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ポーが見た未来世界(1) - 『メロンタ・タウタ(Mellonta Tauta)』より

2017-05-26 21:31:47 | 架空世界
 05/14の記事で紹介したエドガー・アラン・ポー作『ハンス・プファアルの無類の冒険』では気球が登場しましたが、ポーは他にも気球が主要な道具立てである作品を2つ、『メロンタ・タウタ(Mellonta Tauta)』と『軽気球夢譚(The Balloon Hoax)』を書いています。その中のひとつ『メロンタ・タウタ(Mellonta Tauta)』[Ref-1]はなんと未来SFです。それは冒頭の年から明らかですが、月日の方は奇しくもハンス・プファアルが出発を始めた日と同じ日付です。

===========引用開始====下線は私の強調============
軽気球「スカイラーク」号上にて二八四八年四月一日(April 1 [*])
===========引用終り===============================

 そもそも現在では日本人はおろか米英人のほとんどにも意味不明なこのタイトルは実はギリシャ語の「μέλλοντα ταύτα」で、私流に訳せば"来たるべき事柄"といった意味なのです[*1]。意味がわかれば "Mellonta Tauta" というのはかっこいい言葉に感じられるらしく、音楽のタイトルやアーチストの名前やブログのタイトルなどに見かけることができます。


 未来世界や地球外惑星や異世界など未知の世界やその社会を描くには2つの方法があります。ひとつは現在の世界の誰か、つまり我々読者と同じ常識を持っている者が異世界へ行き、または観察し、その視点から描く方法です。もうひとつは、その世界の住人の視点から描く方法です。後者の場合、読者は語り手が持つ常識を知りませんから、最初のうちは表現の真の意味がわからなかったり誤解したりします。それがだんだんわかってくる、というのが後者の方法による作品の楽しみのひとつでもあります。また前者の方法だとどうしてもテーマが2つの世界の衝突ということになりがちです。異世界に知的生命体がいれば文化の衝突がテーマになるでしょう。その点後者の方法では異世界そのものを内部から描けるという利点があります。ただし作者には、異世界の住人の常識を推し量るという力量が求められます。

 そしてこの作品は、後者の方法で本作品発表時から1000年後の未来世界を描いたものなのです。この作品以前にこの方法による作品があるのかどうかは、今のところ私は知りません。ウェルズの『タイムマシン』は前者の方法です。

 なにしろ05/14の記事で述べたように、飛行装置と言えば気球しかなかったような時代の未来予測です。冒頭の次の描写などは、現代人が読むと目が点になるかも知れませんが、そこはやさしく見守ってあげてください。

===========引用開始====下線は私の強調=============
われわれは永久に軽気球の数限りない不便を我慢しなければならないのだろうか? 誰一人、もっと早く飛べる機械を工夫出来ないのだろうか? 私には、こんなよたよたした進み方は、ほとんど拷問の苦しみに思える。確かに、家を出てからずっと、時速百マイル以上の速さで進んだことは一度もない。すべての鳥がわれわれを追い抜いて行く--いや、すべてとはいわなくとも、多くの鳥が。
===========引用終り===============================

 それはまあ時速160.9344kmと言えば新幹線よりは遅いですが、これは上限だとして通常100km/hと想定しても、それほど速く飛べる鳥はあまりいません。また速いと言っても巡航速度ではなく急降下での速度だったりします。当時は鳥の飛行速度というものも正確な測定をした人もいなかったのかも知れません。なお100mile/hは気球船の最高速度ではなく、四月四日の記述では150mile/hの気球船に追い抜かれていますし、鉄道では300mile/hを越える速度が出せるようです。


 なにせ1000年も経つと多くの記録も失われ、現在の読者がよく知っていることが妙に誤解されて伝わっておりユーモアを醸し出す、という描写は現代のフィクションではよくありますが、本作品の時代には目新しかったかも知れません。例えば次のような例です。
===========引用開始====下線は私の強調=============
けさも日の出ごろ、一つの気球がわれわれの上を通り過ぎて行ったが、ほとんど真上だったので、その誘導索がわれわれの気球の船がつるさがっている綱に実際にふれ、われわれは非常に心配した。船長の話では、もし気球の材料が五百年か千年前の安っぽい、塗装した「絹」だったら、われわれは間違いなく損害を受けていたということだ。船長が私に説明したところでは、その頃の絹は一種のみみずのはらわたから出来ている繊維だったのだ。みみずは桑の実--すいかに似た一種の果実--で大事に飼われ、十分肥ってからすり臼でつぶされる。そうして出来たべたべたしたものは、その最初の状態においてはパピルスと呼ばれ、さまざまな過程を経たあとで、最後に「絹」になったのだ。奇妙なことに、それは昔は婦人の着物の材料として大変珍重された! 軽気球も大抵それで作られた
===========引用終り===============================

 1000年後の気球の材料は曖昧ですが、ケブラーか炭素繊維か、それとも・・。ところで誘導索(guide rope)というのは、気球からぶら下げて地上に一部が降りることで自動的に高度を調整できるロープで、チャールズ・グリーン(Charles Green)(1785~1870)により発明された気球操船上の大発明です。バラストとガス抜きによる重量調整ではどんどん捨てるしかありませんが誘導索なら捨てる必要がありません。

 しかしこんなものを地面や海上に引きずっていたら高速度は出しにくいですし、なによりも上記引用のニアミス事件のごとく危ないですよね。でも空中高く飛んでいる時には巻き上げておけばいいのに、もしかして自動車で後ろからあおるみたいな嫌がらせだったのでしょうか? 後には誘導索が海上を進む船から乗員を突き落とすという描写も出てきます。

