昔 父親は子どもの私たちにいつも 言っていた
「下着は 古くてもいいから 洗濯した清潔なものを はきなさい」
男は 外に出たら 何があるかわからない。
万が一 事故にでもあって 自分が動けないとき
他人に 「汚い下着をはいていることを 見られたら 恥ずかしいだろ~」
いい服を着て 外面が良く見えても 下着が汚れていては 信用されない。
人に見えない ところも 綺麗にしておくことが 大事だ!と教えられた。
お下がりの服を来た 末っ子の私を励ます意味の言葉 親の一言が心を豊かにする
言葉は 「勇気、希望、夢、元気、励まし、生きる力、笑い、優しさ」などを
与えてくれる。
言葉は よほど注意して使いたいものだ!
「下着は 古くてもいいから 洗濯した清潔なものを はきなさい」
男は 外に出たら 何があるかわからない。
万が一 事故にでもあって 自分が動けないとき
他人に 「汚い下着をはいていることを 見られたら 恥ずかしいだろ~」
いい服を着て 外面が良く見えても 下着が汚れていては 信用されない。
人に見えない ところも 綺麗にしておくことが 大事だ!と教えられた。
お下がりの服を来た 末っ子の私を励ます意味の言葉 親の一言が心を豊かにする
言葉は 「勇気、希望、夢、元気、励まし、生きる力、笑い、優しさ」などを
与えてくれる。
言葉は よほど注意して使いたいものだ!
それは日常耳にする言葉の中にも数多くあるのだろうが気づかずに通り過ぎていることがある。
先日、よい関係のお付き合いをさせて頂いている方と仕事の事柄を含み様々な内容について話をしていた。
話せば話す程、同士と感じられる・・・・・
そのことから、自分の行動において損得を考える事無くその人の為に時間を使い行動を惜しむ事無く翻弄することができる。
私をそのように動かす動機づけはやはり相手の心以外の何者でもない。
私は心置ける同士の言葉を財産にし、またその逆に財産と感じて頂ける言葉と行動を発したいと考えお付き合いしている。
その矢先に言葉の財産を先方から頂いた・・・・・
仕事の取り組みについての話の中でのことである。
“成さぬは人の成さぬなりにけり”
誰でも知っている当たり前の言葉の続きである。
~成せばなる,成さねばならぬ何事も,成さぬは人の成さぬなりにけり~
最後のくだりが心に刺さった。
気づかせて頂いた事を財産と私は純粋に感じ、大切な相手に感謝を抱いた。
彼から何気なく頂いた言葉がこれからの自分のプランを遂行することの大きな武器となる。
私がこれから仕事をする上で重量0kgの最高の拳銃を新たにひとつ増やしてくれた。彼にいつの日か私は仕返(お返し)しをする。
頂きっぱなしでは失礼、礼は欠きたくない・・・・彼がこれからの困惑・困難に遭遇した場面で、周りの人間が敬遠する中私はあえてその局面でギラリと輝く重さ0kgの剣を差し出したく考えている。私の言葉と行動で彼が剣を手渡されたと感じられるよう日々の生活を邁進したい。
私は小国民、一人の小さい人間です。
難しいことはほとんど解りません。「学」はありませんが「人」としての「喜怒哀楽」を感じることが出来ます。
真実は本当に簡単、単純なことです。
何で多くの人々は理屈をつけるのでしょうか?
この理由は、自分の生き方に自信がないからではないでしょうか。
自分を正当化するために飾りつけをするのです。
だから、本質と本音が解らなくなるのでしょう。
自信とは「裸」になることです。
ある商品のPRのコンセプト「足しもせず 引きもせず」 あるがまま晒すことができますか?
この世に評論家が多すぎます。いらない素人も評論している。
本物の評論とは「命をかけて戦う勇気と覚悟」があるかに他ならない。
安全なところにいて、評論する人の言葉に心が感じられない。
ネズミはネズミと鷲は鷲としか会えない。
ネズミの論理と鷲の論理は己ずと違う。
住む世界が違うのであろう。お互い認め合おう。これが人間社会の多様化であろう。
これからも多くのコメントを期待してます。