げられていた頃に描かれたエピソードであるように、トリビアルなトピックさえも果敢なまでに漫画の中に取り込まれ、ライブ感覚が横溢するタイムリーな笑いを『おそ松くん』は次々と仕掛けてゆく。

このように、『おそ松くん』は、驚異的に産業規模を拡大させた経済成長に伴うマスメディアの発達と比例し、子供社会においても、日々目まぐるしく塗り替えられてゆく情報やトレンドの集積が、生活のあらゆる慣習や資源と同等のバリューを具有する社会構造へとスライドした時代の転換期に、常にフレッシュな娯楽やムーブメントを提供し得る週刊サイクルの機能性と、オンタイムで映し出された同時代的なジャーナリズムを相互作用させることで、貪欲なまでに新たな刺激を欲する子供達の感性に多大な強磁性を及ぼし、笑いの潮流を季節的な定番ギャグを核とした牧歌的な滑稽から、世相風俗を横取りする情報化社会に適合したノンフィクショナルな笑いへと転化させた。

つまり、少年漫画における笑いのサブスタンスそのものを飛躍的に変貌させ、ギャグ漫画のパラダイムシフトを起こした最初の作品こそが『おそ松くん』だったと言えるだろう。

当時、同業者は『おそ松くん』ショックをどう捉えていたのか。

手前味噌で恐縮だが、以前筆者(名和)が、藤子不二雄Ⓐに取材した際、『おそ松くん』登場の衝撃を物語る次のような言葉が返ってきたのが印象深かった。

「『おそ松くん』というのはさ、非常に活気があるというか、スラップスティックが強烈で、笑いの漫画としては、今までにない異常なテンションに満ちた作風だったんだよね。同業の僕らが読んでも、新鮮で面白く、間違いなく漫画界に革命をもたらした作品なんだ。」

(『赤塚不二夫大先生を読む 「本気ふざけ」的解釈 Book1』社会評論社、11年)

60年代半ばから70年代にかけて、藤子Ⓐもまた、『忍者ハットリくん』、『怪物くん』等のヒット作や『フータくん』や『黒ベエ』といったギャグ漫画での傑作、怪作を連続して生み出してゆくが、創作欲の向かう傾斜量がギャグ漫画へと大きく傾いてゆく動機付けとなったのが、赤塚の『おそ松くん』であり、これらの作品を描くうえで、赤塚ギャグを仮想ライバルとして捉えていたであろうことがこの発言から窺える。

また、これに前後して、森田拳次の『丸出だめ夫』、『ロボタン』、つのだじろうの『ブラック団』、『忍者あわて丸』といった人気作も続々登場する。

そして、石ノ森章太郎もヒットこそしなかったものの『ボンボン』や『ドンキッコ』等のギャグ漫画を、やはりこの時期に集中して執筆。週刊誌、月刊誌問わず、雨後の筍の如く、様々なギャグ漫画の連載が開始するに至り、漸く漫画界にもギャグのブームが到来した。

そう、児童漫画における従来の笑いのフレームを劇的に変貌させた『おそ松くん』の彗星の如くの登場とその超越的な人気の爆発が、ギャグ漫画というジャンルそのものが活性化してゆく起爆剤となり、また漫画界において、ギャグ漫画がメジャーの権利を獲得する大きな切っ掛けとなったと言っても憚らないだろう。