知識は永遠の輝き

学問全般について語ります

『本好きの下剋上』(3)

2018-01-27 07:11:34 | 架空世界
 前回の記事に続きで宗教の話です。【ネタバレ満載】ですので御注意を。



 第2部からは「神殿の見込み巫女見習い」というタイトルになりますが、この神殿、というよりも宗教というものが変っています。といっても見かけの話ではありません。まあ祈りのポーズは麗乃(うらの)の笑いのツボにはまりましたが、あの姿勢自体はあり得るでしょう。ヨガの修行ほどではないにせよ、神に近づくための軽い努力が必要なところが肝ということはあり得ます。

 そうではなくて僧侶階級や神官階級など専任の宗教家がいないことが驚きなのです。神殿を牛耳るのは貴族社会では住みにくくなったいわばハグレ者、は言い過ぎかもしれませんが、宗教職が貴族階級の数ある就業仕事の一つに過ぎないなんて、現実の地球では聞いたことがありません。むろん現実の地球でも兼業はいくらでもありますが、建前では宗教家が本職で、普通の人からは敬われる職業です。原始社会の呪術師でも、それなりの専門教育を受けて先生から免許皆伝とならねば認められないのが普通でしょう。しかるにこの社会では、特別な試験もいらないようです。むしろ貴族になるためには専門の学校の卒業が必要なありさまです[*1]

 それどころか前回の記事でも少し触れたように、神殿に行く貴族は通常は魔力の弱い貴族で貴族社会では蔑視の対象だし、"平民出身の灰色神官"は多くが孤児出身ということで平民からも蔑視されているし、神に対する敬意はあっても神職に対する敬意はなさそうです。折々の神事では、さすがに執り行う神殿長や神官長に対してはそれなりの経緯は払われているようですが。

 それもこれも貴族が現実に魔力を使えるという点が大きく影響しているのではないでしょうか? 魔力は神や神の代理人が使えば神通力とも呼ばれますが、言ってみれば貴族が神そのものとも言えるので、神通力が神職の専有物ではないのです。

 さらに経済構造にも大きく関係してくることなのですが、農作物が順調に育つためには土地に定期的に(具体的には年1回)魔力を供給してやらないといけないという事実があります。人が魔力を与えないと育たないほどにひ弱だとは、さすがに栽培植物だけのことはあります。我々の現代文明における作物が化学肥料に頼るよりも、もっと頼り切っているではありませんか! それゆえ貴族は魔力提供の対価として農民から収穫物の何割かを徴収するという形になるわけで、ある意味、我々の歴史上の支配階級よりも妥当な交換をしているとも言えます。

 このような事情で農民たちは貴族との付き合いというものが生じるのですが、商工業を生業とするマインの家族のような街の平民達は貴族との接点がほとんどない、という状況になります。そして後に明らかになりますが、このエーレンフェストという名の"領地"の中でも場所により貴族と平民との関係も随分違いがあったりします。


 いや本当に細かく緻密な設定で感心します。このような緻密な設定をした場合、往々にして説明的描写で退屈な場面がでてくるリスクもあるのですが、この作品にはそれがありません。無理に全ての設定を示すことはせず、ストーリーの流れの中で自然に紹介されてくるので物語のおもしろさを妨げないのです。

 私見では、緻密で破綻のない架空世界を描いていて、かつおもしろい、という評価軸で見れば、この作品は過去に世界中で作られたファンタジーの中でもトップクラスです。優れたハイ・ファンタジーであり、かつハード・ファンタジーだともいえるでしょう。この作品に匹敵するものとして思い浮かぶのは、以前にも触れた『錬金術師の魔砲』くらいでしょうか。まあ海外のハイ・ファンタジーを多く読んでいるわけでもないのでなんとも言えませんが、『指輪物語』も『ザンス・シリーズ』も設定の緻密さやリアルさでは『本好きの下剋上』を上回ることはないでしょう。『精霊の守人』の世界も緻密に設定されていますが、社会経済的面で改めて見てみると、突っ込みどころも見つかってはきます[*2]

 まあ、論理破綻とか設定の矛盾とか主観の入りにくい評価とはいえ、架空世界のことですから必ずしもひとつの確実な真実を望むことも無茶ですし、このレベルになると優劣をつけることも困難になってくると思いますが。なお、SFならば、このレベルの緻密な設定の作品はよくあると思います。


【誤字訂正】(2019/03/12)
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*1) 前回述べた「実力社会」の一面である。前回述べた神殿長の場合は「物心がつく前に神殿に入れられた」ために学校に入れず貴族にはなれなかった[第2部Ⅳのプロローグ]。万一卒業できずに退学となった場合、魔力は十分あるのに正式には貴族ではないという立場になるのだろうか? 犯罪予備軍化しそうでこわい!
*2) 実は書籍版には大きな破綻はなさそうなのだが、NHKで実写化されたものでは結構目立つ。アニメ版は新ヨゴ国の社会を江戸時代モデルにするという思い切った変更になっているが、破綻はなさそうだ。『本好きの下剋上』に比べると複数の異なる国々を描いているので、各国の社会を真実らしく描き分けねばならないというハンディはあるが、そこを描き分けているのが、本職が民俗学者たる著者の実力だろう。『まおゆう』も多数の種族を登場させているが、各種族の社会にさほど深くは入らず想像の余地を残しているため、ツッコミ所とはなっていない。『本好きの下剋上』ではあくまでも中世以降のホモ・サピンスの準近代社会をモデルとしており、現代までの歴史や経済学や社会学で知られてきたことを参考にしているため、リアルさが増していると感じられるのかも知れない。


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