「生協だれでも9条ネットワーク」

日本国憲法と平和主義、民主主義を守る活動を進める生協関係者のネットワークのブログです

【情報】「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産デジタル・アーカイブ」構築のインターネット寄付受付けを開始!

2016-02-07 00:39:12 | 情報提供


<K.Mより>
 日本生協連職員OBの伊藤和久さんがボランティアで事務局長をつとめている「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」では、被爆者のさまざまな記録をインターネット上にデータベース化し情報を発信していく「デジタル・アーカイブ」制作のプロジェクトをスタートさせました。

 広島、長崎への原爆投下から70年が経ったいま、その体験を誰がどのように受け継いでいくのか、重要な課題となっています。この「デジタル・アーカイブ」は、インターネットでアクセスすれば被爆者に出逢うことができることをめざすものです。なお、デジタル・アーカイブ化にあたっては、首都大学東京の渡邉英徳准教授による「ナガサキ・アーカイブ」「ヒロシマ・アーカイブ」との連携が予定されています。
「ナガサキ・アーカイブ」
「ヒロシマ・アーカイブ」

 そして、そのための資金調達をインターネットを通じて行う「クラウドファンディング」が2月~3月で取り組みが始まっています。要はインターネットを通じて寄付を呼びかけているわけです。1口3000円、1万円、3万円、5万円のコースから選ぶことができ、コースによるいろいろなリターン(特典)があるのが、21世紀的な寄付のスタイルを感じさせます。私も先ほど1口応援させていただきました。多くの皆様の応援をお願いいたしますm(_ _)m

 会の「継承ブログ」の該当記事より以下、ご紹介いたします。

「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産デジタル・アーカイブ」制作プロジェクトよりインターネットを通じた資金調達ご協力のお願い

 被爆者の体験、そしてたたかいの記録を少しでも広く次の世代に伝えていくため、お手数をおかけしますが、本取り組みに対するご支援・ご協力をお願いする次第です。

             記
■資金調達の目的:

 「継承する会」収集資料のデジタルデータ化/保存に関わるシステム構築の初期費用確保のため

■インターネット寄付実施期間:2016年2月1日~3月31日

■取り組み内容:
 インターネット上の寄付受付ホームページ「モーションギャラリー」にて、プロジェクトの公開、詳細説明を展開しております。同ホームページを通じて幅広い世代に寄付協力を呼びかけます。

■ご協力いただく方法:
以下のプロジェクトページのアドレス表示をクリックしていただくか
https://motion-gallery.net/projects/hibakusya/
以下の「継承ブログ」の案内記事からアクセスをお願いいたします。
http://keishoblog.com/?p=1017

※なお、このプロジェクトは「参加型デジタル・アーカイブ」のシステム構築を目的にした限定的なものです。向こう5年間の中長期的な「資料の収集・保存・整理作業とデジタル・アーカイブ化」(継承センター設立構想)の取り組みは引き続き着実に進める必要があります。そのための運営資金も本格的に追求していかなければなりません。その条件づくりとして「認定NPO法人」(寄付金の税制上の優遇措置が受けられる)を申請しているところです。

(追記)
 「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」のFacebookはこちら
ホームページはこちら

 これまでの会のHPに被爆証言の記録が掲載されたコーナーがあるので、ご参照ください。
「証言集」のコーナー

【寄稿】大野省治氏より「私の人生」(『生協運動久友会だより』掲載分に補筆されたもの)

2016-02-06 23:45:36 | 情報提供


<管理人より>
 日本生協連職員OBの大野省治さんからご寄稿をいただきました。「生協運動久友会」(現在では役員などのOB会に改組されている)が年2回発行している『久友会だより』に寄稿され、2015年12月号=No.82に掲載された自分史に補筆されたものです。先に「JCCU協同組合塾」のブログに掲載していますので、そちらの記事と連動してご紹介いたします。なお、冒頭の写真は掲載号の表紙です。

【寄稿】大野省治氏「私の人生」
(おおの・しょうじ 元全国消団連事務局長)


