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ガザのたさくんの物語

2014-08-16 19:11:49 | 情報・イベント紹介
■拡散歓迎■

京都の岡真理です。

ISM(国際連帯運動)のHPから、サラ・アル=ゲルバーウィーのフォト・エッセイ「ガザのたくさんの物語」をご紹介します。

サラは、1991年生まれの23歳。ガザのイスラーム大学出身です。
イスラーム大学は6年前のキャストレッド作戦でも爆撃され破壊され、今回も、爆撃に遭いました。テロリストの兵器開発センターだという理由で。
サラは、そのとおりだ、と言います「もっとも危険なテロリズムがここで行われていた――知を築くというテロが!」と。

原文のサイトには、たくさんの写真が掲載されています。破壊される前の美しいイスラーム大学の写真もあります。ぜひ、それらの写真を見ながら、お読みください。

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http://palsolidarity.org/2014/08/more-stories-from-gaza/

ガザのたさくんの物語

サラ・ゲルバーウィー
ISM / 2014年8月9日

亡くなった者たちについて書こうとすると、どこから書き始めたらいいのか、途方に暮れてしまう。死者の数は今、1898人に達している。うち子どもが433人、女性が243人、85人が老人。負傷者は、9837人。

彼らは、何千もの物語を遺して逝った、癒しがたい痛みとともに。

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ぼくは、イブラーヒーム・イスマーイル・アル=グール。左の写真がぼく。ぼくには、双子の弟がいた。
ぼくたちはいっしょに生きてきた、ママのお腹のなかで9か月、それから外に出て10日間だけ。
ぼくたちはずっと一緒に生きていくのだと思ってた。一緒に遊んで、一緒に幼稚園に行って、それから一緒に学校に行って、大学に行って、友だちも一緒。ぼくたちは永遠に親友だと思ってた。
ぼくの双子の弟は、殺されてしまった。もうちょっと成長して、外の世界の生活を見ることもなく。
ぼくは、ぼくの分身、ムハンマドを亡くした。

ぼくが亡くしたのは双子の弟だけじゃない。ぼくはママも亡くした。パパも、お兄ちゃんのワーエルも。ぼくにはもう、ママともパパとも、お兄ちゃんとも知り合うチャンスがないんだと思うと、ぼくはとっても悲しい。それから、ぼくの2人のすてきなお姉ちゃんたち、ハナディとアスマーも。二人も殺されてしまった。

ぼくのお兄ちゃんやお姉ちゃんたちは、アイスクリームの冷凍庫の中にいる。右側の写真がそれ。病院はいっぱいで、もうそれ以上、死んだ人たちのための場所がなかったから。
それ以上の痛みの場所も。
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8月3日、日曜、アル=グール家は10人の家族を失った。イブラーヒームの家族と、イブラーヒームの叔父の5人の家族だ。

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ぼくはラーミー・ラヤーン。ぼくには、ぼくのことをこの地上の誰よりも愛してくれる母と父がいた。ぼくは1人息子だった。両親はぼくに何でも与えてくれた。ぼくは彼らの人生そのものだった。

ぼくには愛する妻と4人の子どももいた。ぼくが殺されたとき、いちばん上の子はまだ8歳だった。ぼくは仕事中に殺された。銃を持っていたわけじゃない。ぼくが手にしていたのはカメラだ。

彼らはぼくの人生を盗んだだけじゃない。家族全員の人生を盗んだのだ。ぼくが死んだのは一度きりだけれど、可哀そうな僕の家族は、毎日、いったい幾度、死ぬのだろう、ぼくなしで生きなければならない今となっては。彼らは決して忘れないだろう。決して許さないだろう。

