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百文は一図にしかず (One Figure than many sentencies) 『トレント最後の事件』より

2018-04-25 06:44:11 | その他、雑記
 E.C.ベントリー『トレント最後の事件(Trent's last case)』(1913)[Ref-1]は「従来の推理小説の型をまったく破った画期的な作品」であり、クロフツ(1920)やクリスティ(1920)のデビューに始まる「本格長編の黄金時代」の先駆的作品と評されています。また「それまで推理小説ではタブーだった恋愛要素を取り入れた」とも評されています[*1]

 以下、【ネタバレ満載】ですので御注意を



 まずは説明のために登場人物の紹介をしておきます。シグズビー・マンダースンが被害者です。マーチ警部は主人公の探偵役トレントのライバルですが、2人は親友と言える仲で、過去の事件での競い合いでも勝敗拮抗という設定です。

シグズビー・マンダースン 「巨人」と呼ばれる米国財界の大立者
メイベル・マンダースン シグズビーの妻
ジョン・マーロー  マンダースンの秘書をつとめる英国青年
カルヴィン.C.バナー マンダースンの秘書をつとめる米国青年
マーティン    マンダースン家の執事
セレスティーヌ  マンダースン夫人付きのフランス人の女中
フィリップ・トレント  名探偵の評判が高い英国の画家
マーチ      ロンドン警視庁の警部
ナザニエル.B.カプルズ マンダースン夫人の叔父でトレントの友人
ジェームズ・モロイ卿 事件の調査をトレントに依頼した新聞社の主筆


 推理小説としては二段三段の逆転のある優れた作品だと思いますが、現場の見取り図がなくて読みにくい! まあ昔は本に図を入れるのも大変だったのでしょうが、1枚の見取り図さえあれば済むところを文章で説明されても解読が大変です。

 これがクロフツやクリスティになると結構見取り図を入れてくれます。クロフツは元技師だけあって、爆発仕掛けの詳細な図を載せた作品もあります。マネする者が出るとかの非難は出なかったんでしょうか?(^_^)

 というわけで『トレント最後の事件』の現場であるゲーブルズ荘の見取り図を再現してみました。根拠となる描写のページも示しましたが、複数の離れた箇所の記述を組み合わせなくてはならないので結構しんどいのです。昔の読者はみなさんこんな苦労をしながら読んだのでしょうか? 御苦労な話です。






 さらに地理的関係も地図を載せていないので文章から読み取らねばなりません。事件はマンダースン夫妻が「ビショップスブリッジに近いマールストンの別邸ホワイト・ゲーブルズ荘に滞在していた[p12]」ときに起きました。トレントはマールストンのホテルの支配人に案内されて検死解剖に立ち会ったのちにホテルへ着いたのですが、そこで友人のカプルズ氏と出会います。そしてホテルから「300ydほど前方[p36]」に現場の建物が見えたのです。これで距離感がわかるのですが、たった一文だけなのでつい読み過ごし勝ちですね。

 さて現場の建物は「ホワイト・ゲーブルズという名の示すとおり大きな一対の破風があった。[p53]

 破風(gable)という言葉は知らなかったのですが、普通に見かける三角柱を倒した形の屋根の三角形の面の部分を指すのですね。日本語直訳では「白破風荘」となるのでしょうか。でも、この一文を見過ごせば、「ゲーブルズ荘? ふーん、そんな名前もあるのか。ゲーブルズ氏が建てたのかな。」で終わってしまいそうです(^_^)


 さて本作品は、エラリー・クイーン基準で見れば読者に対して決してフェアではありません。初日にトレントは現場を精査して何かの手がかりを見つけたらしいとはわかるのですが、それが何かを種明かしされるまでに想像できる読者はほとんどいないでしょう。まあ色々な可能性を枚挙して検討すれば絞り込めるかも知れませんが、それでも可能性は複数出てくるのではないかと思います。

 割り切ったことを言えば、読者に示された手かがりから演繹的に真相を導くのは無理です。真相にたどり着くにはトレントが掴んだ手かがりが何かについて様々な仮説を立てて検討するという、まさに仮説演繹法を使う必要があります。となると、多くの仮説を思いつくだけの知識と柔軟な創造性が要求されます。探偵の方は、当然ながら自分の掴んだ手かがりは知っているわけで・・。これをアンフェアと言わずしてなんとする(怒)

 しかしこの小説は読者への挑戦というスタンスの作品ではないのですから、それで作品の価値が下がるとするのは度量が狭いというものです。むしろ種明かしされて、探偵の超人的な細かい観察力に喝采するという作品です。シャーロック・ホームズ物もそんな作品が多いですよね。『モルグ街の殺人』のデュパンも現場で何を見たかということを種明かしの時まで隠してましたし。

 さらに純粋に推理上の問題?があります。ストーリーは最初のトレントの推理を一転目として、さらに二転そして三転するのですが、私の見るところ、一転目で終わっても二転目で終わっても特に矛盾が生じるとは思えません。真相をどんなものとして終わらせるかは作者の胸先三寸次第になります。むろん三転目まで作り込むことで名作になっているのですが。これはまさしく後期クイーン的問題ではないでしょうか?

 最後に時代を感じさせる描写をひとつ。トレントが「ちょっと高級な捜査技術[p146]」を使うのですが、これがなんと指紋検査! 『トレント最後の事件』の発表は1913年ですが、wikipediaによればフランシス・ゴルトンが『フィンガープリント』で指紋の使用を推奨したのが1892年で、スコットランドヤードが指紋捜査を始めたのは1901年です。なにせ一般にはまだ知られていないので、犯行現場に居た人物達も指紋を気にすることなくべたべたとあちこちに触っています

 これがクロフツやクリスティの作品になると、指紋を残さないように気を付けることは犯罪者の常識と化しています。指紋が残っていないことからの推理という定番の公式もクロフツの作品に登場してきます。



 それにしても、普通の警察ならあの人を真っ先に第1容疑者として厳しく追及しそうなものだと思うのだけど、そんな描写はなかったなあ。トレントが聴いたあの人の話は警察も当然つかんでいたはずなのだけど。で、トレントがその人の無実を晴らすために奮闘する、なんてのがよくあるストーリーで。

 えっ、「恋愛要素を取り入れた」件ですか? 二人は末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。



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Ref-1) E.C.ベントリー;大久保康雄(訳)『トレント最後の事件【新版】(創元推理文庫)』東京創元社(2017/02/19)

*1) 中島河太郎による巻末解説

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