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自転車をこよなく愛し、自分の脚と熱いハートで幾つになっても、可能な限り、どこまでも走り続けます~♪

オリンピックを考える(1)

2024-07-27 12:14:37 | スポーツ
 パリオリンピックが幕を開けました。パリでの開催は1924年以来100年ぶり3回目で、冬季大会を含めればフランスでの開催は1992年アルベールビルオリンピック以来32年ぶり6回目となります。オリンピックのベテランともいえるフランス人が新時代に入った大会をどのように運営するのかに注目していましたが、開会式を競技場の外、しかもセーヌ河の上で行うというのです。おそらくコロナ禍を想定して計画されたものなのかもしれません。
 聖火がどこで点火されるのか、最終聖火ランナーは誰なのかを明かさないまま当日を迎え、映像と実像を織り交ぜた演出で選手たちが船に乗って登場。雨の降る中、選手もパフォーマーもずぶ濡れ。芸術の都パリならでは演出は素晴らしいものがありました。フランス国旗に込められた、自由・平等・博愛をテーマにしたパフォーマンスを織り交ぜながら、各国の選手たちが登場。パリの街並みを背景に進んでゆく船。国旗を振りながら喜びを露わにする選手達。素晴らしいしショーを見ているようでした。

 ただ、近年のオリンピックは商業化が顕著となり、小さなオリンピック、お金をかけないオリンピックを掲げた東京オリンピックも終わってみれば2兆・3兆という規模になっていて、その利権を巡る汚職が摘発される事態になっているのです。そんな汚れを雨が洗い流しているように感じられました。
 今回のパリオリンピックはパリの街中に会場を集中させ、新規の施設の建設は全体のわずか5%で、既存の建物や仮設で行われると言われています。フランスではテロ警備の関係で会場を点在させられないというお国事情もあるのですが、実際に警備がパリに集中させた結果TGVで設備破壊が起きているのも事実なのです。
 ウクライナやパレスチナで戦争が行われている中でのオリンピックで、マクロン大統領はロシアの国旗は掲げさせないと発言していましたが、イスラエルは国旗を掲げ堂々と参加しているのは何故でしょう。オリンピックは政治とは切り離されているとはいえ、平和の祭典と呼ばれている以上、戦争当事国の参加はいかがなものかという意見があるのは理解していますが、むしろ当事者同士が武器ではなく、競技で戦う舞台であって欲しいと私は思っています。
 こうした華やかな舞台の裏でより霞んでしまっていますが、ウクライナやパレスチナでは悲惨な戦争が今も続いているのです。もはや戦争とは呼べないような、大国が小国を力づくで攻めるという状況が…オリンピックは戦争という悲劇を忘れさせるものではなく、戦争を無くすために私たちがどうする、どうあるべきなのかを考える4年に一度のチャンスなのかもしれません。

 100年振りとなるパリでのオリンピック。近代オリンピックの祖とされるクーベルタン伯爵の母国で行われる意味。最後に五輪旗を纏いセーヌ河を疾走するメタルホースが印象的でした。まさに自由の象徴ジャンヌダルクでした。それが陸地で白馬に乗る鎧の騎士に切り替わり、五輪旗をエッフェル塔の下へと運びます。五輪旗が掲げられ、開会宣言が終わり、いよいよ聖火の点灯となります。
 その舞台に現れたのがスーツ姿のサッカー選手のジダン、謎のパフォーマーから聖火を受け取ると、テニスプレイヤーのナダルへと手渡されます。目を奪われたのはエッフェル塔のライトアップでした。100年以上も昔の建造物をライティングによって近未来的な建造物に見せた素晴らしい演出でした。日本では電波塔として高さが足りなくなると、東京スカイツリーを新しく作ってしまいますが、フランスは歴史的建造物に新たな価値を見出しているように見えました。

 東京オリンピックもそうでしたが、日本は箱モノを作るのが大好きで、メインスタジアムの国立競技場(1964年の東京五輪の会場)を建て替えてしまうのです。地震の無いフランスと地震大国日本では建造物の耐久年数が違いますから、一概には比較できないのですが、パリオリンピックと比べるともっと費用を抑えることが出来たはずだと思ってしまうのは私だけではないでしょう。

 一旦、エッフェル塔に到着した聖火ですが、ボートに乗ったオリンピアンたちによってセーヌ河を戻って行きます。フランスのオリンピアン達の手から手へと手渡された聖火は、やがてルーブル美術館の前を通り、カルーゼル凱旋門をくぐり、大きな気球状の物体の前に到着します。そこに聖火が点火されると、気球が上空へと上がって行くのでした。空に舞う聖火は斬新でした。

 宙に浮く聖火の向こうでは近未来的な光を放つエッフェル塔が映し出され、愛の讃歌が流れ始めます。歌声はセリーヌ・ディオンでした。2022年12月に神経性の難病「スティッフパーソン症候群」と診断され、表舞台から姿を消していたセリーヌが復活の舞台に選んだのがここでした。苦難からの克服の象徴としてのセリーヌ・ディオンの歌声には涙が溢れそうになりました。この歌声は世界中に届けられ、戦争や病に傷ついている人々へのエールとなることを祈らずにはいられませんでした。
 オリンピックの開会式をここまで真剣に観たことはありません。本来ならロードバイクで走りに出ているはずなのですが、ツール・ド・フランス観戦と熱帯夜が重なっての寝不足で、身体の奥にずっしりとした疲れがあり、走るのを躊躇い、たまたま点けたTVで流れていた開会式に目が止まり、そのまま最後まで見続けていたのです。
 大学の専攻がフランス文学ということもあり、フランスは好きな国のひとつです。そのフランスを舞台に繰り広げられた世界最大のサイクル・ロードレースのツール・ド・フランスに続き、今度は世界最大のスポーツイベントのオリンピックと私の寝不足の日数はまだまだ増えて行きそうです。
 




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