中年男のレースにかける夢

仕事を持つ傍ら、45歳にしてレースにかける夢を追う姿と体験をブログに記す。

チーム“Special Olympics”#118号車の紹介 マネージャー編

2007年05月29日 | Weblog
  チーム“Special Olympics”#118号車の紹介 マネージャー編


写真左端

  チームマネージャー 内海 敬行 氏  年齢:3ン歳  

   頼れそうで頼っていない?マネージャー。と言うのも、監督と同じでしょっちゅういない。監督と違うところは、いなければいけない時に本当にいない<笑。そのくせ、身の周りのことは良く気付く。男に生まれずに、女に生まれれば絶対に最高の幸せをゲット出来ていたであろうことは万人が認めるところ。

   ●見た目性格:温厚であると思う。柔軟。ナチュラルな冗談を言う。嫌いなものを嫌いと言える性格・・・では無い。しかし、感動屋であり、時として熱いところあり。 

   ●行動:My ペース。←これを崩すと仕事にならないので皆、責めない!

   ●プライベート:自らもハンドルを握るレーサー。自称:和製シューマッハ。しかし、リザルト検索には、一切名前が掛からない。(爆)

  総評(酷評):★☆☆☆☆

  昨年のS耐の最終戦からのお付き合い。本当に良く気の付くマネージャー。忘れ物の多い人。言葉足りない時がある。早くビデオデッキ送ってよ!と催促されても何処吹く風!(いい加減にしろ!)まあ、何はともあれ、盛り上げていってください。よろしくどうぞ!


ピンク・・・。

2007年05月27日 | Weblog

 昨日、S-耐久34号車のドライバー、守内選手(インテグラチャンピオン・マイスター)が関西よりわざわざ遊びに来られました。今、客間に寝ておられます。別に何の用があった訳でもなく、ただ遊びに・・・。これが彼の最大限の励ましと受け取って、これからをがんばることにします。ありがとうございました。(涙)。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。


 さらに、次女あやかが独り言で『ゴールしました!1着は宮本 隆士選手おめでとうございます。・・・・・・・・・。』

 「あや?それ何処のサーキット?」

 『富士スピードウエイ!』

ジーンと感動している間も無く、あやかの目には涙が・・・。
『パパ、なんでピンクの車で走らないの?』

ピンクのアルテで全戦ポールToフィニッシュした昨年の事を言っているのでしょうが・・・・。

ここにもこんなに応援してくれている人間がいること・・・。

いよいよ、このまま終われません。

雑念払い、前進あるのみ!


チーム “Special Olympics”紹介 メカニック編

2007年05月25日 | Weblog

  チーム“Special Olympics”#118号車の紹介 メカニック編


写真右から2番目

チーフメカニック ○本氏
年齢:不詳

  頼れるメカ!地方では、こんなメカは絶対いない。
ドライバーであろうが、社長であろうが、気に食わなければ怒り飛ばす。例えそれがチームのオーナーであろうと・・・。

  ●見た目性格:温厚そうに見える(逆なのです)。堅物かと思いきやそうでも無い。冗談も言う。メカ仲間も多く、ドライバーの仲間も多いが、嫌いなものを嫌いと言える性格。
   ●行動:Sharp 熱中行動派 第1戦鈴鹿リタイヤ時、ピット奥の物に八つ当たりし、“ひっちゃんがっちゃん(ぐちゃぐちゃ)”にしてしまった。オーナー(私)の目の前で!
  ●プライベート:ビール党。女性のいる酒場も少し好き。(しかし、タケ程ではない)

  総評(酷評):★★★☆☆
  社長同様、昨年のS耐の最終戦からのお付き合い。今年の初め、チームとして付き合い始めた頃、「いやな野郎!」としか思わなかった。何故なら、「足をもっとこういう風して欲しい。」「ここをこんな風に・・・。」と言うリクエストに対して何も行動を起さない。業を煮やして監督に直訴して、させたところ、車は、最悪の状態に。「すみません。チーフ、もし良かったら前の状態に戻してもらえませんか?」(笑)
  それからは、絶大なる信頼を得て、車のセッティングは全て任せられるようになり、今では神様(少し持ち上げすぎかな?)と奉っております。
  チーフと一緒に初期の目標、完走を是が非でも達成したいと思いますので、これからもよろしくお願いします。