私の家族
 私は1930年生まれ、支那事変の名で中国侵略が開始されたのは小学校1年の7月7日。大戦は1945年8月15日終わった。当時旧制中学校以上の学生・生徒は「学徒動員令」という勅令により強制的に工場で働くことになり、旧制高校専門学校以上の学生は徴兵され戦場へ行った。
 二兄は陸軍予備士官学校に合格。航空隊の通信士官となり中国南昌飛行場大隊に配置され少尉中隊長。妻の兄は同じく徴兵令、海軍経理学校に合格し主計少尉参謀となって航空特攻機発進基地に配置された。
 我が家から長兄は第六師団から山砲隊員として北支から中支へ転戦、更に仏印、暹羅へと転戦し、敗戦となって帰国。もう一人は久留米師団からビルマへ派遣され、高い山をいくつも越えて敗戦を迎え、生き長らえ辛うじて帰国。だが内地にいた一人は佐賀高校生で、学徒動員長崎造船所で勤務中に原爆被爆し死去。もう一人は大牟田市三川国民学校高等科の教員として児童の指導をしていたが、夏の強い日差しを受け戸外作業指導中熱中症となり、製氷工場が空爆で製氷不能となり看病も虚しく死去した。

私の戦時体験
 私は中学3年生、8月7日正午頃三池染料工業所に勤務中にB−24の編隊爆撃を受けた。私は警報が鳴ると逸早く工場の退避壕へ隠れた。幸いにして爆発音聞きながら過ぎ去るのを待った。被害を受けずに助かり、私の今日がある。
 幼稚園の頃の歌は肉弾三勇士など軍歌が中心。軍国主義教育で一貫していた。旧制中学では物理の教師が海軍中尉で、宿題に軍人勅諭の丸写しを出すなど物理学と軍人勅諭がどんな関係があるのかと不満を覚えた。だが礼儀の項は覚えていたので師団から来た査閲官から唱えてみよと命じられて、私は長い文句を口述したので褒められた。教育の軍事化というのは“殴りつけてでも実施させること”が徹底していた。

8月7日、大牟田空襲
 敗戦の色濃くなって、空襲警報が発せられると、夜でも即刻三里小学校の防衛に駆けつけた。8月7日の正午頃米軍大型爆撃機の編隊が大牟田市上空を襲った時は、工場の防空壕に逃げ込んだ。広島の翌日である。幸い私は命だけは助かったが、逃げ遅れた相当数がいて、爆弾で工場敷地一帯に工員らの死体が転がっていた。社屋・工場は崩壊、無惨。中学同級生が7名戦死した目も当てられない惨状。米軍爆撃機による爆撃の最中に大牟田の高射砲陣地から発射した砲弾が敵の爆撃機B−24に命中し撃墜させた。高射砲陣地兵士はよく戦ったと思う。
 私は中学3年生、被爆直後、工場から帰宅を許されると直ぐ近所に撃墜された機体を見に学友と二人で出かけた。夕方近いが8月の空は明るく、畑の上に横たわるB-24は壊れ、機内が露出して見えた。地面に叩きつけられ、米軍乗務員の丸く腫れ上がった遺体が折り重なっていた。機関砲や砲弾等武器・通信機も転がっていたが、手出しはせず見るだけで現場を離れた。つい先程は三池染料の骸炭工場付近で殺された女子事務員や工員、朝鮮から動員されて来ていた少年工員の腕や胴体が切断された死体を目の前で見てきたのだ。
 撃墜されて死んだ敵の飛行士数人を目の前にしても、私は気の毒とも可愛そうなどの感傷はなかった。これが戦争の実態なのだ。自分は生きている、と確かめた。同級生で肩下に焼夷弾が当たり腕を失った友があったが、成績の良かった彼は若くして死去した。2日後の9日、長崎に原子爆弾が落とされ、私は有明海の東側から西海岸の雲仙岳と多良岳の間に、入道雲のような原子雲を眺望した。
 8月15日敗戦の日が過ぎて、アメリカ兵と街なかで顔を合わせることがあっても、まだ戦時中の敵対感覚であり、振り向きもせず通り過ぎた。英語の友成先生が、中学校へ来訪したアメリカ人と話を交わして居るところを見かけてから、やっと敗戦となった現実を認識するゆとりが出てきた。

