
大江健三郎の初期短篇。
こちら内容紹介。
作者プロフィール。
3篇からなります。「性的人間」は、前半は厭世的な若者の自堕落な様子を描いていて、三島由紀夫の「月」や、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を思いださせる展開でした。が、後半に痴漢に置換される内容は、なぜここで痴漢を持ってきたのかいまいち理解できませんでした。詩人の青年の現実への絶望、性的な諦念が痴漢になることで昇華されるのだろうか?
「セヴンティーン」は何度目かの読み直しです。この小説を読むたびに思うのは、わたし自身が17歳のときにこれを読んで、共感あるいは理解ができただろうか、ということです。この主人公のもつ挫折感を理解できるのは、17歳のわたしでは無理。かといって、還暦じじいが読んで心が揺さぶられる内容ともいえないし、この小説を読む年齢は、いつくらいがベストだったのかと考えます。
「共同生活」は、サルトルの『地獄とは他人ことだ』をモチーフにした他有化についての小説です。猿ども、はサルトルにかけているのでしょうか。大江の小説にははこういうしれっとした茶目っ気が頻繁に現れるような気がします。サルトルの著作にちょっと興味が湧くような一編でした。
どの作品も、大江らしからぬ(?)明快な文体で、面白く読むことができました。
初出はこちら。
書誌事項。
p.s. 腰のリハビリで飲みに行ってみた。
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