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アンチ・ヒーロー?:L.S.ディ・キャンプ「ハロルド・シェイ・シリーズ」より

2018-02-23 06:40:12 | 架空世界
 L.S.ディ・キャンプ(Lyon Sprague de Camp)とフレッチャー・プラット(Fletcher Pratt)の合作のハロルド・シェイ・シリーズ(The "Harold Shea" Stories)は、2017/12/30の記事で書いたように、[Ref-1]では"ハード・ファンタジー"の初期の一つとされています。このシリーズはwikipedia英語版によれば、1940年代の5つの作品と1990年代の多数の作品があります。古い方の5つの作品の日本語訳は、4作と5作が1冊にまとめられ、計4冊で出版されています[Ref-2]。日本語訳は現在入手が難しそうですが、黄金の羊毛亭の書評[Ref-3a]の的確で詳しい紹介が参考になります。第2作の原題名と日本語の題名との落差には驚きますが、統一性を重んじた日本語題名を付けた気持ちはよく理解できます。が、原題名にも作者の思い入れというのか、ひとつの意気込みというか、ジョークが感じられて味があります。頭韻も踏んでますしね。第5作はさしずめ「初心者マークの魔法使い」。いや初心者マークの緑色というのがそもそも英語の"Green"の「青い(若い、未熟)」という意味からきているのでしょうけれど。

  1. "The Roaring Trumpet"(1940) 「神々の角笛」[Ref-2a]
  2. "The Mathmatics of Magic"(1940) 「妖精郷の騎士」[Ref-2b]
  3. "The Castle of Iron"(1941) 「鋼鉄城の勇士」[Ref-2c]
  4. "Wall of Serpents"(1953) 「蛇の壁」[Ref-2d]
  5. "The Green Magician"(1954) 「青くさい魔法使い」[Ref-2d]


 このシリーズはアマゾンの書評では、「元祖アンチヒーロー」「この作品のほとんどはこのシェイのふがいなさで占められている」などと書かれていますし、いくつかのブログの書評でも「アンチヒーローのドタバタコメディ、というのが一般の定説」との趣旨が紹介されています[Ref-3]。また「妖精郷の騎士」[Ref-2b]巻末の佐藤正明[*1]による解説では「さえないヒーローの元祖ハロルド・シェイ」と書かれていますし、「神々の角笛」[Ref-2a]巻末の鏡明による解説では「駄目な人」と書かれています。
-----引用開始------
 どう典型とされるかというとですね、たとえば、主人公のハロルド.シェイのキャラクター。この人、駄目な人なんですよね、本当に。不細工な顔形、どう考えても頭が良いとは思えないし、もちろん女の子にももてそうもない。言ってみれぽ、夢物語の主人公にはまるで向いてない人なんです。この人が、神話や伝説の中に飛び込んで、ドタバタを演じる。こういう仕組です。
 このハロルド・シェイの物語が一九四〇年の五月号に載って以来、〈アンノウン〉に載るファンタシイの主人公たちは、みんな、駄目な人ばっかりになっちまったという説もあるんですがね、ちゃんとチェックしていないので何とも言いようがないにしろ、それほど影響力があったキャラクターなのだということは事実のようです。
-----引用終り------

 でも私にはこの主人公は駄目な人にもふがいない人にも見えません。確かに第1作でこそ飛び込んだ異世界の異様な状況に振り回されるドジな主人公に見えますが、第2作ともなると経験を積んだ成果と楽天的性格(無鉄砲ともいう)でかなり自信満々、一緒に飛び込んだ学者タイプのリード・チャーマーズ(Reed Chalmers)教授を引っ張ったりしてます。チャーマーズから見るとシェイの方が暴走気味で危なっかしく見えるのですが(^_^)。おまけにフェンシングの腕がなかなかのもので、異世界では突き技主体のフェンシングという技術が知られていないゆえに魔法の剣を持っているという誤解を受けるほどの剣士ぶりを示します[*2]。そのせいもあって女性のハートもちゃっかり射止めるし。まるっきり"剣と魔法の物語"のヒーローではありませんか! これのどこが「ふがいない」というのでしょうか!