※戦後以降の分は、「JCCU協同組合塾」のブログの記事からお読み下さいm(_ _)m

【参加報告】1/28シンポジウム「戦争法廃止 辺野古新基地建設阻止の国民的共同を」(寄稿)

2016-02-04 23:59:30 | 参加報告




1/28「連帯・共同21」シンポジウム「戦争法廃止 辺野古新基地建設阻止の国民的共同を」参加報告(寄稿)】

<管理人より>
 1/28「連帯・共同21」シンポジウム「戦争法廃止 辺野古新基地建設阻止の国民的共同を」に参加者から画像・レポート、感想を寄せられましたのでご紹介します。
また、ユーチューブに映像がアップされていましたので、こちらでご参照ください。

<K.Mより>
 ネットワークの世話人でもある藤原一也さんが運営メンバーになっている「連帯・共同21」の主催する標記のシンポジウムに参加してきた。日本生協連の現役2名、OB・OGを含めると10数人の参加があり、全体でも約170人の熱気があふれる盛会となった。

日時:1/28(木)17:30開場、18:00開始
場所:参議院議員会館大会議室

部屋の入り口に沖縄の参議院議員の糸数慶子さんによる会議室利用ということの表示があった。

第1部:報告
●黒澤いつき:明日の自由を守る若手弁護士会(あすわか)共同代表
 あすわかメンバーは、ベトナム戦争も知らず政治を語ることがタブーになっている時代を生きてきた20代後半から40代の弁護士たちで、「知識がなければ流される、自分の頭で考えて主権者が行動することで民主主義が回っていくはず」と考えて、ブログやSNSで情報発信することを中心に活動してきた。
 従来型の学習会の敷居の高さをとっぱらい、憲法を守ろうという呼びかけ以前に「まず憲法を知って、自分の頭で考え、判断しよう」というスタイルで少人数の集まりで講師とおしゃべりする「憲法カフェ」を開いたところ好評で全国各地から依頼が増え、昨年の夏には毎日どこかで開催されるようになった。安保関連法案が衆議院で通過しても参議院で廃案の可能性があるとFacebookで情報発信したら40万人に拡散され、朝日新聞の7/17付け社説で取り上げられた。『とりあえず知っておきたいイマドキの憲法のはなし』という漫画で解説するミニリーフレットも各地で活用してもらっている。等

●中野晃一:上智大学国際教養学部教授
 2014年7/1の解釈改憲の閣議決定前後からの立憲デモクラシーの会などでの活動の経過、12月には従来の垣根を超えた総がかり行動実行委員会が結成されたのは特筆もの。GWには法律が作られる動きの中でSEALDsの行動が起爆剤となった。SEALDsの若者たちは立憲主義で民主主義を支えようという控えめな姿勢だったが、学者たちは彼らに活力を与えられて学者の会ができたし、ママたちの会などが立ち上げられていった。女性が前面に出てきて「戦争したくなくてふるえる」とか「だれの子どもも殺させない」身体的な言葉で訴えたのがよかった。 
 民主党の右派も1つの塊ではなく、3つぐらいのグループがある。そのうちの穏健保守のグループがキーになる。「市民連合(安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合)」の3つの目的①安保関連法の廃止、②立憲主義の回復、③個人の尊厳を擁護する政治の実現のうち、一番大事なものは③。個人の尊厳がある、自由なくらしができるように具体化するには功利主義的な議論をして、再生可能で持続可能なものが求められる。これには穏健保守の人でも向かっている方向は同じであり、多くの人に届くチャンスがある。等

●元山仁士郎:SEALDs、SEALDs RYUKYUの中心メンバー (写真の右端が元山くん)
 SEALDs RYUKYUができた経過の説明。憲法96条改憲の動きの中でICUで友人と動き始めたところ、2014年12/6秘密保護法反対の集会で奥田愛基くんと出会い、1月の秘密保護法施行日にSASPLが解散。1/22から辺野古に行こうということになり、1日2~3人が行くようにしようとなって20人が行った。5/3にSEALDs結成、8/15にSEALDs RYUKYUが結成された。
 先日の宜野湾市長選挙でシムラさんが敗けてしまったのは何故か。①出馬表明が遅れ、現職で保守層ががっちり固められていた。②公明党がサキマ支持に回ってしまい、公明党支持層を切り崩せなかった。③シムラさんの訴えがなかなか伝わらなかった。普天間基地の返還が辺野古基地新設反対とどうつながるのかがわかりにくいし、基地と経済ということでは、若い人は雇用の方が切実。くらしがきついと政治の事が考えられない。同じ日に八王子市長選も安倍政権NOばかりになってしまった。八王子の中の問題についての政策が不十分だった。
 「市民連合」としても生活・経済・社会保障も考えていかないと参議院選挙に勝てない。等

