泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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ヨルダン・シリアの旅(5)

2009-10-08 22:01:23 | 旅行記
パルミラ Palmyra (2)  アラビア語 タドモル Tadmor


バールシャミン神殿
 豊穣・天候の神バールシャミンを祭っていた神殿で,ヘレニズム期にはゼウスと混同されたが,5世紀に教会として
改築されたため保存状態が抜きんでてよい.四面門から右に折れた突当たりにある

左上・朝日に染まるバールシャミン神殿とアラブ城
 アラブ城は17世紀の城塞 ここからの夕日に染まる遺跡の光景がすばらしいという
右・神殿の内部 自然に生えたドングリの木があたかも御神木のようだ.なっている実はクヌギに近いように見える.
ドングリはミイラの防腐剤として用いられていたともいう.

 墓の谷にある古代の墓には,塔形墓と地下墳墓がある. 


左・エラベル家の墓 地上五階建の塔形墓   右上・四階の窓から墓の谷を見下ろす
右下・一階の内部 正面には故人のレリーフ像・天井には彩色フレスコの肖像画 側面の壁柱の隙間に遺体を安置した


三兄弟の墓 名の通り有力氏族一族の埋葬された地下墳墓でその内部には,出資者のレリーフやアキレスの逸話などを
描いたヘレニズム期の彩色フレスコ画があり,優美な造りは当時の死生観が想像できるが,内部撮影は禁止.
右上・墓の入口の上枠にある碑文の中に(右中)アラビア文字で160の年記がある
 

ボルハとボルパの墓 パルミラ遺跡の東南にある墓地にあり,奈良のシルクロード学研究センターらによって,入り口の上にあるサテュロスの頭部の浮彫りの建造碑文(右上)から紀元前128年にパルミラの有力氏族である同兄弟によって建造されたことが判明した.墓の一部は220年ごろに分譲もされたらしい.
上中・入口の石の扉は非常に重い 扉は上に支持部があるらしい
左下・入り口のアーチの要石にはメドゥーサの浮彫り サテュロスとともに墓に侵入する邪悪なものに対する魔除け
右下・墓の内部正面 左右にもレリーフ

中央の石棺は家族団欒の饗宴を表現している

左右のレリーフも,半身を起こし立てた右足に右手を置いて左手に杯を持つ姿勢は同一で,足元に子供の立像を従えている.
中央・遺体は他の墓と同様,側面の壁の窪みに水平に足のほうから安置され,一列に三体ほど収容可能のようだ.
正面のレリーフの下に安置されたのが,兄弟のいずれかの家族だろう.


左上・遺跡手前の大統領広場の角にあるパルミラ博物館を車窓から 右・オリックスを庇護する獅子の像
左下・野外展示の名家の石棺



左上・レストラン併設の動物園のオリックス 左下・駝鳥   右・ベル神殿の前の駱駝の子


オアシスのナツメヤシ パルミラの語源は,ナツメヤシを意味するギリシャ語「パルマ」であるという