 さらに第3作では、敵対する2つの陣営の勝敗の鍵を握るらしいともされる強そうなヒーロー相手に華麗なボクシング術まで披露しています[p131,8章後半]。いくら相手が少々精神錯乱気味だったとはいえ、拳が痛くなったほどの肉体の持主相手にダウンはさせないまでも・・いやテクニカル・ダウンかな。

 第1作での醜態にしたって冷静に考えれば、あれほどに自分の常識が通用しない世界にいきなり放り込まれれば、どんなヒーローであろうと醜態をさらして当たり前ではないでしょうか。心理学を応用して相手に魔法を信じさせようという策略を練ることのできるシェイだからこそ危機を切り抜けられたのであって、銃の腕しか武器のない西部劇のヒーローなんかが放り込まれたら・・・結果は見えてるような・・。相手が神様たちと巨人たちですから、人類の範疇で肉体的戦闘能力が高いというだけでは、ドラゴンボールのミスター・サタンみたいな役回りになりそうです。私の知っている他の作品のヒーローの中で、あの異様な世界に放り込まれてサバイバルできそうなのはデュマレスト・サーガ("Dumarest_saga")の主人公のアール(Earl Dumarest)くらいでしょうか。アールくらいの冷静さと超人的ともいえる柔軟な適応能力があればなんとかなるかも。

 だいたいシェイが「女の子にももてそうもない」なんて事実誤認もいいところ。第1作冒頭でそれほど魅力を感じていない女性と付き合わされている場面を見逃してるのかな? で、第2作最後のページでは三角関係でバチバチと火花が散ってますし。「不細工な顔形」と言いますが、第1作冒頭で紹介されるシェイはこんな容姿なんですよ。

-----引用開始------
色浅ぐろく、身長は平均をやや上回り、心もち痩せぎすである。鼻梁がいま少し短く、目がもうちょっと離れていたら、ハンサムな顔だちといえただろう。
-----引用終り------

 この文章は皮肉表現で暗に不細工だと言っているのかも知れませんが、ひと目で女性がいやがるほどの不細工でもないでしょう。むしろ平均より上なのかも知れません。それに体形はむしろモテ要素ですよねえ。確かに第3作には「馬面(うまづら)[p48]」と書かれていますけどねえ。

 「どう考えても頭が良いとは思えない」との評価にも異議ありです。なかなかに頭を使って危機を切り抜けているではありませんか。そりゃあ当てが外れて却って泥沼に入ることもあるけれど、多少優秀なくらいの普通の人ならそれがむしろ当たり前であって、サクサクと危機を切り抜ける超人的ヒーローないし強運のヒーローや推理小説の名探偵と比べられても酷というものです。

 あ、いや、そういう失敗もしでかす凡人を主人公にしたのが1940年頃のヒロイック・ファンタジーでは画期的な作品だったのだ、ということなんでしょうね。主人公も人間だからこんなの普通じゃない? という現代感覚は、この作品から始まったという事なのでしょう[*3]

 ヒロイック・ファンタジーと言うと私に思い浮かぶのはエドガー・ライス・バローズ(Edgar_Rice_Burroughs)の様々なシリーズ(1914年~)や典型的なヒロイック・ファンタジーの先駆け[wikipedia日本語版]とされるコナン・シリーズ(1934年~)(Conan the Cimmerian (series))ですが、これらの作品の主人公と比べたら絶対にシェイの方が頭がいい。むろんシェイは心理学者という職についてるくらいですから高学歴を取得するための知力は人類の平均以上でしょうけど、それだけではなく危機管理能力とか環境に適応して生きる知恵みたいな点でもジョン・カーターやカースン・ネイピアより上です。バローズのヒーロー達がシェイ以上に無鉄砲にもかかわらず危機を乗り越えられるのは、幸運の神の加護のおかげという印象が強いです。コナンだと野生の賢さみたいなものもあるかも知れませんが。

