私は一ヵ月ぶりに我がR社の事務所に顔を出した。
本格的な工事業を始めたにも係わらずR社が持っているのは、小綺麗なA県N市の街中にある事務所と、営業車のみだった。
一階がカフェになっている細長いビルの二階に上がり、網目ガラスの扉を開ける。
「おはようございます」
私が事務所に入ると、すでに出社していた皆が一斉に振り向いた。
「おお、久しぶりだね!なんか大変だったんだって?」
「おはよー木田ちゃん、元気だった?」
「おはようございます、木田主任!心配していたんですよ!」
返ってきたのがいつもの型通りの挨拶では無く温かい反応だったので、私は何だかむず痒くて仕方なかった。
「おお、お帰り!よう無事に帰って来たな」
席に着いた私の背後から声がした。それは私を現場に放り込んだ張本人、常務の渡だった。
「おはようございます、無事に帰って来ることが出来ました。いやぁ、机の上に花が飾られていなくて安心しました」
「わはは、そう言うな!」
渡は笑いながら私の肩をバシバシと叩いた。
「まあ、ちょっと落ち着いたら打ち合わせでもするか」
「ええ、分かりました。とりあえず領収書だけでも整理します」
私はそう言うと、B軍基地の工事で使った領収書の束を取り出し、清算業務を始めた。色々な意味で大変だったので、出張している間は一切領収書の整理をしていなかったのだ。
ホテルの宿泊代、フェリー料金、高速料金やガソリン代、そして現場で使う為に買い足した様々な道具類。S社が用意してくれるだけでは到底間に合わなかったので、色々な物をホームセンターで購入した。電工ドラム、投光機、懐中電灯、耐震電球、電池、軍手、皮手袋、耳栓、防塵ゴーグル、工具箱等、後から計算してみるとかなりの買い物だ。
それ以外には、食事の無いビジネスホテルに宿泊したので、朝食と夕食は定額支給とした。ついでに昼食の現場用仕出弁当代も勝手に現場経費に盛り込んだ。
問題は接待交際費だ。居酒屋『大吾』で楽しく呑んだ十万円分の領収書、これは自分一人で呑んだので自分のポケットマネーで処理するのは仕方がない。だが、職人たちと呑み倒した領収書が凄かった。その金額四十数万円也・・・。
「うーん、どうすっかなぁ」
私は思わず独り言を呟いた。
私の仕事に対するスタンスは、『いつでも辞めてやる』が基本である。従って、何の経験も無い私をいきなり過酷な現場に放り込んだ我がR社には、夜の息抜き代を負担してもらおうと勝手に思っていた。
「そんな事が許されると思っているのか!」
と言われたら、
「じゃあ辞めます」
と答えるつもりだった。だが、それにしても四十数万円という数字は強烈だ。
これまで営業マンとしてこの会社で働いて来た五年間、私はただの一度も宴席での接待交際費を使ったことは無かった。せいぜいお中元とお歳暮の時に、ゼネコンの現場事務所に三千円のビールケースを一つ置いてくる程度だった。
領収書の束の中でも強烈なのが、KT社の江藤を連れて行ったソープランドの領収書だ。隣県であるS県U市『有限会社○○興業』の領収書である。これはもう怪しさ全開だ。だが私はあえてこの領収書を、接待交際費における領収書の束の一番上にセットした。
昼前、私と渡との打ち合わせが始まった。
私は改めて今回の工事の概要、感想、そして問題点を話した。
「で、結局ハンドガンの作業は人次第ってことか・・・」
渡は私の説明を聞いて腕組みをした。
「ええ、まずは経験値が一番大事です。今回の一ヶ月で、KT社の皆はそれなりにS社の職人たちに近い面積を撃てるようになりました。このまま次回もあのメンバー四人で作業を出来るのなら問題は無いと思います。でも江藤さんの話を聞くと、今回はたまたまあのメンバーだったけど、本業の工事が入っていれば別の人間が行くこともあり得ると、彼は言っていました」
「そうやな、確かにKT社には他にも職人がたくさん居るし、途中まで進んだ現場で棒心クラスを交代させる訳にもいかんだろうな」
「ええ、今回はS社に色んな意味で面倒を見てもらったので良かったんですけど、ウチが単独で工事を請けたら大変なことになりますよ」
「もしガンの撃ち手に全員初心者を連れて行ったらどうなる?」
「工事が全然進まない程度で御の字、下手をしたら事故です」
「事故はあかん、それはあかんわ…。そうか、そんなに経験値が大事か…」
「ええ、その為にS社の職人たちと呑んで、何人か当たりを付けておきました」
「ほう、どんな奴や」
「例えば、さっき話したT工業の小磯という人です」
「おお、KT社の皆にガンの撃ち方を教えてくれた奴やな」
「ええ、アルバイトで手伝ってもらえないかと頼んであります」
「ほう、さすがにぬかりが無いな」
「ええ、仲良くなるために結構呑みましたけど」
「そりゃお前、そういうお金はしゃあないやろ」
「そうですか、それで安心しました」
私は接待交際費の領収書の束を、渡の前に差し出した。
「これは?」
「接待交際費です」
渡は手に持った紙束の厚さに驚いている。
「えらい頑張って呑んだな」
「ええ、ちょっと頑張ってしまいました」
「これ、全部でいくらあるんや?」
「えー、っと、確か四十数万円程度かと…」
「よ、四十ってお前…」
渡は領収書をペラペラとめくり始めた。
「この一番上の一番高額な有限会社○○興業の飲食代ってなんの領収書や?」
「その会社の住所を見て下さい」
「S県U市って、ん?」
「KT社の棒心、江藤さんと行きました」
「お前…。で、楽しまれましたか」
「ええ、楽しい一時でした」
「わはは…、それは結構でしたな!」
渡は困惑の混じった苦笑いをしていた。そして、ここで打ち合わせは終了となった。
私が応接室を出る時、渡は一人でブツブツと言っていた。
「これは、どう処理をしたもんだか…」
私は良い上司に恵まれた様だ。
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