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ぼくはモーメン・クライケ。パレスチナ人のフォトジャーナリスト。27歳。
2008年、ぼくは仕事中、イスラエルの空襲を受け、両脚を失った。
2014年、同じ敵によって、自宅を失った。
ほかに何を失うかなんて、誰も予想できない。
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私たちのみなが同じ痛みを分かち持っている。私たちのみなが知っている、感じている、喪失とは何を意味するのかを。私たちの誰ひとり想像することはできない、私たちの残りの人生が――もし、これを人生と呼ぶのが正しいとして――この瞬間ののち、いったいどのようなものになるのか。

私たちは瞳を失った。私たちの無垢な、可哀そうな、純粋な赤ちゃんたちが殺された、何の罪もないのに。この子たちだって人生を愛していただろうに、でも、生きる機会を与えられなかった。でも、それは、――生きることは――この子たちのささやかな権利だった!

ここに、私たちの家があった。
私たちには生活があり、思い出があり、喜びがあり悲しみがあった……そのすべてが瓦礫の下に完全に埋められてしまった。何もかもが一瞬でなくなってしまった。
家を建てるには、時間が必要、健康も、お金も必要。小さなディテールが生まれて、それが積み重なって、一つ一つのピースが「生」の鼓動を打つまでになるには、たいそう長い時間が必要。

たくさんの物語が、今、この場の限界を超え、意味を失ってしまった。たくさんの感情が、もう二度と感じられない。たくさんの匂いが失われてしまった。
残されたのは、ただ、破壊と、喪失の悲しみと、果てしない死の匂いだけ。

これが私の大学。
私はここで、自分の未来を築いた。人生でもっとも輝いていたときだった。世界への扉だった。この建物で、私は友人たちと、卒業式でたくさんの写真を撮った。友人たちを愛するのと同じくらい、この大学を愛していた。

私の大学は美しかった。そう思うでしょう? テロが行われるように場所に見える? 私の答えはイエス。もっとも危険なテロリズムがここで行われていた――知を築くというテロが!ここで、私たちは占領に対して、教育と知識でいかに対抗するかを、そして、世界に、私たちが何者であるのかをいかに知らしめるかを学んだのだから。私のことばこそが私の武器!

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サラ・アル=ゲルバーウィー パレスチナ人市民。1991年サウジアラビア生まれ、現在はガザ地区在住。ガザ・イスラーム大学で経営学を学ぶ。現在はメディア・プロジェクトのコーディネーターとして働く。
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[翻訳:岡 真理]
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以上




※以下は会員さんから紹介がありました。
イスラエルによってガザで繰り返されている、子どもたちや女性・市民への虐殺に対して、「あんまりだ!」と思いつつも、自分として何もできないもどかしさがつのります。
この虐殺を国際社会が黙認していることに「NO!」と言えるネット署名があります。

京都大学、人間・環境学研究科教授(現代アラブ文学)の岡真理さんのメーリングリストより、ガザ支援「ネット署名」の呼びかけを紹介させていただきます。 
(「拡散歓迎」とのことです)

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■拡散歓迎■

京都の岡真理です。

イスラエルの不処罰という恥ずべき歴史に、私たちの手で終止符を打ちましょう!

イラン・パペの言う「漸進的ジェノサイド」が永続し、ガザに対するイスラエルの大量殺戮が繰り返されるのは、イスラエルの戦争犯罪や人道に対する罪が、これまでひとたびも裁かれることがないためです。

大量虐殺が起きても、世界がイスラエルを裁かないことが、新たな大量虐殺を生んできました。
パレスチナは一昨年11月、国連のオブザーバー資格を得て、国際刑事裁判所(ICC)に加盟する資格を得ました。
これに対しアメリカ政府は、パレスチナが独立国家建設に向けて政治的にさらに歩みを進めたり、ICCに加盟したりすれば、自治政府に対する一切の援助を打ち切ると脅迫してきました。

イスラエルと同盟するアメリカをはじめとする国際的圧力に抗して、いま、イスラエルをICCに告訴するという動きがパレスチナによって進められています。
それを支持する署名サイトです。

http://d.hatena.ne.jp/stop-sodastream/20140810/1407697880

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