チーム “Special Olympics”紹介 監督編

2007年05月25日 | Weblog

  “Special Olympics”#118号車の紹介を数回に分けて行いたいと思います。
まずは、監督編。


写真一番右端


  監督 中野啓吉 1944年12月6日生

 株式会社東名スポーツ 代表取締役社長 新潟県出身(訛りが御殿場訛りなのか新潟訛りなのかは不明!)数々の大事業を成し遂げられた方だと聞いておりますが、ここでは、私の抱いている監督像を記します。

  ●見た目性格:温厚。いつもにこやか。但し、時折見せる鋭い研ぎ澄まされた視線は、ただ者ではない事を意味する。
   ●行動:いつもあっち行き、こっち行き、何処に居るのだろう(何処で油売っているのだろう)?と思う事しばしば・・・。何かの問題が起こった時、監督は何処?とあたりを見回すと、「アレ!?居る。」何故かその時になったら居るのである。
  ●プライベート:麦焼酎をこよなく愛す。話し好き。麦焼酎と同じくらい車好き。

  総評(酷評):★★★★☆
  昨年のS耐の最終戦からお付き合いさせていただいておりますが、常に適切なアドバイスをしてくださる兄貴分です。小柄な割には的を得た発言で物事を進めていかれますが、決して独りよがりではなく、自分の会社の職員に対して『働いてもらっている。感謝している。』と言う気持ちを忘れない、素敵なオヤジ、失礼、素敵な男です。
  迷惑掛けてばかりですが、これからもよろしくお願いします。


残念です!

2007年05月24日 | Weblog
 もう2週間前になりますでしょうか、オートポリスのスポーツ走行で事故に会いました。どちらが悪いとか悪くないとかは関係のないことです。サーキットを走っていれば起こりえる事なのですから、走っている人間各々それは、百も承知の上での事。
 相手方は、ひどく落ち込んでいたので、こちらの方が気にしておりました。何を気にしていたかというと、今回の件で彼がサーキットを離れてしまうのではないかと・・・。
 予感は的中。彼は車輌を売却し、サーキット走行を断念。
私は、第3者を装い、彼を励ましたりもしましたが、結局は残念な結末となりました。
 またひとり、サーキットをあとにしてしまいました。寂しい限りです。

富士での写真集

2007年05月23日 | Weblog
  第3戦 富士での“Special Olympics”の方々との写真です。 初めてのサーキット・初めてのS-GTに皆さんとても興奮されて、それぞれ思い思いの時間を過ごされたようです。 

  
 

 


  今回の事が、彼等“Special Olympics”の励みになって頂けたらと言う思いでいっぱいです。



 互いにがんばろうね!という約束をし、富士をあとにされました。彼等の期待を背負っていると考えると、身の引き締まる思いです。

第3戦 富士の報告!

2007年05月07日 | Weblog

   大変遅くなりましたが、先日のS-GT富士第3戦の報告をいたします。

  今回は、我がチームで支援しているSpecial Olympicsのアスリートを含めたご家族 を予選・決勝・ピットウォークに招待をしての参戦でありました。
   その前に、車名がどうしてSpecial Olympicsなのかと言う事を説明しておかなければなりません。それは、今年の1月にS-GTに参戦が決まった際、チームのあり方や方向性をいろいろな方々に相談したところ、『同じやるならSpecial Olympicsを支援して参戦すればどうか?』と私の所属する小倉中央ロータリークラブの会員である九州日本信販代表取締役 金田道明氏よりアドバイスを頂きました。そして、具体的にどの様な形でそれを行うかを次の様に決めました。

