「生協だれでも9条ネットワーク」

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【参加報告】1/23市民連合シンポジウム「2016年をどう戦い抜くか」(寄稿)

2016-02-02 23:59:01 | 参加報告


1/23市民連合シンポジウム「2016年をどう戦い抜くか」参加報告(寄稿)】

<管理人より>
 市民連合シンポジウム「2016年をどう戦い抜くか」に参加した現役職員のお2人から画像・レポート、感想を寄せていただきましたのでご紹介します。

<東京カズちゃんさんより> (画像もいただきました)

 1/23(土)の午後は都電荒川線に乗って、SEALDsなどの5つの市民団体が結成した「市民連合」の「2016年をどう戦い抜くか」の集会へ参加した。会場の北とぴあは1300人でいっぱいだった。「安倍政治を許さない」を揮毫した俳人の金子兜太さんが「野党はがんばってもらいたい」とまず挨拶をした。

「憲法9条の今日的意義」のテーマで基調講演を哲学者の柄谷行人氏が行ったが、フロイトの超自我などに触れるなど難解で、途中まどろんでしまった・・・。
 パネルディスカッションは森達也(映画監督)、青井未帆(憲法学者)、三浦まり(政治学者)、諏訪原健(SEALDs)の4氏が山口二郎・法政大学教授の司会で語った。以下はその発言要旨。


柄谷行人氏:
 昨年、韓国の延世大学へ行った際に「日本では学生によるデモがあるのに韓国には無い」と言われた。韓国のデモはもっぱら労働者によるものだ。日本では2002年のイラク戦争以降、デモはなかったが昨年は様相が変わった。その意味ではうれしいともいえる。
 集会やデモは英語でassemblyだが、これは寄り合いという意味である。議会もassemblyであり、本来議会の起源は集会やデモだった。だから議会が集会やデモを反映する場合には人民主権と言える。
 憲法9条は右の勢力が70年間変えようとして変えることができなかったし、廃棄できなかった。9条はフロイトのいう超自我であり、無意識の問題である。護憲派は9条を守ってきたわけではなく、9条に守られてきたのだ。9条は米国が自分の国でやっていないことを日本へ押し付けたものでもある。だからこそ長期のわたって維持されてきた経緯がある。もし、日本人が戦争を反省してこれを制定したというなら、人の意見は変わりやすいのですぐに変更されたはずだ。


森達也氏:
 オウム真理教事件から20年が経ち、"不安と恐怖"が日本社会を支配するようになった。ISに対する不安などもその典型だ。日本社会が集団化し始めてきており、逆に集団が"異物"を排除する傾向にある。この同調主義的社会には自分自身の自覚を持ち、歴史認識を持って集団とは違う動きをすることが重要だ。
 自分の属する映画監督協会などは安倍政治へ批判する人がほとんどだが、これは戦争などの現場を見てきている経験があるからだ。ほとんどの国民は現場へ行っていないし、見ていないから支持してしまう。

青井未帆氏:
 とりま改憲(とりあえず改憲してみる)という雰囲気があり、危惧している。これには正面から戦いを挑まないといけない。個人の尊厳を規定した憲法13条や24条の意義を再確認しないといけない。また、安保法制は明確に違憲ということ事実を言い続けていく必要がある。

三浦まり氏:
 大学で「SEALDsのスピーチを聞いた?」と学生に問うと、反応がないのにビックリした。嫌なことを忘れようという雰囲気(安全神話?)があるようだ。雑誌「エコノミスト」で昨年、日本は民主主義の20位までのランクインから外れて23位まで後退してしまった。
 現在、すがりつくものは「国家」と「家族」と思われてきている。安倍内閣の支持率は女性では低い、むしろ群れた男性が支持している!

諏訪原健氏:
 安倍政権は高齢者に3万円を給付し、「消費が活発だから」と言っているが、本来なら若者への長期的な投資があってしかるべき。与党には長期的なビジョンがない。私たちこそこの長期的ビジョンを持たないといけない。この7月の選挙には「本気で勝つ」と言って取り組んでいかないといけない。ただ、その結果に一喜一憂してもいけない。やはりその先の社会の有り様を描いていく必要がある。

山口二郎氏:
 現在は嫌な時代であることは確かだが、この政権も必ず変わっていく(衰退する)という確信を持ってやっていきたい。

中野晃一氏:
 これからはどのようなシナリオでも対応していかないといけない。参院選前に安倍政権が退陣することもあるし、衆参同日選挙もありえる。市民連合へいろいろ動いてほしいとの声も聞くが、まずはその存在自体に意義があると思っている。市民の意見を国政選挙へ、国会へ反映させるように取り組んでいきたい。



<S.Hさんより>

 金子兜太さんからは、俳人らしく短いながらも「野党はがんばれ」と力強い言葉。
 柄谷行人さんの講演は、心理学も交えて難解ながら、憲法9条は日本人の集団的無意識(もしくは、“空気”・“文化”というべきもの)に守られているので、明文改憲は難しい。警戒すべきは、文章を変えないまま中身を変える“解釈改憲”。
 山口二郎氏コーディネーター、パネリスト 青井美帆氏、三浦まり氏、森達也氏、諏訪原健氏のディスカッションは、多くの論点がありましたが、これを聴いて私が考えたことを一つ。
 なぜ、多くの若者(若者だけではないが)に、運動が広がらないのか?この政権は、平気で事実と違うことを発言するようだが、“政府は正しい”と信じたいからではないか。もし“政府が正しい”と信じられないなら、政府が言うことが事実かそうでないかを調べる面倒くさい作業が必要になる。
 このような講演や国会前に来てみれば、「実は政府は正しくないのではないか?」という問題意識を持たざるを得ない。だから、運動に参加しようとしないのではないか。
 しかし、その結果、政府が誤った政策を取り、もし身体・生命、財産に甚大な損害を負っても「受忍セヨ」で済まされるのは我々国民なのだ。先の戦争のように。