まずは、パソコンを例にとって話を始めたい。パソコンの場合、CPUの能力が高ければ、複数の処理を同時の行うことができる。正確には、全く同時に行っているわけではなく、一つ一つの処理が短時間で済むので、上手に時間を区切って、次から次へと処理をしているらしい。そのため、一見、同時に二つ三つの処理を行っているように見えるのだそうだ。Dio2とかDio4とかになると、1つのCPUの中に演算装置が2つ、4つ入っていて分散処理を行っているので、これは少し話が違ってくる。
ところで話は変わるが、聖徳太子は、同時に何人ものに話をさせて、それを理解することができたということだ。能力の高い人の中には、この種の人はたくさんいるようだ。まあ、人の話というのは、大事なポイントはそう多くあるはずはなく、聞き流していても、それほど大したことではない部分が多くある。そういった時には、他の人の話に注意を向け、大事な話になったら、また、注意を戻す。こうすれば、同時に二人、三人の話を聞くことが可能のようだ。
私はというと、全くマルチ処理が苦手なのだ。1つのことをやっていると、他の事は全く注意が行き届かなくなってしまう。例えば、本を読んでいると、音楽を掛けていても、そちらには全く注意が行き届かない。まあ、車を運転しているときに、同乗者が話しかけてくるとそれに応じて返事を返すことくらいはできるのだが、少し込み入ってくると、すぐに混乱してしまい、話が繋がらなくなってしまう。まあ、目は見え、音は聞こえ、皮膚感覚もある。注意を振り分けていけば、それらの情報を受け取ることはできるはずなのだが、瞬時に対応できないということは、パソコンで言えば、メモリーが足りずに、いくつもの情報を分散して保存していくことができないようだ。だから、同時処理がとても苦手なのだと思う。
食事のとき、妻から、「色々なものをバランス良く食べればいいのに、あなたは1つものを食べ、次に1つのものを食べる。」、「1つのものを見ると、他のものが見えないのかしら?」と言われる。確かに、テーブルのものを一つ一つ平らげていく、これは昔からだ。食事でも、マルチ処理はできないようだ。まあ、それで、どうなるか?というと、どうなるものでもないのだ。ただ、全てにわたって同様のことが言えるので、少し問題かなと最近思うようになってきた。
1つのことが気になると、ついついそれに熱中してしまい、周りが見えなくなってしまう。いくつかの仕事を同時進行的に行っていくのが最近とみに難しくなってきた。これって、ボケの始まりかもしれない。困ったもんだ。
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