羊蹄学園大学社会学部講義集

北の大地に突如としてできた架空の大学。
かつてないテーマで綴る社会学とは?

佐山武雄の塾戦争第30回~太陽の罪(5)

2006-01-29 10:25:41 | 塾戦争影の第2章
(5、分裂する太陽)
こんにちは。
今日は久々に1コマです。

前回は佐鳴の影の部分を紹介しました。

まぁ早い話、こうした佐鳴の勢力の減退、内部での歪みや悪いウワサは、内部の有能で良識ある、特に教育に純粋に打ち込む講師にしてみれば当然嫌気がさすものです。
そして嫌気がさした結果どうなるか、様々な道はあるでしょうが、佐鳴を去り、新しい塾を創造するようになるのもひとつの道と言えるでしょう。
それは佐鳴の分裂であり、ひとつの事件と言えるでしょう。

佐鳴の元講師による新しい塾の創設…その傾向が顕著なのが愛知県の三河地区と言われています。
この地域は佐鳴が愛知県進出の際、最初に校舎展開をし、塾としての力をつけた、佐鳴の生命線とも言える地域です。
おかげで豊橋の時習館高校などの合格実績は他を圧倒しています。
しかし…少しずつではありますが佐鳴の牙城は切り崩されつつあります。

まずは、1995年に豊橋市で設立された、「開拓塾」。
塾長は岡田竜馬氏。
佐鳴の講師をしていた後、退社して仲間とともにこの熟を旗揚げしました。
設立から10年経ち、今では豊橋とその近郊に佐鳴と同じような独立した専用校舎10校舎を所有し、市内では佐鳴と肩を並べる存在にまでなっています。
そして更なる拡大…豊橋から豊田・名古屋方面への校舎展開を狙い、その第一弾として豊田近郊の三好町にも新規開校…とまぁ、三河地区(愛知県東部地区)では最も勢いのある学習塾です。
2003年の売り上げは3億1000万円とまだまだ小規模ですが、ホームページを見れば岡田氏の熱い思いが込められたエッセイを読むことができます。

一方、2004年には岡崎市で「夢現塾(むげんじゅく)」が設立されました。
塾長は佐鳴の岡崎地区統括本部長だった目黒義浩氏。
正社員講師は目黒氏含めて4人しかいませんが、4人とも佐鳴の元精鋭講師で、その中には入社時から佐鳴のホープとされ、就職活動用のパンフレットには必ず写真入りで登場し、退社直前までホームページで見られる模擬授業の動画にも出ていた人までいます(入社時と比べるとすっかり恰幅がよくなってしまいましたが)。
校舎はまだ岡崎市内に2つ。
しかし、市内ナンバー1の塾とされている佐鳴の手の内を知り尽くしている講師陣なだけあって、2年で塾としては急成長を遂げています。
何よりホームページで読むことの出来る各講師の書く日報から、塾としての意気軒昂振りが伝わってきます。

いくつか元講師の立ち上げた塾は他にもありますが、三河地区におけるこの2つの塾は別格で、佐鳴は安穏としていられなくなりました。
特に幹部社員でもあった目黒氏の「夢現塾」の設立は衝撃だったようで、今年になって佐鳴は岡崎へのてこ入れを積極的にしているようです。
岡崎本部校舎の新築移転などはいい例で、挙句秀英の進出は時間の問題とされている今、佐鳴はますます焦ることでしょう。

ところで…
ここまで取り上げた佐鳴内部の問題と分裂は、佐鳴だけに限ったことなのでしょうか。
どうもこのようなことは多くの塾にありがちな、というより多くの業種にありがちな話のように見受けられます。
ならばこの話の背後にあるのは何なのでしょう。

次回はそこに焦点を当てていきます。

それでは、また。
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