ポートランド日記

米オレゴン州ポートランドでの生活模様

在米日系人の歴史①エキスポ・センター

2009年04月19日 | 地元事情
昨日は市内の日本食材屋・“安全”に行って豆腐とおからなどを調達してきた。このお店、お父さんからお店を継いだヒロシさんという日系人が経営していて、当地の日系人会Ikoi no kaiでも中心的な人物。顔がおにぎりみたいで(ちょっと失礼…)、山下清を彷彿とさせる人の良い風貌なのだけれど、彼の方でもいつも無料のおからを必ずもらっていく我々を日本人と認識しているよう。

前から気になっていたことがあったから、思い切って話しかけてみたら、流暢な日本語で日系人の歴史について説明してくれた。

以前、ひょんなことから市街の北の端にあるエキスポ・センター(催事場)に行ったことがあったのだけれど、その傍に、石製の鳥居が数台、並んで建っていたのを見た。各鳥居には銀色のお札のようなものがつけられていて、側面には何やら由来が書かれた説明文が彫られてあったけれど、時間がなくて読むことが出来なかった。

巨大かつ近代的な催事場と日本の鳥居、このミスマッチがずっと気になっていたのだけれど、ヒロシさんの説明で、ようやくなぞが解けた。

この催事場のあった場所は、太平洋戦争中の1942年、在米日系人らが一時収容された場所で、半年後、彼らは近隣のアイダホやカリフォルニア州の強制収容所に送られることになるが、それまでを過ごした場所で、元々畜産所に一時収容所を作ったため、夏は臭いがひどかった由。

きれいに整地された現在の催事場の場所に、その歴史を残すため、鳥居が立てられたそうで、ちなみにお札のような物は、当時収容されていた各家庭に1つ割り当てられた番号が書かれていた札を表しているそう。この名札ではなく番号札は、当時彼らが体験した人間以下の扱いを象徴するものということらしい。

終戦後、彼らはかつて住んでいた土地に帰ることを許されたが、多くの人々は収容中に全てを失い、かつて中華街に隣接していた日本街は、ついに復興されることはなく、在留日系人は市内に散り散りになって生活するようになったそう。

その日本街の跡地には、日系人の歴史を展示した博物館があるということなので、近いうちに訪れてみたいと思った。

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