早いもので 3月になってしまいました。
10日ほど このブログをお休みしていました。
というのは・・・
2月20日 午後2時28分、しょーこのブログのパートナーでもあった じょーじが お空に還っていきました。
そのことがしょーこの中で 受け入れられないところがあって、じょーじとの思い出のいっぱい詰まったここを どうしても 開くことができなかったんです。
でも あれから10日経って 月も変わって いつまでも こうしているわけにもいかないので・・・・ 気持ちを整理しつつ ここも 再開することにしました。
今後とも どうぞ どうぞ よろしくお願いいたします!!
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2002年5月5日、我が家に天使がやってきた。
それは 本当に 偶然みたいなめぐり合いだった。
その日 実家で見つけたゴールデンウィークセールのチラシを手に コジマ阿佐ヶ谷店に買いに行ったのは 特価4,890円のシマリス。
でも そのシマリスが売り切れてて シマリスの檻の下にあったフェレットを 店員さんに勧められるまま抱いて 断りきれずに 買ってきてしまったというなりゆきで キミは 我が家にやってきた。
そのときお店にいたフェレットは5匹。
4匹は 真っ黒な セーブルっていう毛色で 残りの1匹は ベージュの シナモンっていう毛色。
毛の色は シナモンが可愛かったんだけど お面はその子が一番「ぶちゃいく」で 顔を取るか 色を取るか 迷いに迷った挙句 毛の色が可愛い方を選んだ。
それがキミとの最初の出会い。
でも 買うことになって お店の人が抱き上げたら いきなり 店員さんのエプロンにおしっこをかけちゃって・・・ 今思うと 第一印象は 結構 さんざんだった。
で 新しい檻でさらに狭くなった部屋の中で、真夜中に カラカラと音を立てて水を飲む音が響き渡るのを聞きながら 初めて生き物を飼う不安と 「面倒くさいことになっちゃったなぁ」みたいな 若干の後悔が入り混じった 複雑な気持ちで 最初の夜を過した。
名前は 「じょーじ」になった。
由来は 当時 白い平面みたいな顔に てんてん と 丸くて黒い小さな目が 離れて付いていて それが 小さい頃に読んだ 「おさるのじょーじ」っていう絵本の主人公にそっくりだったから。
なんだか自然に そう呼んでいた。
何せ 初めての子育て。
実家にネコはいたけれど 自分で世話をしたことはほとんどなく 飼ってた というよりは 同居していた に近い関係だったから、最初は 糞を始末するのさえ躊躇してしまったり、 離乳食作る加減が分からず 買ったお店に 毎日のように電話して質問してたり、トイレを覚えさせるのに一苦労だったり・・・毎日が 大騒ぎ。
仕事で 帰りが予期せぬ時間になってしまったときは 「まさか 飢え死にしてないよね!?」ってドキドキしたこともあった。
中でも 夏になって エアコンをずっと付けっぱなしにしなきゃならなくなっって それまで4000円台だった電気代が 一気に2万円台に跳ね上がったのには 閉口したなぁ。
でも やがて 一ヶ月もすると しょーこの中に ある変化が起き始めた。
自分の中には絶対にないと思っていた 母性本能に近い気持ちが芽生えだしたのだ。
それは 自分以外の生き物に 初めて抱く感情。
ペットを飼うのは ほんの初心者だけど この子が 「しょーこに飼われたばっかりに 不幸な生涯だった」なんてことにだけはしたくない なんとなくそう心に決めていた。
こうして キミは 我が家の「家族」になっていった。
「家族」という言葉で もう1人 欠かせない存在は 大家のおばあちゃん。
でも この出会いも 決して 最初から順調だったわけではなかった。
買ってきたときに とりあえず おばあちゃんのところに顔見せにいあったら おばあちゃんは ちょっと怪訝な顔をして 「それ リスなの!?」って聞いた。(リス買ってくるって言ってあったので)
事情を説明したら まじまじと 見つめて 「毛の色はキレイだから 死んだら襟巻きにできるんじゃない!?」って言った。
そして 「おばあちゃんは そういうの 触れないから ちゃんと自分で世話してよね」って ぴしゃりと言われた。
そんな出会いだったのに 両者は いつのまにか仲良くなっていて じょーじは 廊下で おばあちゃんがやってくる足音を聞きつけると 大急ぎで玄関に走っていって おばあちゃんを 「お迎え」するし、「触れない」って言ってたおばあちゃんも いつしか じょーじを毎日 抱っこしに来るようになってた。
2005年の夏 しょーこが 愛知万博のミュージカルが決まって 何ヶ月も家を空けることになったときには、 そのおばあちゃんの方から 「預かりたい」って言ってくれて しばらく 「おばあちゃんの子」になってた時期もあったくらい。
(で 帰ってきた時には 名前が 「じょーじ」から 「ちょんさん」に 変わっていた。)
おばあちゃんは ある意味 飼い主のしょーこ以上に キミのママ だったよね。
ねぇ おばあちゃんは いまだに 「ちょんさん」にエサをあげてた時間になると この部屋にやってきて キミに会いに来てるんだよ!!
