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地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

10.23新潟県中越地震196 「新しい諸久商店」

2005年11月10日 06時42分18秒 | 新潟県中越地震


 11月5日の半蔵金訪問で嬉しいことがあった。諸久商店が新築の店舗に
移っていたのだ。昨年の震災以来、写真の建物での仮店舗での営業を続け
ていたのだが、店の人の話では、10月末か11月始めに新しい店舗の方へ移
ることになったとのこと。以前店に行った時の店番はおばあちゃんであっ
たが、今日はおじさん(?)であった。もしかしたらご主人だったかも知
れぬが、聞いたところではそうであるという。

 この取材の日は昼も食べずに家を出たので、現地での昼食を決め込んで
いた。さっそく新装なった店舗に入り、92円のコッペパンを二つ購入。店
先の自動販売機で暖かい缶コーヒーもついでに買い、紅葉の美しい適当な
場所を探してゆっくり。陽気に誘われ、食後少しの昼寝。 車中でのこと
だったが、ほのぼのとした気分で一時を過ごせた。

 半蔵金地区では、あちこちで急ピッチの復旧工事が進められている。そ
んな中、冬を迎える前に店の新装がかなったことは喜ぶべきだが、山村の
小さな店舗である。この先、店がどうなっていくのかを少し心配した。


10月11日の諸久商店界隈

11月5日の諸久商店(店は今こちらへ)



<写真撮影:2005.10.11、11.05> 2005年 地理の部屋と佐渡島

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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確実に (思ったこと(管理人))
2005-11-10 23:35:48
管理人様 今晩は



確実に明るい方向へ進んでいますね

全体の数パーセントかもしれませんが

明るい兆しです
返信する
なくてはならない「かん大工」 (ギンネムHitoshi)
2005-11-10 23:56:57
諸久商店は誰も「諸久商店」とは言わず「かんだいく」と言う。昔はきっと大工さんだったのだろう。子供のころ学校周辺には農協を含めると5軒の店があった。仮店舗は昔農協だった建物だ。過疎と高齢化の村で、かん大工はなくてはならない存在だ。唯一の店であると同時に、宅配便や品物の配達から家や水道の修理までやってくれる。震災の前は、一人暮らしの私の母もずいぶん世話になっていたようだ。

かんだいく! がんばってくれ!
返信する
Re.確実に (かんりにん)
2005-11-11 05:53:01
思ったこと(管理人)様 おはようございます。



おっしゃるとおり、確実に進んでいます。

歩みは決して早くはありませんが、

復旧が進んでいる事は確かです。

息の長い取り組みになるのだ、と言うことを

むしろ外野の私のようなものの方が、認識し

た方がよいのかも知れません。



店番をしていた親父さんなんか、のんびりし

ていました。
返信する
Re.なくてはならない「かん大工」 (かんりにん)
2005-11-11 06:00:53
ギンネムHitoshi様 おはようございます。



かん大工という呼称。初めて聞きました。

やはり地元関係者にはかないません。

お店が以前の仮の場所から元へ戻ったよう

ですね。暖かい頃は土台工事、そしてしだ

いに柱が立ちと、少しずつ家の全貌が見え

ていったものの、店になるのかどうかはわ

かりませんでした。



先の半蔵金訪問で、新装開店となったこと

は、外部の人間からしても実に嬉しいもの

です。これからも半蔵金を見続けたいし、

半蔵金に訪れる際にはかん大工によりたい

と思っています。



しかし、半蔵金地区は今あちこちで大きな

工事をしていますが、斜面に崩れたままの

お宅がまだ残っていますし、神社の大杉、

そしてあのケヤキすら切られてしまいまし

た。人ごとながら、ずいぶんたくさんのも

のを失っているなと感じています。



今しばらくは、被災地からの報告は半蔵金

地区からのものになりそうです。また地元

民ならではのコメントやご指摘をいただき

たいものと思っています。

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