泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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「奇想の王国 だまし絵展」 VTCツアー

2009-07-19 10:24:02 | 古典絵画関連の美術展メモ
 レオナルドの権威,恵泉女子大の池上英洋先生によるガイドツアーに参加させていただきました.興味深いご解説ありがとうございました.
 先生の資料では,展示の流れに沿って騙し絵につながる①疑似彫刻(石像の安価な代用としてのグリザイユによる板人形など)や②疑似建築(画面の奥に仮想の空間が広がるように見せる)について触れられ,ついで③額縁に関して騙す(否定や逆利用)例として,ラファエロの「システィーナの聖母」について,プットが額縁の下枠にもたれていたり,カーテンの幕が開けられた設定についてもトロンプルイユ(騙し絵)の一種であることを解説されました.これについては展示作品でも多数取り上げられています.
 つづいて,④静物についての写実技法の誇示(カラヴァッジョの果物籠が有名),これにはガラス瓶に写りこんだ物体を描き込んだり,書棚に並ぶ本や収集品をあたかも実際に存在するように再現したり,またヴァニタスの象徴として髑髏などが描かれたりもし,この流れは17世紀フランドルのヘイスブレヒツの作品群のように,作品に壁板の表面までも描きその上に状差しに留められた品々が本物であるかのように描いて騙す遊戯的絵画が流行しました.
 つぎに⑤アナモルフォーズという強調遠近法(歪み絵)について詳細に解説いただきました.これは先生のとくに関心の高い分野だそうで過去に著作で表されたように,17世紀の対宗教改革において,幻視としてのヴィジョンの追求のなかで,錯視を利用したり,一種のモラルを風刺的に隠した作品(判じ絵)も登場します.ここで作図法について説明があり,「絵画とは画面の向こうに何かがあるように描くもの」で「すべての絵画は"騙し絵"である」と歪曲された教会の内廊を背景に浮かび上がるマザッチョの三位一体像を示しながら締めくくられています.
 最後に⑥遠近法的な仕掛けを用いない錯視を利用した多義図(寄せ絵)には,今回の展示の目玉であるアルチンボルトのウェルトゥムヌスがありますが,これには三重の主題が隠されているそうです.個々の果物(四季を超越した神格的存在),錬金術的手法による合成図像で怪異ではあるがウェルトゥムヌス神の像,すなわち皇帝の肖像.
 展示はこの後,和もののセクションに入り,画面から抜きでたように描かれている幽霊図,国芳の有名な寄せ絵「みかけはこはゐがとんだいゝ人だ」などが展示されています.池上先生によると,このような騙し絵については日本は西洋の100~150年あとを行っているそうで,文化の輸入の遅れを示唆されていました.
 先生の解説は時間の関係でここまででしたが,続くマグリット・ダリ・エッシャー(多義画や隠し絵など)などの作品は面白く,現代作品ではパトリック・ヒューズの「水の都」はreverspectiveと呼ぶそうですが,視点の移動で強く画面が揺れるのが驚きでした.ディズニーランドのホーンテッドハウスに,じっとこちらを見つめる(ようにみえる)彫像がありますが,あれも実はくぼんでいておそらく原理的に関連があるでしょう.また,ミニチュアのように見える本城直季氏の「small planet」シリーズも楽しめます.福田見蘭の「壁面5°の拡がり」を間近で見るのを忘れたのは残念でした.


