佐渡歴史:写真撮影:2011.05.05
佐渡の国分寺跡から紹介します。
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すでに創建当時のものは無く、礎石だけが残っています。天平十三(741)年。時の天皇聖武さんが国分寺建立の詔を出して、諸国に国分寺と国分尼寺を建てさせています。佐渡は島ではありますが律令では一国となっていますので、国分寺が建てられたのです。
ここは観光名所とは言えないのですが、隣接する土地に現在の国分寺があります。今回は三~四回のシリーズで国分寺の風景をご覧いただこうと思います。なお、下の説明は国分寺跡の説明書きを書き写してきたものです。
史跡 佐渡国分寺跡
史跡指定 昭和四年十二月十七日
所在地 新潟県佐渡郡真野町大字国分寺字京ケ峰二八七番地ノ一
管理団体 真野町
国分寺は、天平十三年(741)の聖武天皇の詔にもとづき諸国に置かれた官寺で佐渡国分寺もその一つであるが、創建の時期は明らかでない。広い境内の正面に南門があり、その北に中門金堂が一列に並び金堂と中門を廻廊が結んでいた。
中央の金堂はもと本尊仏を、安置したところで、基壇上にのこる礎石の状態から、東西十七.九㍍、南北十三.三㍍の壮大な建物であった推定される。金堂の東方には、塔が建立された。なお、金堂の東に建物跡が遺存しているが、創建当初のものではないかと見られている。当時の国分寺の堂塔の遺構が、全体的に良く残っているところは珍しく、奈良時代の文化の一面を伝える貴重な史跡である。
Photo-02 現在の国分寺の山門です。
Photo-03 瑠璃堂です。
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写真撮影:2011.05.05
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2011年 地理の部屋と佐渡島 sadorekisi
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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国分寺跡は小学校のとき、遠足で一度行っただけで記憶にありません。
生家から近い所にありながら大人になっても寄ったことがありません。
国分寺があるのですね。 今度の帰省で金剛力士像と出合ってきます。
そういえば、千葉県にもいくつかあります。
その当時の権力は強かったのですね。平成の世とずいぶん違います(笑い)。
当時、国分寺はたくさん作られたようですね~
立派な茅葺きの屋根がしっとりとした趣ですね。
金剛力士像も素晴らしいです。
山門も風情があってばらしいですね。
元の国分寺も立派なお寺だったのでしょうね。
私の家の近くにある備中国分寺は、五重塔だけが面影を留めています。
西国32番・観音正寺にお付き合い頂き、有り難うございました。
全国に創られた国分寺が佐渡に有るとは知りませんでした。
金剛力士像が素敵ですね~!
立派な国分寺が残っているのですね。
国分寺、シリーズを楽しみにしています。
*
迫力満点の金剛力士像
見開いた目
かざした手から
エネルギーが伝わってきますね。
茅葺屋根も
日本昔話の世界のような
とても癒しの空間です。
シリーズ楽しみに
拝読させていただきますので
どうかお元気で頑張ってくださいね
金剛力士像の逞しさに惹かれました。
ゆっくりと訪れてみたい感じです。
四国88か所、各県にも国分寺がありますが、
このような静かなたたずまいではありません。
歴史を感じました。
当地というか隣の市に安芸国分寺跡があります。
聖武天皇が国分寺建立の詔そのものが現存せず、二次的に編纂された歴史書「続日本紀」や法律書「類聚三代格」に収められて伝わっているので、国分寺の建立時期についての論争があるということを知ったりしました。
http://yutaka901.fc2web.com/page9zz61b.html
地理佐渡管理人さんのこれからの佐渡国分寺跡の記事を楽しみにしています。
風格のある像ですね、お座布団を♪