●小森陽一:東京大学大学院教授、「九条の会」の事務局長
この間の活動の報告があって、第2部に移った。
(追記)小森さんの部分のメモが取り切れていなくて書けなかったが、「連帯・共同21」のブログの報告記事(末尾にリンク)でアップされているので、そちらで確認をお願いします。

第2部:質疑応答・意見交換
 各地で取り組んでいる立場からの質問・意見、個人としてこう考えているという立場での質問・意見があった。私は、若い世代などでも温度差があることを感じたこと、2000万人署名などに取り組んでみて、署名も怖がっている人がけっこういることで、もっと楽しそうに工夫して取り組んでいく必要があるのではないかという主旨で発言した。

 私の問題意識との関連でもう一つふれておく。中野晃一さんの話の中で①今までやってきたことを続けるだけでも違うこと、②今までやってきていないことをやることも大事。常に怒っている人には説得力がない。こちらの話を聞いてほしかったら、相手の話を聞くことが必要ということ。
 まさにその通りだと思った。2000万人署名のお声かけをして、協力をしぶる人にはなぜなのかをなるべく聞くようにしている。それに対して私も絞りだせるだけのものをお話している。宿題になることもあるけれど、それも大事かなと思っている。

冒頭の写真2枚も提供します。2列目だったのでうまく撮れました。

(2/12追記)
「連帯・共同21」のブログの報告記事→こちら
感想の寄稿記事→こちら

【参加報告】1/23市民連合シンポジウム「2016年をどう戦い抜くか」(寄稿)

2016-02-02 23:59:01 | 参加報告


1/23市民連合シンポジウム「2016年をどう戦い抜くか」参加報告(寄稿)】

<管理人より>
 市民連合シンポジウム「2016年をどう戦い抜くか」に参加した現役職員のお2人から画像・レポート、感想を寄せていただきましたのでご紹介します。

<東京カズちゃんさんより> (画像もいただきました)

 1/23(土)の午後は都電荒川線に乗って、SEALDsなどの5つの市民団体が結成した「市民連合」の「2016年をどう戦い抜くか」の集会へ参加した。会場の北とぴあは1300人でいっぱいだった。「安倍政治を許さない」を揮毫した俳人の金子兜太さんが「野党はがんばってもらいたい」とまず挨拶をした。

「憲法9条の今日的意義」のテーマで基調講演を哲学者の柄谷行人氏が行ったが、フロイトの超自我などに触れるなど難解で、途中まどろんでしまった・・・。
 パネルディスカッションは森達也(映画監督)、青井未帆(憲法学者)、三浦まり(政治学者)、諏訪原健(SEALDs)の4氏が山口二郎・法政大学教授の司会で語った。以下はその発言要旨。


柄谷行人氏:
 昨年、韓国の延世大学へ行った際に「日本では学生によるデモがあるのに韓国には無い」と言われた。韓国のデモはもっぱら労働者によるものだ。日本では2002年のイラク戦争以降、デモはなかったが昨年は様相が変わった。その意味ではうれしいともいえる。
 集会やデモは英語でassemblyだが、これは寄り合いという意味である。議会もassemblyであり、本来議会の起源は集会やデモだった。だから議会が集会やデモを反映する場合には人民主権と言える。
 憲法9条は右の勢力が70年間変えようとして変えることができなかったし、廃棄できなかった。9条はフロイトのいう超自我であり、無意識の問題である。護憲派は9条を守ってきたわけではなく、9条に守られてきたのだ。9条は米国が自分の国でやっていないことを日本へ押し付けたものでもある。だからこそ長期のわたって維持されてきた経緯がある。もし、日本人が戦争を反省してこれを制定したというなら、人の意見は変わりやすいのですぐに変更されたはずだ。


