「生協だれでも9条ネットワーク」

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【寄稿】「6・19国会前行動に参加して--60年安保の6・19」(斎藤嘉璋)

2018-06-26 19:09:09 | みんなの声

<管理人より>
 斎藤嘉璋さんよりご寄稿いただきました。以下にご紹介いたします。
【寄稿】「6・19国会前行動に参加して--60年安保の6・19」(斎藤嘉璋)
 6月19日の国会前集会に参加して1960年6月19日の改定安保条約が参議院で自然成立した日のことを思い出していた。もう58年も前のことなので、そのことを書いてもあまり意味がないかなと躊躇したが、その時の首相は安倍首相が敬愛している祖父の岸であり、首相は祖父からいろいろ聞いて勉強しているといわれているので、皆さんも関心があるのではと考え書くことにしました。

 日米安保条約の改定案は60年5月19日夜、採決に反対する3万の人々に囲まれる衆議院で岸は座り込んで抵抗する野党議員を500人の警察官を導入して実力排除し、自民党単独で強行採決した。前年4月からはじまった安保阻止国民会議の取り組みは大きく広がっていたが、この日を契機に運動は安保反対から「民主主義擁護」運動としてさらに広がった。戦争法等に反対する取り組みが「モリ・カケ」と政治・行政のうそや改ざんで民主主義をめぐる問題に発展したと似た展開であった。総評などの労組のストを含む国民会議の統一行動は6月4日、15日と一気に高揚した。4日の国労の抗議ストは全国で始発から2時間電車を止め、整然と成功し、統一行動参加者は580万人と国民各層に大きく広がった。運動のクライマックスとなった15日も同様の規模で取り組まれたが、国会への請願デモには右翼がこん棒と日本刀を振りかざして乱入、多くの負傷者を出し、全学連と機動隊の衝突では東大の女子学生・樺さんが死亡する事態となった。

 学生だった私は大学生協連東京地連の行動責任者として参加しており、右翼がトラックでデモ隊に突入し、生協関係者にも2人のけが人が出るといった事態に対応したのでこの日のことは忘れられない。岸は自衛隊の治安出動を計画したが赤城防衛大臣が拒否したので、右翼団体等に働きかけて警察力を補強するといった策動をした結果であり、一人の死亡者と1000人を超したといわれる負傷者を出した。一方、参議院は休会として、改定安保は審議無しの自然成立をねらった。

 このような中で迎えた6月19日、国会周辺は大勢の人々に取り囲まれたが、改定安保は自然成立となった。しかし、5・19の強行採決以降の国民の怒りと国民会議の統一行動は予定されていたアイゼンハワー大統領の訪日を中止させ、岸は改定安保の成立をもって退陣することになった。


 2018年の6月19日、「安倍やめろ」の声はこれまでになく高まっていた。しかし、祖父の岸以上に厚顔な安倍は、辞めるどころか会期を延長して残業ゼロ法案やカジノ法案を成立させようとしている。60年安保闘争では岸をやめさせることはできたし、国民会議には現在と違い労働組合の参加と力強い行動があったが、安保闘争の後の日本の政治に大きな変革を与えるものではなかった。最近亡くなった日高六郎など安保闘争に関わった文化人は当時「日本の民主主義はまだまだ定着していない」と嘆いて、それが民主勢力の課題だと指摘したが、私もそのような自覚が国民のなかに広まることを安保闘争の成果として期待した。この国民的運動として高揚した安保闘争は韓国の学生などに影響を与え、韓国民の運動は李承晩を退陣させることとなった。

 しかし、いま日本の国民の多くの意識と行動に民主主義は十分定着しているとは言えないのではないかと思われる。この間の総がかり行動実行委員会などの取り組みは安保阻止国民会議のように労働者のストを組織するような力はない(共同組織のせいではなく労組の弱体化のせいだが)し、当時、各地に2000といわれる共闘組織が作られたが、そのような広がりも十分ではない。韓国の仲間からはキャンドル革命を学べと励まされているが、国民の連帯感はよわい、などあまり元気が出ない内容が多い。

 60年安保のころと比べ、今、元気が出ることは何であろうか。それは「市民と野党の共同」が前進していることではないかと考える。60年安保の折の国民会議は幅広い国民各層の共同組織であったが、政党間の共同連帯が選挙戦で期待できるような状況にはならなかった。学生や文化人のなかでは「挫折」や「敗北」が語られ、政治は岸に変わった自民党政権の安定政権となった。しかし、今は先の新潟県知事選等でも実践されているように「市民と野党の共同」が現実化している。

 日本社会の民主主義の遅れは、特に政治の分野でひどい。安倍の祖父は岸という戦犯と目された古い政治家であり、麻生の祖父も吉田総理であり、自民の有力者は殆んどが保守政治家の二世,三世である。かれらは特殊社会に育っており、庶民的感覚や人間的倫理観が欠落しており、平和や民主主義が体質に合わない人々のようである。このような政治を変えることが半世紀たった今も最大の課題である。

 この間の取り組みの中で「立憲」や「人権と民主主義」がキーワードとして国民の中に広がっていることを生かし、「市民と野党の共同」で政治を変えることができるのではないか、それが60年安保闘争では生かされなかった教訓になるのではないかと考える。
そんなことを考えながら次の19日も(可能なら他の行動日も)参加を続けるつもりです。

(蛇足=このブログはアクセスが5万件を超えたようですが、「生協だれでも9条ネットワーク」の皆さんの投稿記事をあまり見かけません。皆さんもいろいろな感想や取り組みなど投稿されることを期待いたします。)

※冒頭の写真は、管理人撮影分です。


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