ボウラー仁義(仮題)

ボウリングは休業中
更新はドクターイエローを見かけるくらいの頻度で

運動vs食欲

2008年11月17日 | Weblog
「食欲の秋」と浮かれてられないくらい、やばい。腹が。
いまの仕事になって一年。
夜型のやや不規則な生活と
おやすみ前の暴飲暴食が原因なのは明白。
原因があると結果ってちゃんと出るものだなあ。

先日ボウリング場のある常連さんとの話の中で
40あたりからだんだんと肩は痩せ、腹が出てくるのだと言われた。
いわゆるオジサン体型だ。
僕に「気をつけなはれや!」と言うその人は
50過ぎても今の体型を維持したいと、
日々ランニングや筋トレに励んでいるらしい。
30代半ばの自分に、確かに一刻の猶予もない。
尻に着いた火で腹の脂肪を燃やさねば。

久々ご登場願ったビリー隊長は相変わらずの鬼教官ぶりで、
まったくついていけない。
そうだ、「運動不足」も忘れちゃいけない大きな原因の一つだった。

2日目:姫路~京都

2008年11月05日 | Weblog
起きたら体が痛い。
おーそうだ、ここ漫喫だったわ。
しかも体勢を変えるのがやっと、な狭い個室。
静岡のいつも行ってる店がいかに恵まれた環境かって知った。
ここは駅前なんだから仕方ないけど、
ネカフェ難民やるなら静岡にしよう。

明石からちょっと戻って姫路へ。
S藤さんもぜひにと勧めてくれた姫路城、
新幹線の窓からはちらっとだけしか見えなかったから
どうしても間近で見たかったのだ。
やはり男はチラリズムに弱い生き物。


天下の名城・姫路城は噂にたがわぬ美しさ。
この日もたいへん天気がよく、
清々しい青空をバックに白鷺の姿がいっそう映える。
惜しむらくは営業開始前で内部が見学できなかった。
それは、またの機会の楽しみに。


旅の終わりは京都へ。
ここらへんですでにケータイの電池もカメラのメモリーも
カスカスで気が気じゃなくなってきてもいる。

寺を巡るにはチト時間が足りないし、一人で行っては
以前から京都へ行きたがっている相方のヒンシュクを買う。
保津峡へ行くことにした理由は、それと
最近買った「電車でGO!」で見た景色が印象的だったから。


生で見る、嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車からの景色は期待を裏切らなかった。
紅葉の時期はどんなにか素晴らしいことだろう。
今月下旬にもう一度来ようか。


今振り返ると2日とも本当にお天気に恵まれた。
おかげで、いきあたりばったりながら良い旅になった。
モノより、思い出。
またいつか、西へ。

明石の夜

2008年11月05日 | Weblog
新幹線が広島へ向かう途中で停まった西明石駅。
明石と言えば、○×クラブのアイドル・S藤さんの故郷じゃないの。
久々にメールして、関西に来ていることを伝えると
神戸近辺のおすすめスポットやら
自宅近くにあるというリーズナブルな宿を紹介してくれた。
見た目も中身も素敵なS藤さん、
以前と変わらず誰にでも、こんな僕にも親切だ。
しかし一泊すると思い立った時から
まんが喫茶でと決めていた。
気ままな一人旅の貧乏旅行だ、
野郎一匹、野宿だって構わないが
その親切に敬意を表し
明石で夜を明かしやす。

駅の階段を降りていくと
威圧的な大声が響いてきた。
改札のあたりで土木作業に適した服装の若者数人が
何ごとかわめき散らしている。
階段2歩で上ってやるとかなんとか。
それを、さっきまでそいつらと飲んでました風の
色黒の女子2人がはやし立てるという
そこはかとなく不愉快な光景。
駅に着いた途端こんなものを見せられると
アウェー感も相まって急に不安になる。
警戒心だけは持っといた方がよさそうだ。
しかしラッキーなことに、駅歩1分のところにネットカフェ発見。
今日はここで寝よう。

1日目:広島~神戸

2008年11月04日 | Weblog
西日本日帰り大旅行のはずだったが、
次第に一日で帰るのが惜しくなってきた。

宮島から本土へ戻ったら、原爆ドームも見たくなった。
けっこう距離があるようで、どうしようかなーと思っていた時に
目に入ったのが路面電車。



広島は、路面電車の街でもあったんだ!
ひっきりなしに行き交ってるのにもびっくりしたけど
車種のバリエーションがまた豊富で、来るやつ来るやつ全部違う。
グリーンムーバーってやつも見てみたかったけど。

じつは路面電車に乗るのは初めて。
道路の真ん中をクルマと並んで電車が走ってるのって、おもしろい。
自分がクルマ運転する側だったらちょっと緊張してしまいそう。



原爆ドーム、なんとも言えない存在感。
修学旅行生の波をやり過ごしながら
しばらく無言で見入る。


それから神戸に移動、着いた頃にはすっかり夜。
神戸と言ったら夜景!
なんだけどさすがにちょっと遅かったのか、
想像してたよりさみしい感じ。
100万ドルには手が届かず。



歩き疲れて寝床を探す。

さよなら、夢の超特急

2008年11月04日 | 鉄道


世代的に、「新幹線」と聞いてまず浮かぶのは”だんごっ鼻”の0系だ。
初めて乗った新幹線も、やっぱり0系だった。
その0系がいよいよ今月末で現役を引退する。

新型の車両に比べ加速も最高速も劣るため
過密ダイヤの中ではジャマ、と言わんばかりに
すでに東海道エリアからはとっくに追い出され、
新大阪から西で、「こだま号」として
わずかに残った3編成が細々と最後の活躍を続ける0系。
一目見ようと今、鉄道ファンが全国から集まっている。
いや、新幹線ほどのメジャーな存在だ、
関心を寄せるのは鉄ちゃんに限らないはず。
さよなら運転ともなれば注目度は急行「銀河」の比ではないだろう。
大混雑になる前に行っておいた。




今残っている車両は改良工事が施されているため
厳密には登場時のまま、というわけではないが
引退を前に、白地に青帯のオリジナル塗装に戻っているのもうれしい。
途中の岡山まで乗ってきたのが最新のN700系ということもあって
車内外のそこかしこに時の流れが感じられた。
しかし、当時最新鋭の技術が結集し
人々に希望と光をもたらした0系の
鉄道史に燦然と輝く偉大な功績が色あせることはない。
※希望=のぞみ、って読んでね。 「こだま」はねーのか?…とか言わないの。

修学旅行で行った京都が活動限界だった僕からすると
はるかかなたという印象だった関西が
思っていたより全然近いということに驚いた。
ひかり号なら静岡からでも2時間ほどで行けてしまう。
新幹線、素敵やん。
まあそんなことは計算してみればごく当たり前で
そこらへんの電車と巡航速度を比べるとざっと3倍速い。
つまり新幹線=シャアザク、ってことなので
いかにすごいかがよく分かるというものだ。
機体の性能の違いは、戦力の決定的差になり得る。

国内各地をぐっと身近なものにしてくれた夢の超特急。
その先駆けとして、
44年の長きにわたって活躍してくれた0系、
本当にお疲れさまでした。

うつくしま いつくしま

2008年11月04日 | Weblog


秋の 安芸の宮島ですよ、アキノ先生!

ということで(?)、主目的(後述)は達したと言っても
そのまま帰ってくるには惜しいので
復路は時間をかけていろいろ見て回ってきます。

なにせ京都より西に来たのは生まれて初めて。
そんな、元来ヒッキー体質だった僕を
この地まで運んだのは、まぎれもなく電車だ。
二つの意味で。