森達也氏:
 オウム真理教事件から20年が経ち、"不安と恐怖"が日本社会を支配するようになった。ISに対する不安などもその典型だ。日本社会が集団化し始めてきており、逆に集団が"異物"を排除する傾向にある。この同調主義的社会には自分自身の自覚を持ち、歴史認識を持って集団とは違う動きをすることが重要だ。
 自分の属する映画監督協会などは安倍政治へ批判する人がほとんどだが、これは戦争などの現場を見てきている経験があるからだ。ほとんどの国民は現場へ行っていないし、見ていないから支持してしまう。

青井未帆氏:
 とりま改憲(とりあえず改憲してみる)という雰囲気があり、危惧している。これには正面から戦いを挑まないといけない。個人の尊厳を規定した憲法13条や24条の意義を再確認しないといけない。また、安保法制は明確に違憲ということ事実を言い続けていく必要がある。

三浦まり氏:
 大学で「SEALDsのスピーチを聞いた?」と学生に問うと、反応がないのにビックリした。嫌なことを忘れようという雰囲気(安全神話?)があるようだ。雑誌「エコノミスト」で昨年、日本は民主主義の20位までのランクインから外れて23位まで後退してしまった。
 現在、すがりつくものは「国家」と「家族」と思われてきている。安倍内閣の支持率は女性では低い、むしろ群れた男性が支持している!

諏訪原健氏:
 安倍政権は高齢者に3万円を給付し、「消費が活発だから」と言っているが、本来なら若者への長期的な投資があってしかるべき。与党には長期的なビジョンがない。私たちこそこの長期的ビジョンを持たないといけない。この7月の選挙には「本気で勝つ」と言って取り組んでいかないといけない。ただ、その結果に一喜一憂してもいけない。やはりその先の社会の有り様を描いていく必要がある。

山口二郎氏:
 現在は嫌な時代であることは確かだが、この政権も必ず変わっていく(衰退する)という確信を持ってやっていきたい。

中野晃一氏:
 これからはどのようなシナリオでも対応していかないといけない。参院選前に安倍政権が退陣することもあるし、衆参同日選挙もありえる。市民連合へいろいろ動いてほしいとの声も聞くが、まずはその存在自体に意義があると思っている。市民の意見を国政選挙へ、国会へ反映させるように取り組んでいきたい。



<S.Hさんより>

 金子兜太さんからは、俳人らしく短いながらも「野党はがんばれ」と力強い言葉。
 柄谷行人さんの講演は、心理学も交えて難解ながら、憲法9条は日本人の集団的無意識(もしくは、“空気”・“文化”というべきもの)に守られているので、明文改憲は難しい。警戒すべきは、文章を変えないまま中身を変える“解釈改憲”。
 山口二郎氏コーディネーター、パネリスト 青井美帆氏、三浦まり氏、森達也氏、諏訪原健氏のディスカッションは、多くの論点がありましたが、これを聴いて私が考えたことを一つ。
 なぜ、多くの若者(若者だけではないが)に、運動が広がらないのか?この政権は、平気で事実と違うことを発言するようだが、“政府は正しい”と信じたいからではないか。もし“政府が正しい”と信じられないなら、政府が言うことが事実かそうでないかを調べる面倒くさい作業が必要になる。
 このような講演や国会前に来てみれば、「実は政府は正しくないのではないか?」という問題意識を持たざるを得ない。だから、運動に参加しようとしないのではないか。
 しかし、その結果、政府が誤った政策を取り、もし身体・生命、財産に甚大な損害を負っても「受忍セヨ」で済まされるのは我々国民なのだ。先の戦争のように。

【参加報告】 「私たちはあきらめない!戦争法を廃止へ!1・19総がかり行動」(概要・寄稿)

2016-02-01 23:59:15 | 参加報告


「私たちはあきらめない!戦争法を廃止へ!1・19総がかり行動」参加報告(寄稿)】

<管理人より>
 遅ればせながら「1・19総がかり行動」参加報告記事をアップします。前日に首都圏の交通機関に大きな影響が出るほどの雪が降った翌日、雪はずいぶん融けましたが寒風が厳しい夜の行動に現役が5名、OB&OGを含めて10数名の参加がありました。以下、概要。