 そもそも「元祖アンチヒーロー」という通説の出所が、佐藤正明の「さえないヒーローの元祖ハロルド・シェイ」という表現以外はどうも見つからないのです。英語圏のAmazon.comの書評でも、英文検索でもどうもそのような評価が見つかりません。ユーモア物だという評価はあるし、それは正しいでしょう。鏡明は、ヒロイック・ファンタシイとして読んでいたのだが従来とは毛色が違うので、「アンチ・ヒロイック・ファンタシイとでもしておきましょうか。」と書いていますが、「アンチヒーロー」とは書いていません。まあ「駄目な人」という評価は事実上「アンチヒーロー」と言ってることになりますし、どうも翻訳書の解説が通説の発信源のように思えます


  さて2017/12/30の記事でも書いたように、私はこのシリーズを"ハード・ファンタジー"とは思わないのですが、作者自身も"ハード・ファンタジー"を目ざしたわけではなくて、魔法の作用に法則性や科学的用語の味付けをほどこすことで、従来の作品の魔法の様にはすんなりと働かずに予想外の効果を起こすことによるユーモアを狙った、ということなのでしょう。では私の考える"ハード・ファンタジー"とハロルド・シェイの物語とは何が違うのかという話は次の機会にしましょう。


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Ref-1) Wikipedia英語版の"Hard fantasy"の記事
Ref-2) ハロルド・シェイ・シリーズの邦訳
 a) L.S.ディ・キャンプ;F.プラット;関口幸男(訳)『神々の角笛(ハヤカワ文庫 FT 33 ハロルド・シェイ 1)』早川書房(1981/07/31) ISBN-13:978-4150200336
 b) L.S.ディ・キャンプ;F.プラット;関口幸男(訳)『妖精郷の騎士(ハヤカワ文庫 FT 37 ハロルド・シェイ 2)』早川書房(1982/01/31) ISBN-13:978-4150200374
 C) L.S.ディ・キャンプ;F.プラット;関口幸男(訳)『鋼鉄城の勇士―ハロルド・シェイ3 (ハヤカワ文庫 FT 49 ハロルド・シェイ 3)』早川書房(1983/03/31) ISBN-13:978-4150200497
 d) L.S.ディ・キャンプ;F.プラット;関口幸男(訳)『英雄たちの帰還―ハロルド・シェイ4 (ハヤカワ文庫FT)』早川書房(1983/05) ISBN-13:978-4150200527
Ref-3) ハロルド・シェイ・シリーズの書評いくつか
 a) 黄金の羊毛亭書評。シリーズの的確な要約で邦訳入手が困難な人も参考にできる。
 b) お好み書籍紹介/Fave BOOKSの書評(2005/01/25)


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*1) コナン・シリーズの『荒獅子コナン (ハヤカワ文庫SF)』早川書房 (1973), ISBN-13: 978-4150101299, を翻訳している人。なお、この作品はR.E.ハワードとL.S.D.キャンプの共作。
*2) 実は第1作冒頭でシェイが色々な事に次々と手を出す人間だという紹介があり、その中で「そのつぎには、きみはフェンシングを始めた。」と書かれている。これが第2作の伏線だったのだ。第1作での描写だといかにもものにならないうちに次のことに目移りする飽きっぽい人間に見えてしまうが、実は実戦で使えるくらいには練習していたのだから相当なものである。
 なお異世界でフェンシングが知られていなかったことが妥当かどうかについてだが。
 第2作の舞台は16世紀イングランドの詩人エドマンド・スペンサー( Edmund Spenser)作『妖精の女王(The Faerie Queene)』の作品世界であり16世紀以前の世界である。一方フェンシングの突き主体の剣であるフルーレの前身のレイピア(rapier)は16-17世紀頃のヨーロッパで使われ始めた剣で、始まりは15世紀中頃のフランスのエペ・ラピエル(espee rapiere)とされているので、たぶん15-16世紀にもイングランドでは知られていなかったのだろう。と、こじつけたいところだが、作者の歴史考証不足かも知れない。
*3)現代感覚とは言っても、SFやファンタジーでもヒロイック・ファンタジーやスペース・オペラ以外だったら普通の人が主人公の作品は、当時でも珍しくなかったと思う。


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