 なお気球同士のニアミスや衝突というのは本作品当時は起きようもなかったでしょうが、それが普通の交通手段になれば起きて当然というのは、さすがというか順当な予測ですね。

 別の例ではまた、古代のアムリカ人(Amriccans)のワシントン将軍の記念碑が発掘されたりします。


 さて本作品はウェルズの『タイムマシン』に比べると随分と明るい調子の文体で、イギリス作家とアメリカ作家の違いかなどと、ついステレオタイプな感想を抱いてしまいます。しかしその明るい文体で描かれる未来社会はちょっとブラックユーモア的なディストピアを想像させます。例えば次のような描写です。
===========引用開始====下線は私の強調=============
・「親愛なる友よ、われわれが個人などというものは存在すべきではないと考えられているほど文明の進んだ時代に生きていることを、私は嬉しく思う。人類が本当に気にかけているのは集団なのである。」
・「人類が哲学の上に素晴らしい光をそそぐまでは、世界はずっと戦争とペストを災難と見なしてきたということは、本当に驚くべきことではあるまいか?」「われわれの祖先は、個人の破滅が多ければ多いほど、集団にとってそれだけ積極的な利益になるということがわからないほど盲目だったのだよ!」
・「彼がいうには、アムリカ人たちはまったくこの上ない奇妙な考えから出発したそうだ。すなわち、すべての人間が自由で平等に生れたという考えから出発したという--しかも精神界及び物質界のあらゆるものの上に、かくも明白に印象づけられている等級化の法則にまっこうからさからって、そうしたというのだ。」
===========引用終り===============================

 さらに常識がこんなにも変化しうるということを示すのが、以下の描写です。
===========引用開始====下線は私の強調=============
形而上学者たちが、真理に到達する道はただ二つしか存在しないという馬鹿げた考えを人々の頭から取り去ることに同意したのは、やっと千年ほど前だということを、君は知っているかね。
===========引用終り===============================

 この2つの道とは「エイリーズ・トットルというトルコの(いや多分ヒンズーの)哲学者[a Turkish philosopher (or Hindoo possibly) called Aries Tottle]」の紹介した「演繹的あるいは先天的方法[the deductive or à priori mode of investigation]」と、「「エトリックの羊飼い」という名前をつけられたホッグ[Hog, surnamed the “Ettrick Shepherd,”]」の説いた「後天的あるいは帰納的と呼んだまったく別の方法[an entirely different system, which he called the a posteriori or in ductive]」です。

 前者はアリストテレス(Aristotle)のもじりです。ホッグはゴシック小説作家の一人のジェイムス・ホッグ(James Hogg)((1770~1835)[Ref-3]で、子供の時にEttrick農場で羊飼いをしていたので上記のようなあだ名がついたようです。もちろんこの文脈で出てくるような人物ではなく、「ジョン・ロック(John Locke)をもじっていると思える」との訳者の注釈が入っていました。

 ではこの未来世界の形而上学者なり科学者なりが採用している第3の道とは何か?
===========引用開始====下線は私の強調=============
真の知識というものはいつも直観的飛躍によって前進するものなのだ。古い観念が知識探求を這うような遅々たるものにしてきたのであり、特に数百年にわたってホッグに夢中になっていたために、思考の名にふさわしいすべての思考を実際に終らせてしまったのだ。
===========引用終り===============================

 まあ新しい真理を発見する道としては間違っていないような・・。てことは帰納と演繹が後付けでしかないということへの皮肉も入っているのかな?

 でもこのように、到底ひっくり返りそうにない論理的方法の正しさというものでさえ相対化してしまうという現代のSFでも時折登場する描写を既に採用しているというのはなかなかのもので、こういう点もさすがSFの祖父と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。ポー自身がその推理小説、ポー自身の言葉では "tales of ratiocination" で示しているように帰納的方法の威力を信奉していただけに、それさえ相対化したという点には彼の柔軟性を感じます。ただ「やっと千年ほど前」ということは本作品発表時にすでに変革が始まっていたということになるのですが?? まあ細かい表現の綾を気にしても始まりませんね(^_^)

 なお、先日も紹介しましたネタ・ヴァレーというサイトでは2015/03/17の記事で本作品が紹介されています。


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Ref-1)
 a) 『ポオ小説全集4(創元推理文庫 522-4)』(1974/09/27) ISBN13:978-448852204-9
 b) 『ポオ小説全集〈3〉冒険小説』春秋社(1962/10/15) ISBN13:978-439345033-8
 c) "The Edgar Allan Poe Society of Baltimore""“Mellonta Tauta ” [Text-02](1849/02)"
Ref-2) 古川晴風(F.Harukaze)(編)『ギリシャ語辞典』大学書林(1989/09)によれば、μέλλονの意味は、第一に必然的な運命、転じて来るべきこと・将来・未来、となり、μέλλονταはその形容詞化したものらしい。が、ギリシャ語はやたらと語尾変化が多くて初心者にはよくわからない。ταύταの一番よく使われる意味は指示代名詞の中性複数形で、日本語なら"これら・それら"、英語なら"those"に当たる意味。ギリシャ語の名詞には男性・女性・中性の区別があり、指示代名詞も単複の区別と合わせて6通りに変化する。
Ref-3)
 a) ウィキペディア英語版
 b) "Edinburgh University Library"の"The Walter Scott Digital Archive"中の記事
 c) "Stirling" 大学の"The James Hogg Society"

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*) 2021/01/23リンク追加。野暮だとも思ったけれど、せっかくのポーのユーモアをスルーしてしまう人がいては可哀そうなので。

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