 1.Special Olympicsの事を日本全国の一人でも多くの方々に認知・支援して頂く為の広報活動を行う。
  ・車名に“Special Olympics”を使用する。 
  ・車輌に“Special Olympics”のロゴを使用する。
  ・レーシングGoodsにも“Special Olympics”のロゴを使用する。
 2.Special Olympicsのアスリートとその家族の方々をレースに招待し、彼等に『僕たちもがんばるぞ!』という気持ちになって貰えるように、間近かでS-GTを体感して頂き、我々のルーキーチームが一生懸命やっている姿も同時に見て貰う。
 3.招待に掛かる費用は、スポンサー活動により捻出する。収支に関しては、ガラス張りの収支を行い開示し、余剰金については全額をSpecial Olympicsに寄付をする。
   また、如何なる場合でもこの資金をレース参戦費用やその他の費用に充当させない。
  といった内容で参戦するようになった為に、車名が“Special Olympics”となった訳です。
実際は、3.のスポンサー活動は今回第3戦の富士までは行っておらず、今回はチーム側決済という形になったのですが、この事を金田氏に報告すると、氏のお叱りを受けました。それは、「私自身がスポンサー活動をする(人の財布からお金を出させる事)のが苦手です。」と言ったら、氏は『それは、大きな大間違いです。“Special Olympics”に関してのスポンサー活動は、お金を出してくれる人もそうでない人もターゲットになっているのですよ。人にお金を出して下さいというお願いには“どうして”という説明をしなければならないでしょ?それによって“Special Olympics”の認知度が上がるという広報活動として行わなければならないのですよ。貴方の苦手とか言う意識で行わなかったのであれば、これを始めた意味も半減ですよ。残念です。』と言われ、落ち込んでしまいました。もっと思慮深くなければいけないと反省しました。

 そして、“Special Olympics”の招待は、開幕戦の鈴鹿には間に合わず、第2戦の岡山は欠場した為、この第3戦の富士は是が非でもという思いで準備を進めていったので、障害なく招待日を迎える事が出来ました。

  今回は、アスリート4名とその家族3家族、計10名を招待し、S-GTの予選・決勝を観戦、ピットウォークへの参加等経験して頂き、5月3・4日の2日間をお過ごし頂きました。
  そして、Special Olympicsのアスリート本人はもとより、ご家族の方も十分満足された表情で富士スピードウェイを後にされました。それ故に、決勝ではリタイアをしてしまった事が心残りでならなかったのですが、レース後、数日するとSpecial Olympicsのアスリートの方々から、数通の御礼の手紙が私の手元に届けられたとき、その心残りは一瞬にして消え去りました。下に手紙の1部を載せてありますが、それを読んで、この活動を行う事で少しでも多くのSpecial Olympicsの方々のサポートになるのであれば、一生懸命続けて行こうと再度決意いたしました。

 次戦はセパンと考えておりましたが、車輌の修復が日程的に不可能なので欠場する事となりました。
車輌修復のめどがつき次第、出場レースの報告をさせて頂きます。


 ※お断りとお願い!

 S-GT第3戦で#32号車と接触し、レースを赤旗中断させてしまいました。人それぞれ見方や批評は、千差万別で異なるのは当然出すが、その原因をつくったのは私である事は、私を含め万人が同じ見解である事は、紛れもない事実です。楽しみに観戦していらしたファンの方々をはじめ、500・300のチーム、ドライバー、メカニックその他多くの関係者の方々には計り知れないご迷惑をお掛けいたしました。
  どの様にお詫びしても許されようのない事であるに違いありませんが、この場をお借りしてお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。

  また、この機に振り返って見て、私自身の運転技術・考え・そして人格においてもまだまだ研鑽が必要であり、みなさま方よりもっと多くのご支援をいただける様になるには、まだまだ精進が必要であると反省いたしました。
精一杯努力して参りますので、そのためのお時間を頂けるようお願いいたします。

                                   宮本 隆士


またしても・・・。

2007年05月04日 | Weblog

  目標は、完走でしたが、結果は、リタイアに終わってしまいました。
 しょうぞうスタートの後(30ラップ)、私が45ラップのロングを行っている最中の17ラップ(計47ラップ)目、ネッツコーナーでスピン。
   コース復帰したところを後続のエプソンNSXに追突され車は不動になり、そこでリタイアとなりました。
   応援して頂いた皆さんには申し訳ありませんが、残念な結果となってしまいました。次回、セパンはがんばりますので、これに懲りずに応援お願いいたします。

   詳細を含めて、後日報告させて頂きます。