少し前だったか、テレビで「ビフォーアフター」という番組があった。狭くて、あるいは古くて使い勝手の悪い家を、専門家がリフォームして家を生まれ変わらせるといったもの。雑然と散らかった家の中に、収納を設けたり、間取りを変えたりして、住みやすく変えていく。ビフォーとアフターの差は歴然としていて、住んでいた人は、生まれ変わった家を見て、感動し、これならば快適に過ごせるという感想を述べる。確かに、そうなのだろう。しかし、その快適空間をいつまで維持できるのかと、疑問を感じながら、私は見ていた。
片付けられる人だったら、ビフォーの状態には絶対にならなかったし、多少の工夫が働いて、もっと快適に過ごせていたのではないだろうか?他人の手によって、確かに、整理され、一見快適に見えるが、だいたい整理整頓の下手な人(私を含む)は、片付け過ぎると、居心地の悪さを感じてしまうものだ。少し散らかっているくらいが、気持ちも落ち着いてくるそんな人も多いのではないか?ただ、難しいのは、散らかっているという基準は、人によって微妙に違うことだ。自分ではこれくらいならまだ片付けるまでのことはないと思っても、傍から見ると、かなり散らかっていると見えることもあろう。ただ、あまりに散らかり過ぎてしまうと、今度は、片付けが非常に大変に思えてしまい、手の付けられない状態に陥ってしまい、いわゆるごみ屋敷状態に至ってしまう。
人が訪ねて来ると思えば、だれでも、部屋の片づけを始めるものだ。それは、人から見ると、部屋が散らかっていると思うだろうという予測に基づいて行動だ。ただ、あまりに散らかり方がひどすぎると、もはや片付けるという行動に繋がらず、後は居直るしかなくなってきてしまうのだ。ごみ屋敷の最大の特徴は、人が訪れることがないということだろう。人が訪れないから片付けない、片付けないから人が訪れなくなる。まさに、悪循環だ。人は、他人の目を気にするから、片付けもし、掃除もする。それがなくなったら、散らかり放題、汚れ放題になるのは必然と言える。
ご無沙汰致しています。奥様の介護が少し軽減され不満の投稿が減ったナ、と思っています。でもワタミの宅職に替えても、もう一品、味噌汁の具材の追加と、それなりに手を加えてらっしゃるのですネ。読む度に、私には出来ないことだ、でもどうする?と考えてしまいます。お互いにいつ迄も身体が動かせる状態を維持できるのが一番ですね。