 「総がかり行動実行委員会」は、1/19(火)18:30から衆議院第2議員会館前を中心に「私たちはあきらめない!戦争法を廃止へ!安倍内閣は退陣を1・19総がかり行動」を実施。衆参議員会館前から国会図書館前までに5,800人の参加者が結集し、声を上げました。

 大串博志(民主)、主濱了(生活)、吉田忠智(社民)、小池晃(共産)、初鹿明博(維新)の議員5氏からの挨拶がありました。連帯挨拶は、以下の各氏。高田健さん(解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会)、宇都宮健児さん(反貧困ネットワーク)、山岸良太さん(日本弁護士連合会)、福山真劫さん(戦争をさせない1000人委員会)、木下興さん(憲法共同センター)、伊藤真美さん(安全保障関連法に反対する医療・介護・福祉関係者の会)。

 最後の行動提起によると、今後の取り組み企画が決まっているのは以下の通り。
①1・23市民連合シンポジウム、②2・19国会前行動、③2・21止めよう!辺野古埋め立て国会包囲、④3・26原発のない未来へ!全国集会、⑤5・3憲法集会

生協労連の1/20付けFB記事には、youtubeの動画リンクもあります。

アジア連帯講座のBLOG「虹とモンスーン」さんの1/20付けの記事も詳しいです。



以下、3人の方の感想をご紹介します。

<S.Hさんよりの寄稿>

 寒空にもかかわらず、主催者発表で5800人も参加。これからも、あきらめない、ねばり強い運動が必要。
 貧困問題に取組む宇都宮健児弁護士から連帯のあいさつ。昨年12月19日の“自衛隊を戦場に送るな! 総がかり講演会”で、元自衛官の井筒高雄氏が、「自衛隊は全体として定員割れだが、特に最も下位の“士”が足りていない」(“将”など指揮をする階層は90%台の充足率だが、2~3年の任期制である“士”は70%台)と話されていたのを思い出しました。格差の拡大により“経済的徴兵制”が現実味を増している。格差や貧困問題についても目を向ける必要があると思います。

<N.Fさんよりの寄稿>

 少しお休みしてしまっていたので、寒くなってから初めての行動参加でした。地下鉄改札を出ればいつも通り同じ所へ向かう人が沢山。この寒い中ずっと頑張っている方々に頭が下がると共に、テレビや新聞で報道されないと世間的には本当に見えないなと思いました。
 スピーチの中で印象に残ったのは、「かつての自民等の公明~創価学会アレルギーは大変なものだったが、今やこの通り。それを考えれば、この重要な局面に何故共産党だから共闘できないなどと言っているのか!?」という話です。
 大きな力はない一人一人も、とにかくみんなが忘れず考え行動し続けることですよね…。アベ政治を許さないために。

画像はいずれも東京カズちゃんさんのFB投稿分からいただきました。記事の本文からも一部を引用してご紹介します。

 民主党、維新の党、社民党、共産党、生活の党の議員が発言し、総がかり行動の高田健さんが「安倍首相は緊急事態条項を憲法改正して導入しようとしている。これは何としても阻止しないといけない。自民党(国家神道)と公明党(創価学会)が提携(共闘)しているのに、野党はなぜ共闘できないのか。参院選で野党が共闘して、3分の2の改憲勢力を絶対阻止しよう」と呼びかけた。1/4は3,800人だったが、今夜は5,800人が集まったとの案内があった。冬が本格化する一方、民主主義を取り戻す運動もこれからが本番♪


 青い幟旗の後ろは衆議院第2議員会館。(管理人、途中でトイレを借りてきましたが、空港並みのセキュリティチェックがあり、「9条守れ」バッジは隠すように言われました。)

 コールを上げても寒さが身体にしみてきて、幹事メンバーなど9名が四ツ谷に移動し、10/10のつどい後の懇親会の会場であったまりました。2月、3月の呼びかけ企画についても話し合いました。旗もち当番は次回はM.Yさんが引き受けてくれました。