付記:17世紀オランダ・フランドル絵画としての私見メモ 東京での展示順に

・入り口のNo.36のdummy board「慈悲の擬人像」はエラスムク・クエリヌスの作という.出所はヤン・デ・メーレ画廊だが,来歴は? この展示法は秀逸.ついでながらNo.18の17世紀のフランドルの画家の「聖家族」も作品の詳細は不明だが,たとえばクェリヌスなどの周辺画家かもしれない.
・No.38プラハ国立のファン・デル・ヘルストの「ある男の肖像」は額縁を描き込んでその下枠の外に手袋を持った手を出している図.背景の空の補彩はやはり目立つが,顔は良くかけている.ティツィアーノの自画像との関連が指摘されているLNGのレンブラントの自画像は右肘を下枠(額か窓か?)から出しているが,レンブラント派ではこのような作品は多い.
・No.16のA・オスターデの水彩画「水彩画の上に置かれた透明な紙」もよく出来ている.紙が長方形ではないことがミソ.
・ヘイスブレヒツの作品群は4年前にハーグのマウリッツハイス美術館で回顧展を見てきている.今回は1663年作のNo.14・15・28,65年のNo.29,これらは板壁や窓付き戸棚を模してこれにカンバスや状差しを描いているが,No.28の「食器棚」がとくに秀逸.やや遅れて71年のNo.23の「狩の獲物のあるトランプルイユ」ではカーテンに覆われているところが騙し絵であるが,さすがにgame paintingを描かせても野うさぎなどの精密描写は傑出.左端の飾りつきの小物は鷹の頭にかぶせる目隠しだろう.
・コリールの作品もNo.19・32の二点が出品されているが,コリール自身は17世紀後半に活躍していて,作風はやや硬くカッチリ描くタイプである.西美にヴァニタス画の佳品が所蔵されている.
・No.21のステーンウィンケルの1630年代の「画家とその妻の肖像」はヴァニタスを示す砂時計・書物・髑髏を置いた机に鏡に写る画家の自画像を描いているが,下から光が反射しているために左の眼窩上部の照り返しなど顔が異様な感じに見えている.机の引出しが空なのもヴァニタスなのだろう.
・No.35 「羊飼いの礼拝」 17世紀オランダ絵画 このような大理石レリーフに擬した作品は18世紀のヤーコプ・デ・ヴィットのものが秀逸,ただしスタイルは古典的
・ホーホストラーテンはNo.30ドルトレヒトの「状差し」が一点だけでやや残念である.私の中ではトランプルイユというとホーホストラーテンなので.この作品とヘイスブレヒツとの違いは背景を明るい板とせず,状差しに入れられたものが浮かび上がっていること.これはある意味で光と闇に重きを置いたレンブラント派の名残とも取れる.
 とくにホーホストラーテンには,疑似建築の面でも大作ながら本展覧会の趣向に沿った良品が残っているのでぜひ手配していただきたかったと思う.まさに通路の行き止まりにかけられた彼の作品によって,先に空間が広がって見えるのである.
 ちなみに,図録の解説で(ホーホストラーテンは)「フェルメールの師でもあった」云々とあるが,そのような事実を示すドキュメントはなかったはずで,フェルメールは同郷のC・ファブリチウスなどを通じて見知ったホーホストラーテン作品の空間表現にインスピレーションを得た,というところであろう.実際,フェルメールの遺産にはホーホストラーテンの作品が含まれていた.ホーホストラーテン自身が騙し絵に関心を持ったきっかけは,(カッセルにある1646年の「聖家族」に代表されるように)師事していたレンブラント工房にあるのかもしれない.

オランダ・フランドル以外ではあるが
・No.25のドイツの画家ヒンツの「珍品奇物の棚」は大航海時代の各地からの収集品を取り混ぜているがヴァニタスの流れも汲んでいる.現代日本の写実派古吉弘画伯の代表作を思い出してしまった.
・No.1アルチンボルトの「ウェルトゥムヌス」は色彩に富んでいる.ただし,作品のコンディションとしては中央のかぼちゃなど洗浄過剰がやや目立つ.No.2の工房?作「水の寓意」は確かにやや輪郭線など弱い.
・特別出品のヒューストンの「聖顔布」については,布の質感はスルバランでもよいとおもうが,キリストの転写された斜めの顔のこの眼差しはいかがなものか??ストックホルムの国立美術館の所蔵作品とは随分出来が違う.

・テーマに沿う中でなぜこの絵でなければならないかという意味で作品の選択の基準を教えていただきたいものが割りに多かった.どなたが決めたのだろう?
・また図録の作品解説に古典絵画でも来歴などの研究的情報がなく,騙し絵との関連においての解説が主であったことが,やや物足りなさを感じた.やむをえないのかもしれないが.
・でも,このような展覧会は斬新で楽しいものだ.