もちろん 知ってるよね!?
7年9ヶ月 本当にいろんなことがあった。
いっぱい笑って いっぱい泣いて いっぱい困って そして いっぱい 幸せな気持ちになった。
その 月日の流れの中で キミは いつしか 赤ちゃんから大人になって そして また 赤ちゃんに戻っていきながら 命と接することの喜び、厳しさ そんなことを しょーこに 身をもって伝えていった。
特に 年明けからの最後の2ヶ月は しょーこや大家のおばあちゃんが 「生きて欲しい」と願った分だけ 頑張ってくれた そんな感じだったよね。
フサフサだったシッポがみんな禿げてしまって もう 自分でトイレもできなくなって 大好きだったカリカリのご飯が食べられなくなって・・・それでも 赤ちゃんみたいに甘ったれの かわいい顔は 最後まで変わらなかった。
そして どんなにカラダが動かなくっていても キミが生きていてくれることが しょーことおばあちゃんの喜びだった。
だけど やがて しょーこも大家のおばあちゃんも もう限界まで疲れてしまったある日 キミは それを察したみたいに 生まれる前にいたところへ 1人で帰っていったんだよね。
あの日のことは 忘れられない。
昼の2時過ぎ しょーこが出先から戻ってきたら キミは 目をパッチリ開いて 首を軽く上下させていた。
もう 前日から エサも水も受け付けない状態になっていたから 覚悟はできていた。
でも その 眼があまりにぱっちり 力強く開いていたから 思わず抱きあげて 「なんとかなるかも!?」って思いで獣医さんに電話して、 受話器を置いて ふと見たら キミは顔を上に向けて悶えていた。
ビックリしてカラダをなでたら カッと口を開けて 眼を見開いたまま まるで映画の1シーンみたいに 逝ってしまった。
しょーこが帰宅してから ほんの10分。
コートを脱ぐ間もないほどの あっという間の出来事だった。
今思うと きっと しょーこの帰りを待っていてくれたんだよね。
しょーこは いっつも家を留守にしていて いっぱい いっぱい 寂しい思いもさせてきたのに キミはそんなしょーこを 飼い主だと思ってくれていたんだね。
ありがとう。
本当にありがとう。
見開いたままだった眼と口は 大家のおばあちゃんに抱かれているうちに 自然に閉じて (きっと 大家のおばあちゃんの顔も見たかったから 眼を開けてたんだよね!?) 最期の顔は 本当に眠っているみたいに穏やかだった。
翌日、2月21日の午後、 7年9ヶ月前に コジマの段ボールに入って我が家にやってきた天使は みんなが持ってきてくれた たくさんの真っ白なお花に囲まれて 幸せな寝顔で 我が家を後にして お空に還っていった。
そして あれから10日・・・。
最初の3日は 平常心でいるのがやっとだった。
1人になると 最期の瞬間ばかりが脳裏に浮かんで 本当に気が狂いそうで・・・。
でも 今はちょっと違うんだよ。
まだ キミのお家は お花と写真に囲まれて そのままにしてあるし、時々 そこに キミの気配を感じたりもするけれど 脳裏に浮かぶのは 辛い最期の瞬間じゃなくって キミと過した 7年9ヶ月と15日の 幸せな思い出。
それは キミが もう この世での苦しみからすっかり解き放たれて お空で幸せに暮らしてるってことなのかなぁ!?
もう 苦しい思いもしなくっていいし お薬も注射も必要ないんだもんね!!
きっと 禿ちゃったしっぽも後ろ足もすっかりまた 毛が生えてくるよね。
今は ゆっくり休んで、 でもね、 すっかり ピカピカの新しい命に生まれ変わったら また しょーこの所に帰ってきてくれないかなぁ。
キミを包んだ お気に入りのバスタオルに しょーこのSAMURAI WOMAN 噴きかけておいたから そのニオイを頼りに・・・きっと しょーこを見つけてくれるよね!?
今はすっごく寂しくって辛いけど ママは その日を 首を長くして待つことにします。
キミと過した日々は 本当に 夢のように幸せだったよ。
だから 2849日分の「ありがとう」の気持ちをこめて この手紙を キミに捧げます。
最愛のじょーじへ。
2010年3月1日
橋詰 祥子