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カラスの逆説-1-

2010-06-05 06:40:00 | 数学基礎論/論理学
 哲学者カール・ヘンペル(Carl G. Hempel)が1946年に提起したRef-1)という「レイブンのパラドックス(Raven paradox)」と呼ばれる逆説があります。日本語ではカラスのパラドックスと呼ばれることが多いです。

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 次の命題を観察から帰納的に検証することを考える。
  (命題-1)すべてのカラスは黒い
    ∀x{x∈カラス⇒x∈黒いもの}

 命題-1の対偶は命題-2である。
  (命題-2)すべての黒くないものは、カラスではない
    ∀x{¬(x∈黒いもの)⇒¬(x∈カラス)}

 命題とその対偶とは同値だから命題-1の替わりに命題-2を検証してもよいはずである。すなわち、白い靴,赤いチョーク,緑色の宝石などがいずれもカラスではないことを確かめると、これは命題-1の証拠となるはずである。
 けれども、我々はこの証拠は妥当だとは思わない。
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 この逆説の解決としてたぶん最もよく知られているものは、「黒くないものの集合はカラスの集合に比べて圧倒的に多い(実は無限)ので、カラスについて確認する方が同じ数の黒くないものについて確認するよりも証拠として強くなる」というものです。もしも黒くないものの集合の方がカラスの集合よりも少なければ話は逆転するはずだ、というわけです。例えばRef-3 では「カラス1億羽,チョーク2,000本,エメラルド300個」の世界を想定しています。内井惣七氏による解説がウェブ上にあります。
 また少し定量的考察がOKWaveでの回答[QNo.323362]にもありました。Ref-2では個人の蔵書限定、Ref-4ではひとつの動物園内限定という例をあげて説明しています。

 現実にはPではないものの集合は事実上無限集合であり、実在物である限りは有限集合と考えられるPであるものの集合とは、その点で非対称です。そもそもPではないという言明が集合を厳密に規定できているかどうかが疑問かも知れません。少し趣旨は違うでしょうが、集合論では"全ての集合の集合"などというものは使わないことになっています。いわゆるラッセルのパラドックスを避けるためです。

 実際問題としては「カラスでないもの」と言ったときに、我々はその範囲を暗黙のうちに限定していることが多いのではないでしょうか。集合A={x|P(x)}とすれば、Pではないものの集合{x|¬P(x)}とはAの補集合(S-A)です。ここで全体集合Sを、我々は暗黙のうちに限定していることが多いということです。例えば、鳥全体であったり、脊椎動物全体であったり、生物全体であったり。議論において、この暗黙の全体集合Sの食い違いが誤解の元になったり思わぬ新鮮な発想の元になったりします。

 そして全体集合Sが比較的小さい場合は命題-2の観察による検証が命題-1の証拠として有効なこともあるでしょう。

 別の視点として、命題-1が提唱されているときには少なくとも一例の黒いカラスが確認されているはずだということがあります。現実的には、カラスの色が一例も観察されていないときにカラスの色に関する仮説を提唱する意味はありません。この点についてRef-1 ではおもしろい考察をしています。つまり、

  【逆説】黒くないものがカラスでなかったという観察は、
   「すべてのカラスは白い」「すべてのカラスは赤い」等
   の仮説の証拠にもなりうる。

 しかし一例の黒いカラスが確認されていたならば、「すべてのカラスは白い」「すべてのカラスは赤い」等の仮説は既に反証されています

 また、ある対象がカラスであることをどうやって確認するかという問題もあります。カラスと判定する特性のひとつに黒いという性質もあるような気がしますが、まあ色以外の特性で判定できるものとしなくてはならないでしょう。この論点はカラスの定義問題と考えてもよいでしょう。

 さらに、現実には本当にすべてのカラスが黒いことはなく、カラスの中の黒いものの割合を知りたいのだから、カラスでないものを調べても証拠にならないという指摘もあります。[異端的考察(2008/11/13)]。

 この論点はなかなか鋭いもので、Ref-3やRef-5(英語版)で触れられている「命題-1の確証の程度をベイズ統計により説明する」という論点と似ているように思われます。ただしベイズ統計によるスタンダードな説明(Standard Bayesian Solution)では、「黒くもなくカラスでもないものを見つけると確かに命題-1の確からしさを高めはするのだが、黒くないものの集合がカラスの集合より遙かに大きい(とわかっている)場合には、その高める程度は極めて小さくゼロに近いのだ」ということを定量的に示すためにベイズ統計の考えを使っています。

     -- 続く --

-----参考文献-------------
1) ウィリアム・パウンドストーン;松浦俊輔(訳)『パラドックス大全-世にも不思議な逆説パズル-』青土社(2004/9/30)
2) 富永裕久『図解雑学パラドクス(図解雑学シリーズ)』ナツメ社(2004/02)
3) 内井惣七『科学哲学入門―科学の方法・科学の目的』世界思想社(1995/04) 6.6節(p167-169)
4) ウィキペディア日本語版での紹介
5) ウィキペディア英語版での紹介



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1 コメント

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白いカラス (Maria)
2020-11-25 21:02:49
二〇一四年に亡くなりましたが、上野動物園では白いハシボソガラスが飼育されていました。
「反例をひとつ持ってくればいい」という話はありますが、「私は白いカラスをカラスとは認めない」という立場に対抗できるか、という話もあります。「白馬は馬に非ず」という話もあります。
「だから、2は素数ではない」とか「1は単位だから、数ではない。だから1は自然数ではない」とかいった主張はあるわけで、そういった説に対抗できるかという話になると悩ましいことになります。
「0は自然数か?」に対して「数論では、0も自然数で含める」という主張があるのですが、「空位のゼロ」と「量としてのゼロ(「数というのは無次元量ではない!」という主張もあります)」と、「剰余系における『割り切れる』『余りがない』という意味の0」といった複数の意味があって、「『0は自然数か?』という質問における『0』を定義してください」という話はあるはずです。
だとすると、「すべてのカラスは黒い」は、「私は黒くないものをカラスとは認めない」という言明と同値である、という話ではないかと思います。
「シュレディンガーの猫」と同じく、元は単なるツッコミだったんじゃないかなー、と思います。
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