文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

まえがき ~赤塚ワールドへの誘い~

2017-11-04 16:35:00 | まえがき

当ブログは、拙著『赤塚不二夫大先生を読む「本気ふざけ」的解釈 Book1』と『赤塚不二夫というメディア破戒と諧謔のギャグゲリラ伝説「本気ふざけ」的解釈 Book2』(ともに社会評論社刊)に大幅な加筆修正を加え、改めて戦後ギャグ漫画の至宝、赤塚不二夫の偉業と、赤塚漫画が持つ同時代性とその時代背景、戦後文化史における各赤塚マンガの相対的な位置付けを、社会世相史的視点に立脚した独自の見解を交え、照合していくことを主眼とした、謂わばネットで読める「赤塚不二夫論評集」である。

戦後ギャグ漫画の創始者にして、その最高峰ともいうべき人物である赤塚不二夫。

多くのクリエーターに多大な影響を与え、生けるレジェンドとして語られたその天衣無縫且つ豪放磊落な生き様と、漫画界に遺した余りにも偉大な足跡は、死して尚、連綿と語り継がれ、人気度、知名度という観点から捉えても、まさしく戦後日本を代表する文化的アナーキストの一人と言っても過言ではないだろう。

少女漫画家としてキャリアをスタートさせた赤塚不二夫は、1958年、『ナマちゃん』でギャグ漫画に開眼。そして、四年後の62年には、『おそ松くん』の爆発的なヒットにより、戦後ギャグ漫画の旗手としてその名を不動のものにした。

それまでの漫画界の常識を覆して憚らない過激なキャラクターが織り成すスラップスティック・ギャグの応酬、エスプリの利いた皮肉な切り口も痛烈なそのアバンギャルドな作風は、子供のみならず、全共闘世代の若者や大人達にも圧倒的な支持を得ることとなった。

その後も、赤塚は『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』『もーれつア太郎』『レッツラゴン』『ギャグゲリラ』と更なる大ヒット作品、または長期連載作品を手掛け、戦後ギャグ漫画の第一人者として「赤塚ギャグ」というムーブメントを巻き起こしてゆく。

絶頂期には、週刊誌五本、月刊誌七本という同時連載をこなし、「シェー‼」「ニャロメ」「これでいいのだ」等、数々の流行語を連発。1974年には、その功績が讃えられ、集英社の「週刊少年ジャンプ」誌上にて、ギャグ漫画の登竜門「赤塚賞」が設立される。

融通無碍で、軽妙なフットワークを保ちながらも、エスタブリッシュメントを戯画性の強い笑いで挑発し、時には哲学の領域にまで踏み込んでゆく赤塚漫画は、単なるギャグ漫画の枠組みを超えたマグネティズムを放ち、その多大なポピュラリティ、時代をリードしてゆくパワーと影響力から、マスコミ、世間一般は、いつしか「赤塚ギャグ」というネーミングを一つのメディアとして捉えるまでに至った。

1965年「第10回小学館漫画賞」受賞、72年「第18回文藝春秋漫画賞」受賞、97年「第26回日本漫画家協会賞文部大臣賞」受賞、98年「紫綬褒章」受章、09年「東京国際アニメフェア第5回功労賞」受賞……。これらの輝かしい受賞、受章歴からも、赤塚の偉大さが端的に伝わってくる。

また、18年には、『広辞苑』(岩波書店)第七版にて「赤塚不二夫」の項目が追加され、19年には、イギリス・大英博物館の『The Citi Exhibition Manga』において、赤塚作品が展示された。

しかしながら、「コンプリート出来ない国民的漫画家」という称号に全てが集約されているように、赤塚不二夫を特集した出版物や番組でも、その全貌に肉薄したものは殆どなく、また関係者の曖昧な記憶や証言により、ネット上などで憶測による風説が流布されるなど、その実像が全く掴めない唯一の巨匠漫画家というマイナス的側面を備えているのも、事実として大きく横たわっている。

私が2011年と14年に前掲の二冊を上梓したのも、不世出の天才漫画家・赤塚不二夫の歴史と真実、そして生み出された作品の魅力を余すところなく記録しておきたいという想いが、大きな原動力となったからにほかならない。

だが、地味な漫画論評集という特質上、ベストセラー、ロングセラーとして広く読まれるという結果には到らなかったため、この二冊を刊行した後も、長らく忸怩たる想いに苛まれていた。

そこで目を付けたのが、当ブログの立ち上げである。

インターネットメディアの特性を活用すれば、巷に蔓延る誤った赤塚理解をより広く是正出来るとともに、赤塚ワールドの全体像をより世間に喧伝することも可能だという結論に達したのだ。

以前、この「「本気ふざけ」的シリーズ」を執筆していた際、赤塚不二夫のギャグ漫画に賭けた熱烈なエナジーと、世界的にも類例を見ない飛躍的な経済躍進を遂げた、戦後日本の激動の時代の熱気とのシンクロニシティが、奇しくも浮かび上がってくるということが多々あった。

それは、赤塚のフロンティア精神と斬新なギャグを次々と生み出すエネルギーが、戦後、生産力水準を戦前最高値を大幅に上回るものに回復させ、その後も、東京オリンピックやEXPO'70の特需が重なり、日本をアメリカ、ソ連に続き、GNP第三位にまで押し上げた日本人の絶え間ざる技術革新、ガムシャラな労働力に通底しているかのようにさえ思えたからであろう。

また、個人より集団を重んじる共同作業により、ウォルト・ディズニーやアンディ・ウォーホルのように作品を大量生産していく製作方針においても、「東洋の奇跡」と呼ばれた我が国のキャピタリズムと重なり合っているかのようにも見えてならない。

しかし、当ブログでは、そういった赤塚作品と時代との連鎖性を検証してゆくことを標榜しつつも、ユーモアからギャグ、ナンセンスからシュールへと変貌を遂げた赤塚ギャグの変遷を俯瞰するという、もう一つの目的によっても支えられている。

更に、赤塚ワールドの魅力をマニアックに掘り下げた当ブログを読まれた「おそ松さん」ファンを含む、筆者よりも若い世代の方々が、原典の赤塚漫画に興味を持たれ、その作風、延いては、赤塚不二夫という一世一代の漫画家の烈々たる生き様やその雅量に富んだキャラクターに対し、認識と理解を深めて頂ければ、筆者として幸甚に存じ上げる次第である。

名和広