備忘録

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『ベッジ・パードン』

2011-06-14 21:59:35 | 国内ストプレ
夏目漱石の留学先の話。
対人恐怖症になり、日本人である事の差別に苦しむ現状までが一幕。二幕では、銀行強盗に加担するベッジの弟を助ける。(特に必要ない場面だが、コメディ要素追加?筋書き的には金に困っていることの裏付けに)
そんなある日、飼い犬が死んだことで、大家夫婦が離婚。家を追い出されることになり、漱石と惣太郎は荷造りを。妻と別れ、ベッジと暮らす事を決意する漱石だが、漱石の持つ"ユーモアのセンス"に嫉妬していた惣太郎が漱石の妻の手紙を隠し持っていたことが発覚。その手紙を真剣に読んでいる漱石を見て黙って出ていくベッジ。
しばらく、引きこもり状態に陥った漱石に、ベッジの最後を語る惣太郎。そこにベッジの亡霊が部屋を片付けにやってきて、作家になることを薦め、去る。そして、漱石は机に向かい幕。


野村。一幕は『私は~します』という、英語を直訳した日本語を話す設定(英語会話に慣れていなく、文法に沿った英語を話しているため)。その話し方が大変、聞き取りやすく、何時もの鼻にかかった話し方でないのでかなり好みな話し方。一度、日本語を話すシーンがあるが、そこは何時もの話し方になり、やはり苦手。二幕も文法に沿った日本語設定は変わらないので気にならず。
基本的に、時代劇口調は気にならないが、萬斎の現代の口調がどうも好みでない。
最後、ベッジの亡霊が残していった扇子を見つけ、喜びの表情になり、肖像画でよく見る顎に手をかけ、思考中のポーズに。これが妙に様になる。

深津。ずっと、訛りのある話し方。そのため、"深津"という個が見えないので、役として観れる。時折、映像で聞き覚えのある、あの"訴えかける"話し方に。実際、英語を話すシーンがあるが、その時の訛りが凄い。
亡霊になって部屋を去る時の最後の一言だけ、訛りの無い普通の話し方をするシーンがかなり印象的。というか、あのシーンはかなり良い。

大泉。冒頭から、鏡を気にするマイムで必要以上に観客を引きつける演技。そして、予想通りな設定。あまりにそのままなので、二幕に期待。途中、"惣太郎が居ることで、英語が上手く喋れない漱石"という設定を楽しむ?日本語になると津軽弁に。二幕では嫉妬からくる悪人路線に。その二面性を含めても予想通りな設定。

浦井。一番、裏切られた設定。粗野な性格で脱王子?"ロンドン橋落ちた"を朗々と歌い上げるのは範疇内だが、終始、ベッジが歌っていた童歌も歌い上げたのはビックリ。ナニゲにこの手の若手でストレートにハズれがない役者かも。ヘンリー六世も悪くなかったし。

浅野。浅野氏だから出来る役。途中『全て同じ顔に見える』という漱石の台詞があるが、実際、全て浅野が演じている。一度、登場時に階段で転けたがワザと?その時に異常に振り返っていたので、普通にコケたか?



今年、三本目の三谷作品だが、三連続で当たり。
コメディ要素が強いため、見ていて飽きない。震災後に書いたため、設定を変えたというが、それが自分に吉。また、このあとにもあげるが、コテコテな展開が観ていて面白い。
勿論、ドロドロなケラ的精神世界系も観てみたかったが。
途中、大家夫婦が別れるシーンがあるが、あそこを観た全ての人が、リアルな三谷・小林夫婦の離婚原因とオーバーラップすると思う。そこまで、狙った演出ならかなり凄い。

"惣太郎が居ると、上手く英語が話せない"という漱石の弱み。それを惣太郎が利用していたという、ドンデン返し的に登場する伏線だが、あからさまでわかりやすかったが、それが逆によい。

夢の話ということで、やたら"こんな夢を見た"が登場。この辺は最初に書こうとしていたモチーフが生かされているのかも。同じ"吾が輩も~"も犬だが、出てくる。そのあざとさが気持ちよい。

窓のマイムが出てくるが、途中、窓が降りてきて、これと繋がるのかと思い知らされる。

日本語と英語を話す設定の切り替え。ありきたりだが、これもツボ。

幕が昔のロンドン地図で住まいは赤ランプで表示。

途中、挿入歌的に『マイフェアレディ』の楽曲が。言葉が訛っているということでこの楽曲を使用している?

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