半蔵金地区にある村の諏訪神社。震災によって境内の大杉を
失った。一方崩れた神社への階段上には、それでも大きなケヤ
キの木が残っていたが、10月11日(2005)に訪れた際
にはもうそれもなくなっていた。
紹介の写真は11月5日撮影のものだが、ご覧のように寂し
い写真となった。なかなかの大木であったので、崩れそうな斜
面上にある大ケヤキはやはり危険であったのだろう。無くなっ
たものはし . . . 本文を読む
11月5日の半蔵金訪問で嬉しいことがあった。諸久商店が新築の店舗に
移っていたのだ。昨年の震災以来、写真の建物での仮店舗での営業を続け
ていたのだが、店の人の話では、10月末か11月始めに新しい店舗の方へ移
ることになったとのこと。以前店に行った時の店番はおばあちゃんであっ
たが、今日はおじさん(?)であった。もしかしたらご主人だったかも知
れぬが、聞いたところではそうであるという。
こ . . . 本文を読む
11月5日の取材で半蔵金に向かう途中の風景を紹介しよう。山里の秋と題してみると、さぞかし美しい紅葉をと思われるが、思いの外くすんだ紅葉のように見える。やはり、さらに山間部に入り、朝晩の寒暖の差がより大きいところでないと紅葉の発色もそれなりになるのか。
そんなことを考えながらも、車窓からは山里の秋の風情を楽しむことができる。風景は自然の美だけで感銘を受けることもあるが、そこに人の営みが加わっ . . . 本文を読む
半蔵金地区中心部に商店がある。記憶が不確かだが、震災によって道路反対側からこちらへ移動してきたものと思う。地元の方など詳細がわかる人がいたらお教えいただきたい。
今夏、仲間と連れだって半蔵金に入った時、みんなで店に立ち寄りアイスやら昼用のパンなどを買った。付近を歩いた後なのでとてもうまかった。
店番をしていたおばあちゃん。震災直後はさぞかし心細かったことと思うが、村に欠かせないこの店 . . . 本文を読む
昨日は「癒えぬ傷跡」と題した記事。そして本日は「傷の手当て」。中にはこの様なところもあるということを紹介。写真撮影したポイントから距離があるので詳しいことはわからないが、パックリと開いた傷口全面にガーゼが置かれた状態のようだ。
この後の治療がいかなるものなのかを見届けられないのが残念。取材した時から考えるとすでに三週間ほど経過している。この傷口がきれいになるのは来春か、その次の春か..? . . . 本文を読む
震災一年後を迎える直前にあっても、半蔵金の山々が受けた傷は癒えていない。山間部にあって山肌を覆っていた緑を失うということは、景観上の問題だけではない。田畑や道路をはじめ、生活の場を失う危険にもつながる。
復旧工事の際に優先されるのは、まずは生活に直結する建築物や、道路をはじめとするライフラインと生産の場である田畑など。だが、忘れてはいけないのがむき出しのままの地肌である。ちょっとした雨でも . . . 本文を読む
震災後のままなのだろうか。傾いたまま使われていそうな電信柱。この様な光景は震災直後にはあちこちで見受けられた。未だに傾いているかなというようなものを町中でも見られるが、今ではここまで傾いている電柱はさすがに少なくなった。傾いているというより、この電柱については棚田に寄っかかっていると言った方がより正確である。
確かめたわけではないが、なにやら通電しているような気がする。このままで良いものか? . . . 本文を読む
▲写真①
二枚とも半蔵金地区への道端のもの。撮影は10月11日(2005)。あちこちの道路が修復されつつある中でも、取り残されたような現場はまだまだある。この二枚は、写真からだとわかりにくいけれども、そのままでは危ない状況である。
▲写真②
時になんとかすれ違いができる程度。たまに片側交互通行。栃尾市街から半蔵金へ向かう道を . . . 本文を読む
▲写真① 崩れた農道を修復中
半蔵金地区の水田は震災によって大きな被害を受けた。現在、着実に田の修復が進んでいるようだが、心配なことがある。修復にかかる費用の負担である。この地は一級の山間部。高齢化も進んでいる地区にあって、修復にかかる費用を負担するだけの収入が確保されるのだろうかということ。田を守る高齢者の皆さんにその負担が重くのしかかっているのではと懸念する。棚田も山の . . . 本文を読む
10月11日(2005)の半蔵金取材の折、森上地区の南部神社で一旦停車した。下記の記事で震災後鳥居などがどのような状態であったか、今回の写真と過去の写真で比較していただきたい。
よく見ると鳥居の一部はどうも新しい。そして南部山とある左手の石碑はきちんと元の位置へおさまっている。あの時は倒れて前方へ落ちていたのだが..。
10.23新潟県中越地震83「森上の南部神社」 2004年12月2 . . . 本文を読む
写真は国道17号。小千谷市から川口町へ入ってすぐの天納付近だったと思う。ここは、JR上越線と国道17号が地上を平行して通るところ。震災直後は国道の路肩から下の線路付近も含め斜面が崩れ落ちた。おかげで、一時国道は大きく迂回、上越線も不通となってしまった場所。
今はすっかり復旧している。現在歩道等工事中の所があるものの、ずいぶん快適になった。今後も作業が続くことであろうが、あの時は大変な現場 . . . 本文を読む
今朝あわただしく職場へ行き、急ぎの仕事を一つ。その後、とって返し、妙見の崖崩落現場へ急行。今日は小千谷市総合体育館で一周年の式典があると聞く。ここ妙見の崖崩落現場においても追悼の式典があると聞くが、朝早いせいか何事も無いようにひっそりとしている。
今後、ここを通っていた道路の復旧工事もはじまろうが、どのようになっていくのか..? あれから一年後の現場はご覧のとおりである。亡くなられた方々 . . . 本文を読む
震度7。先の震災で最も揺れの大きい数値の出た川口町。当然大きな被害が出たが、震災直後の支援の拠点の一つとなった場所が特別養護老人ホーム・あおりの里前である。
▲写真①(2004.11.20)
▲写真②(2004.11.20)
写真①と②は震災から約一月後の2004年11月20日撮影のものである。震災後一月近く経っているとはいえ、まだ . . . 本文を読む
先日までは6月撮影のものと、9月撮影のものとを紹介してきた。
今回は9月19日撮影のものから一枚紹介した。
小高集落のメインストリートを奥へ進んでいくと、谷間の川に沿
う道づたいにあちこち崩れた斜面と、被災している家屋を望むこと
になる。いたずらに被災している家屋ばかりを撮影していくわけに
もいかぬので、極力色々な風景を写真に収めようとしてきた。
ご覧の写真は中心の崖崩れを撮影したも . . . 本文を読む
いよいよ小高地区へ入った。心苦しい現場が多い。
▲写真① 6月19日撮影。傷ましい姿である。
▲写真② 9月19日撮影。よく見ると..。
▲写真③ 9月19日撮影。これはカラーだとよくわかるのだが..。
▲写真④ 9月19日撮影。今は使われなくなったバス停。
あえて掲載に踏み切るが、関係 . . . 本文を読む