適度は運動は確かに「健康」のためには必要でしょう。
しかし、過度の運動は害になることはあっても益になることはないといっていいと表います。
スポーツ医学が発達した現代においてさえ、スポーツ選手の「健康」管理は容易ではないのです。
選手の「健康」を考えてドーピング規定があるというのは判りますが、スポーツ競技そのものが「健康」を疎外するものであるなら、ドーピング規定の基本原理に挙げられている「健康」とは一体何を意味するものなのしょう?
通常、私たちは適度な運動をし、栄養補助としてのサプリメントを服用し、疲労回復のために栄養ドリンクを飲む。
そしてこれを「健康」のためと称している。そして実際に長生きしているのです。少なくともスポーツ選手よりは・・・
一般人とは比べ物にならない運動量をこなし、命を削って競技をしている選手の真の「健康」を考えるなら、WADAやIOCは他にすることが沢山あるのではないでしょうか?
「ドーピング=悪」と考えるのは簡単です。
ところが一口にドーピングといっても一般の風邪薬に含まれている利尿剤から、高度な遺伝子ドーピングまで非常に幅が広いのが実状なのです。
特にオリンピック競技種目にないゴルフなどはドーピング規定さえないといいます。日本の相撲も同様です。
オリンピックにプロ選手が参加できるようになったことで、競技の迫力や楽しみが増したことは確かです。
しかし、その半面、アマチュアとプロのドーピングに関する取り組み方の違いも鮮明になっていることも確かなのです。
WADAのドーピング基準を全てのプロスポーツに適用したらどうなるか?考えただけで恐ろしい!!
確かに薬物や医学的な処理によって選手の運動能力を高めることには異論があるのは当然です。
それはあくまでも選手の生命に関わる危険がある場合でのことです。
あくまでも自然を重視するなら科学的トレーニング器機などの使用も禁じるべきではないのでしょうか?
しかし、そんなことは誰も考えてはいないはずです。