ボウラー仁義(仮題)

ボウリングは休業中
更新はドクターイエローを見かけるくらいの頻度で

少年時代

2008年07月16日 | Weblog
(つづき)

パノラマカーの展望席を独占した後は、
2X年の時を経て、幼少のみぎりを3年ばかり過ごした守山区へ。
かすかな記憶をたどって、名鉄瀬戸線の栄町駅へ向かう。



そうそう、地下ホームから出発だったなぁ…
とか思っていると程なく列車は動き出した。
後から知ったことだけど瀬戸線を走る6750系てのは
大手私鉄ではここにしか残ってない釣掛駆動の電車なんだそうで。
言われてみれば、ものすげ~爆音が特徴的だった。
その割にスピードはそれほど出てなかったり。

バスに乗り換えて、ついにたどり着いたかつての地元を
東名阪自動車道が縦断していた。
僕らにとっての野球場だった広大な空地はいまや高速道路に姿を変えて
当時の面影は全くない。
流れた月日の長さ、重さを思い知る。
切ないねえ、こういうの。

とは言え名古屋市の外れも外れの守山区。
大きな変化といったらそのくらいで
その頃住んでいた建物もまだ残っていた。
改装されて見栄えは良くなっていたけれど。
いま歩くと大した距離じゃない通学路を歩いて
小学校にも行ってみた。
意外にも、校舎も体育館も当時のまま。
懐かしさに思わず頬も緩むけど
真昼間にオッサンがニヤニヤしながら小学校を覗いていると
通報されかねないので、早々に立ち去る。

この日は名古屋の暑さを思い知らせる真夏日で
公園で頭から水をかぶったりしながら
その後もしばらく、少年時代の行動半径内を散策。
サンダル履きの素足が靴擦れに悲鳴を上げ始めたころ
これも当時はなかった「ゆとりーとライン」てなんじゃい?
と思ってエレベータを上がってみると



専用道路を走るバスなのでした。
なんて近未来的。
守山区のくせに。
おかげで、どうやって戻ろうかと考えていた大曽根まで
サクッと行けちゃいました。


(おまけ)
守山区出身の有名人
Wikipediaによれば、
川島なお美、イチロー、青木さやか
などがいるそうです。
かなりの豪華メンバー!
もっとも僕自身は静岡出身なので自慢する立場にないですが。

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2 コメント

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懐かしいね^^。 (F地。)
2008-07-27 12:01:32
 瀬戸線かあ、私が写真を撮ってから、もう35年以上も経つよ。
その頃、自分は庄内緑地公園脇にあった社宅に住んでいたけど、
ひょうたん山の社宅に住んでいた同僚達にとっては、通勤の足だったね。
 彼らの社宅にもよく遊びに行ったけど、もっぱら車だったんで、
電車に乗ったことはないさ。

 当時の瀬戸線は、市内の基点は堀川。
堀川から清水口(今は清水?)までは、名古屋城のお堀の中を走っていた。
 堀川は、西区の菓子問屋街へのアクセスには重要な起点となっていて、
よく、背中に大きな箱を担いだおばさんやおばあさんの乗降を見たし、
堀割り堤の斜面では、つくしやよもぎなどの野草を摘む人も多かった。

 堀川を出発後、二の丸橋?の下を通過するときは、すげえ複雑な
複線なのに、単線区間で^^、口や文章では説明できないから、機会が
あれば図で示すことにするよ。
 そして市役所下駅を過ぎると左に大きくカーブ、堀の中だからカーブも
半端じゃない。
 うっそうとした樹木や違法建築?住宅の中で写真を撮っていると、
それこそ、つりかけ音をうならせて、電車が近づいてくるんで、
警報機なんかないけど、列車接近を肌で感じたものさ。

 清水口以降は、一般的な風景のなかを瓢箪山方面へと延びていたけど、
自分は撮ってはいない。
 貴君のブログを拝見後、あらためて瀬戸線のアルバムを紐解いてみると、
芸術性はともかく、記録的には一級品^^と思える写真が満載だア。
いつの時代も、鉄道の駅は、社会の縮図だね。
 いにしえの世界にしばしのワープ。
背景の街並み、人々の服装や電車の古さに時間の流れと速さを実感した次第。
それではまた。
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(ToT) (dk)
2008-08-08 14:02:16
いつもながら、
F地さんは実に味わい深いコメントで
僕の稚拙な駄文を補完してくれてますね。
歴史の重みを感じました。

当時の複雑な線形の図解、見たいっす
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