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初歩の文書分析と論理学モドキ(メモ)

賢者の石・Philosopers' Stone❸東洋哲学(承前)B.井筒さんの射程

2021-03-01 16:13:14 | 衒学大家の義太夫
 井筒俊彦さんの「東洋哲学」を考えるにあたっての対照となる,井筒俊彦さんにとっての「西洋哲学」はいたって明快だと考えています。
 ヘーゲル派/新カント派的なクラシックな視点、それにかなり”実在論”にウェイトがかかったものです*。
 *サルトルは頻繁に言及されますが、ハイデッガーへの言及はあまり目にしません。デリダとレヴィストロース/フーコーも同様。分析哲学への言及も管見のおよぶ限り目にしたことがありません。
 以上を前提にして、井筒さんの”東洋哲学”の範囲と射程について考えて見ます。
 対象とされる地域近東以東のユーラシア、西欧は無条件に、東欧はネオプラトニストに淵源をはするものとイスラーム哲学に影響を与えた物(ex.グノーシス、カバラ、ヘルメス学)以外は対象外、ステップアジア、シベリア、ビルマ以東の東南アジアも対象外。上座部仏教を視野外とする以外はまずオーソドック。
 さてこの範囲を前提として”共時的考察”の対象となったものとならなかったものを概観してみると以下のような事が見えてきます。
 ①イスラーム
  ア。神学・法学の除外
  イ。スーフィーに比べて、極めて軽いグラートの扱い(晩年の学士会講演は例外的の事象)
 ②仏教
  ア。中観の軽視、「意識と本質」などでナーガルジュナと法無自性についてしばしば言及されますが、あくまで唯識・華厳に引き寄せた解釈です。
  イ。チベット仏教の無視・タントリズムへの非言及
  ウ。上座部の無視
 ③ヒンズー
  ア。タントリズムへの非言及
 ④儒教
  ア。程朱学とりわけ周敦頤の重視
  イ。考証学の無視、程朱学以外の宋学、陸王心学の無視
 ⑤日本
  ア。浄土教の軽視、真言念仏・曹洞宗密教の無視
  イ。中世神道の無視

 一言で言えば、取り上げられたのは観照主義的神秘主義的実在論、切り捨てられたのは唯名論と肉のオルギア。”井筒さんの東洋哲学”の共時論的再構成です。空前絶後と呼ぶべきお仕事だと思いますし、読み返す度に多くの事を教えられますが、「世界哲学史」の随所にみられるオードは極めて場違いだと思います。飯山陽さんや中田孝さんが毒づきたくなる**のもむべなるかなです。
 蛇足ですが私は、井筒さんの仕事を壮大なタキーヤだろう思っていますので、飯山さんや中田さんの論難は野暮と言うものと考えています。

 この項は一応これでおしまいです。次項は「3人の碩学」か「空と唯識」いづれかの予定です。どちらも井筒さん繋がり!(^^)!

 **飯山さんが新刊で井筒さん批判をやっているようですのでたのしみです。
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