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国家民営化論、無政府資本主義というシステム

2020-02-09 08:29:33 | 社会
 SF作家でもある笠井潔の書いた『国家民営化論』(1995/11)という本があります[Ref-1]。これはアナルコ・キャピタリズム[無政府資本主義](Anarcho-capitalism)という思想を解説した本です。この思想に関しては日本語の本もいくつかあるようですが[Ref-2~3]、言うならば自由放任主義の経済システムを極限まで進めた経済システムを推奨している思想です。

 この本の出版当時は欧米ではレーガノミックス(1967~1975)で行われたような、経済への政府の関与は少ない方がよい、従来は政府の役目とされていたサービスも民営化した方が効率的だ、という思想による経済政策が勢いを増し始めていた時期で、日本でも日本電信電話公社の民営化(1985)国鉄民営化(1987/04)が断行されました。さらには民間軍事会社などという、中世なら傭兵団としか見られなさそうな企業なども米国などでは認められてきた時代でした。『国家民営化論』ではこのような趨勢をさらに極限まで進めたとしても、うまくいくシステムが可能なのだということを主張しています。

 リバースモーゲージのように既に実在する仕組みに似た話もあって、確かに読んでみると一定の説得力はあるのですが、色々と私の気付かない点も含めて穴はありそうです。中でも特に重要と私が考える穴を最後に紹介する予定ですが、まずは本システムの概要を紹介しましょう。

 ひとつ注意したいのですが、『国家民営化論』で経済システムから排そうとしているのは政府や国家だけではありません。いわゆる大企業のような巨大組織というものも個人の自由を束縛しかねないものとして敵視しています。なので原則は各個人が最大限に自由に振舞えて、なおかつ公共サービスなどもうまくいくようなシステムを理想としているのです。

 個人の自由を原則とした場合に公共サービスをどうするか、具体的には公共サービスに必要な資金を誰がどのように提供するかが先ず問題です。ほとんどの国家ではそれは強制的な徴税により賄われますが、本システムではそれを各個人の遺産で賄うとしています。自分の子孫に遺産を残したいという自由な欲求は・・本システムでは否定されます。これは「各個人は平等なスタート地点に立った上で自由競争するべきだ」という原則からのものです。つまり遺産の有無でスタート地点が不平等になるのは社会正義に反すると規定するわけです。原則は個人間の自由競争による経済なので、その結果による経済格差は個人の責任ということなのですが、スタート地点での個人間の経済格差は失くさねばならないという原則を掲げるのです。

 以下、親子も夫婦も徹底して各個人が独立した平等な存在だという原則のもとに様々なシステムの考え方が展開されますが、そこは興味があれば本書を参照してください。一応、現在のシステムにも部分的に導入できるものもありそうだなとだけ言っておきましょう。ゲマインシャフト(Gemeinschaft)的な感情面を無視しすぎのような気はするのですが。

 さてさらに企業のような経済組織のみならず、裁判所(紛争解決サービス)、警察(法執行、警備保障サービス)、軍隊(国家防衛サービス)なども自由で独立した個人の組織である民間組織にゆだねます。なお個人には【当然ながら】身を守る自由があり、武装の自由が認められています。このあたりはまさしくアメリカ合衆国の精神です。で、私がうまく機能しないだろうと思う一番のものが、この武装の自由と民間警備サービスで現在の警察の機能を代替するというシステムです。

 まず個人に武装の自由を認めて自衛しろというのは、各個人に武器使用や戦闘技術の習得を強いるということであり、戦闘力による危険な格差を生じさせることになります。さらに集団の方が個人よりも強いのですから、武装集団がポコボコ生まれることになるでしょう。本システムでは裁判所が警備会社と契約して自分たちの判決を執行させるということになっていますが、異なる裁判所が異なる判決を出せば、警備会社同士の戦闘にもなりうるのです。本書では異なる裁判所や警備会社の自由競争により最適解が探られるというような理想が語られていますが、実際問題としては武装集団同士の自由競争というのは戦国時代に逆戻りするとしか思えません。そうならないように何らかの規制をかけるとしても、その規制を守らせるためには個々の武装集団の武力を上回るような何らかの強制力が必要なはずです。強制力でありさえすれば別に物理的な武力である必要はないでしょうが、各個人の良心とか倫理観にそれを求めるのは無理があるでしょう。

 他の点に目を移しても、遺産は公共に提供すること、個人間の争いは究極的にはロシアン・ルーレット式の決闘によること、企業などの法人にも寿命を設定すること、など社会の各構成員に強制しなくてはいけないルール、本書推奨のアナルコ・キャピタリズムが理想的に働くために守られなくてはいけないルールというものが多数あります。これらのルールを永続的に実効性のあるものとするには、それを各構成員に強制できるだけの力を持つ存在が必須に思えます。このように共通ルールを強制できる存在をトマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)は『リヴァイアサン』((Leviathan))と呼びました。ホッブズはリヴァイアサンが存在しない自然状態では万人の万人に対する闘争になると考えました。それでは困るので?各個人が契約により例えば王のような個人に権力を預けて国家を作ったというのがホッブズの理論の要約のようです。

 実際に国家と言えるような組織のなかった原始状態では、万人の万人に対するということはないにしても、各集団同士は基本的には闘争状態だったということを示したのがスティーブン・ピンカー『暴力の人類史』上下巻です[Ref-5]2020/02/12の記事2020/02/15の記事に詳しく紹介しましょう。



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Ref-1) 笠井潔『国家民営化論 「完全自由社会」をめざすアナルコ・キャピタリズム』(カッパ・サイエンス),光文社(1995/11)
  序章 革命戦士と「文の商人」
  第1章 二〇世紀の終焉と新しい社会構想
  第2章 「自由な個人・自由な社会」のための条件
  第3章 ラディカルな自由主義の原理
  第4章 国家を市場に解体する
  終章 独立生産者としての作家
Ref-2) デイヴィド フリードマン (David Friedman);森村進(訳);高津融男(訳);関良徳(訳);橋本祐子(訳)『自由のためのメカニズム―アナルコ・キャピタリズムへの道案内』勁草書房(2003/12/01)
Ref-3) ロバート・ノージック;嶋津格(訳)『アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界』木鐸社(1995/01/01)
Ref-4) マリー・ロスバード(Murray Newton Rothbard);森村進(訳);鳥沢円(訳);森村たまき(訳)『自由の倫理学―リバタリアニズムの理論体系』勁草書房(2003/12/01)
Ref-5) スティーブン・ピンカー;幾島幸子(訳);塩原通緒(訳)『暴力の人類史 上』『暴力の人類史 下』青土社 (2015/01/28)
  第1章 異国
  第2章 平和化のプロセス
  第3章 文明化のプロセス
  第4章 人道主義革命
  第5章 長い平和
  第6章 新しい平和
  第7章 権利革命
  第8章 内なる悪魔
  第9章 善なる天使
  第10章 天使の翼に乗って
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