
神居古潭(かむいこたん)。上流の旭川方向。旭川市神居町。
2022年6月22日(水)。
旭山動物園を見学後、神居古潭へ向かった。札幌方面へ向かう国道から北へ脇道を入ると、駐車場がある。神居大橋へ向かい対岸に渡る。
神居古潭は、上川盆地から石狩平野に流れる石狩川の急流を望む景勝地である。地区内には北海道指定史跡の「神居古潭竪穴住居遺跡」やストーンサークルなど、縄文時代にさかのぼる遺跡群が点在し、古くから集落が存在していたことが示されている。
神居大橋。
1898年(明治31年)、石狩川の北岸に沿って函館本線が開通し、1901年(明治34年)に神居古潭駅(当初は簡易停車場)が設置されたのに伴い、対岸の集落との間に当所初めての橋となる「巻橋」が架けられた。現在は1938年(昭和13年)に建造された神居大橋が川の両岸を結んでいる。
この峡谷は、急激に川幅が狭くなるため流れが激しく、川の最深部は水深70mにも達すると言われている。水上交通に依存していたアイヌにとっては最大の難所であり、かつては行き交う舟がよく転覆し、しばしば犠牲者が出たため、アイヌの人々は峡谷に住む魔神の仕業と恐れていた。アイヌ語で「カムイ(神)コタン(集落)」とよばれ、古くからアイヌの人々の聖地とされてきた。
北海道を南北に分断する構造帯は当地を縦断し、神居古潭構造帯(変成岩帯)の名で知られる。2007年には、「神居古潭渓谷の変成岩」が日本の地質百選に選定された。
峡谷を形成する緑泥片岩は1億年以上という長い年月をかけて石狩川の流れによって浸食され、アイヌの人々の伝説に登場する奇岩やおう穴群(天然記念物)を形成した。
川岸の岩盤のくぼみに入った小石が、水流の影響で回転し、長い時間をかけてくぼみを掘り下げてできた円筒形の穴を「おう穴」という。
旧神居古潭駅舎。
1898年(明治31年)、石狩川の北岸に沿って函館本線が開通し、1901年(明治34年)に神居古潭駅(当初は簡易停車場)が設置された。この駅舎は、典型的な小規模駅舎建築で、下屋柱頭装飾など明治期の、西洋建築意匠導入時の特徴を残す数少ない現存例であり、旭川市指定文化財となっている。本駅舎は、その後二度に渡り増改築がなされている。
1969年(昭和44年)、函館本線の線形改良(神居トンネル経由の新線への切替)によって神居古潭駅は廃止された。
北海道では数少ない駅舎建築として貴重であることから、廃駅後まもなく修復工事を施し、旭川サイクリングロード休憩所としてオープンした。
旧線跡はサイクリングロードとなり、駅舎も復元されて休憩所として利用されている。旧線のトンネル群は2015年に土木学会選奨土木遺産に選ばれる。
旧国道12号が石狩川の南岸に沿って通っていたが、1983年(昭和58年)に神居古潭トンネルを通る新ルートに切り替えられた(但し、歩行者と自転車は現在も旧道を使用する)。
カムイコタンの伝承
上記のように石狩川が急峻な流れを持つことから、以下のような伝承(ユーカラ)が生まれたといわれ、現代に伝えられている。
かつてこの地にはニッネカムイ(またはニチエネカムイ)が住んでいた。ニッネ(悪い)+カムイで、悪神・魔神と訳される。ニッネカムイはこの地に大きな岩を投げ込み、往来するアイヌを溺れさせようとした。ヌプリカムイ(山の神)が見とがめて岩をどかすが、ニッネカムイは怒ってヌプリカムイと争った。英雄サマイクルがヌプリカムイに加勢したため、ニッネカムイは逃げようとしたところ川岸の泥に足を深く沈めてしまい、動きが止まったところでサマイクルに切り殺された。
川岸に残るおう穴群は、そのときにニッネカムイが足を取られた跡であるという。
毎年秋分の日(9月23日)神居古潭で開催される「こたんまつり」では、伝統儀式「カムイノミ」が実施される。
カムイノミとは、「カムイ(神)・ノミ(~に祈る)」、すなわち人々が生活する上で必要なさまざまなことを神に祈る儀式。この地の神々(火の神、山の神、川の神、コタン一部落の神、幸福の神)に祈りを捧げ、交通の安全と人々の幸せを祈願する。カムイノミ(祈りを捧げること)をし、祈りに使われたイナウ(木弊)を石狩川に捧げる。
このあと、日本海沿岸部へ進み、石狩市浜益区にある国名勝・ピリカノカの黄金山(こがねやま)を眺められる場所へ向かった。