四万十川レコード 公式ブログ

四万十と言う小さな町に生まれ、思春期に音楽に目覚めそして今も、長い長い音楽の旅をしています。

新宿

2013-08-26 18:06:08 | コラム
人が年を取るように街もまた年をとって行く。
その昔の浅草、銀座を経て僕等の世代の若者の街は新宿だった。

新宿フォークゲリラと言う言葉を聞いた事がある。
唐十郎の新宿花園神社での紅テント芝居公演の伝説は
話に聞いただけだ。

僕が歌舞伎町のツバキハウスで一晩中踊って
明け方の新宿をうろついていた頃には
花園神社の境内にいるのは行き場を失くした浮浪者達だった。

インディーズバンドの伝説が始まったのも新宿からだ。
ラフィン・ノーズ、ウイラード、有頂天…
日本のロックシーンを切り開いたバンド達。

初めて僕が入った音楽業界の仕事は「新宿ルイード」だった。
ライブが終わった後で2丁目のゲイバーで朝まで飲んでた。
伝説のライブハウス…
その最後の日にも僕はそこにいた、新宿3丁目に。




初めて自分の城を築いたのも新宿だった。
新宿の西口公園のすぐ近く。

事務所開きの日にワンルームマンションじゃ人が入り切らないので
仕出しの料理を西口公園の地べたに広げた。
天下のソニーレコードの本部長に地べたに広げた料理を食べさせたと
不名誉な?伝説になったっけ(笑)

まぁ確かにそうだろうな。
そこから10メートル程離れた場所には撤去される前の
ブルーテントで作られた浮浪者達の住居群があったのだから(笑)

でもディレクターの今野さんからは褒められたっけ…
「後にも先にも稲垣さんに地べたに広げた料理を振舞ったのは宮崎さんだけです」と。
稲垣さんもワーナーミュージックの社長、会長を経てもう引退されたそうだ。

田舎者で常識がなかった?訳ではないな。
確信犯だもん(笑)
「事務所が狭いからここですいません!!」って失礼だったとは思うけど。




ホンヤミカコのストリート演奏を初めて見たのも新宿だった。

小田急のエレベーター前で夜の10時に彼女は演奏していた。
酔客もいたしおまわりさんに排除されたりもしたらしい。
でもその売上だけであの頃のあの子は食ってたんだよな…

20年ぶりにタッグを組む事になって京王プラザのラウンジで飲んだ帰り道。
少しご機嫌になった彼女は「ここですよ~っ!」って
小田急デパートのエレベーター前に立ったっけ(笑)

そう言えば別れた奥さんとの結婚式の夜は
「ハイアット リージェンシー 東京」を奮発したな…
初めてベッドに座ったままの朝食をして
なんかすげぇな!ってふたりして驚いた(笑)

良い年こいてバイクですっ飛んで左足のつけ根の
骨頭を折った時に大学病院で同じ様な食事をした。
スタイルは同じでも随分と違うじゃんとひとり苦笑いをした。




毎日のワイドショーで騒いでいるあの場所は
僕の事務所に向かう通り道にあったビルだ。
あの人のはじまりも「新宿」を絡めた歌詞だったらしい。

色んな事を色んな人達が言っているけれど、まぁどうでも良いだろう。
彼等にとってはニュースのネタでしかないのだと思うし。

人を信じられない病?

多分あの人は未来を信じられなかったんじゃないか?
それは自分をも信じられないって事だろう。

「もっと生きて欲しかった」って言うけど
生きてたって無関心だった人達なのにね。

あの街の景色は…
ニューヨークと似ている。
摩天楼と虚栄と貧困。

ボストンバックに現金を詰めて何を見たくて
世界中を廻っていたんだろう?




ゴールデン街でクダをまいた人達の話は知っている。
すえ臭い狭い道は昼間見たらわびしくて薄汚れてた。

そこをすり抜けて日清のパワーステーションでライブをする為に
何度か通った。

昔の文化の名残の先に新しい文化が生まれていたけれど
それも遠い昔になってしまった。

新宿と言う街に想い出が転がっている。

何かを捜して夢見てた。
そして少しの間だけ夢を叶えた街。
それが僕の新宿だ…

ちなみに最近、新宿ライオンの少し先に
とっても安くて美味しい焼肉屋を見つけました。
四万十川の手無冠(むてむか) 栗焼酎ダバダ火振りもありますよ(笑)


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