四万十川レコード 公式ブログ

四万十と言う小さな町に生まれ、思春期に音楽に目覚めそして今も、長い長い音楽の旅をしています。

あれから…

2016-06-16 00:03:54 | コラム
前回の投稿からはや10ヶ月程経ちましたか…
時の流れは本当に速いですね。
台湾や韓国に行ってよさこい祭りでホンヤさんが踊ったと言う様な事を
前回の投稿では書いてますね…

あれからね、色々な事がありました。
昨年の11月には我々は外務省の依頼で中米3カ国での公演をして来ました。
ニカラグア、パナマ、ドミニカ共和国でのカリブ海巡回公演です。



ただその前に我々はとてもとても辛い経験をしました…
僕とホンヤミカコさんが心より尊敬していた
高知県立龍馬記念館の館長の森健志郎さんが突然に
本当に突然に逝ってしまわれたのです。

胸部動脈瘤の破裂でした…
多分森さん自身も自分が死んだとは思わない死に方です。
本当にあっと言う間に逝かれています。

僕は自分の親父が死んだ時よりも泣きましたし
今でも森さんの死を受け入れる事が出来ません。
本当に本当に僕らには大切な方でした。
だから僕はご家族にお断りしてね
森さんの遺骨の一部を分けて貰いました。
それ程僕は森さんと別れる事が辛かったのです…



上の写真は森健志郎さんがFacebookに投稿された最後の写真です。
夕陽の龍馬記念館…とても綺麗ですね。

森さんは僕らのカリブ海巡回公演をとても喜んでくれました。
「ワシも一緒に行きたいくらいじゃ(笑)」とね
本当に僕らの海外公演を喜んでくれたんです。
だから僕らは森さんが使っていた眼鏡を借りて
森さんと一緒にカリブ海を廻って来ました。

各国では外務省の優秀な書記官の皆様が公演のお膳立てをしてくれました。
それでも言葉や文化の違う国でオカリナの公演演奏をするのは
本当に大変でした。
でもおかげ様でどの国でスタンディングオベーションが起こる程
我々の音楽を喜んで頂けました。



今年の2月に桂浜荘で森健志郎さんとのお別れ会がありあした。
式典の中で我々も、ホンヤミカコさんが森健志郎さん達
シルクロードの会の皆さんと中国に旅行した時に作った曲で
唐夜星々(タンイエシンシン)と言う曲を演奏しました。

森健志郎さんが大好きな曲でしたが
森さんのお葬式では我々は演奏出来る状態ではなかったので
この日にようやく森さんにこの曲を手向ける事が出来ました…



あれから…本当に色々な事がありました。
今でも僕らは森さんが居ない事を受け入れる事が出来ていません。
でももう僕らは二度と森さんの声を聞く事も
笑顔を見る事も出来ないのです…本当に淋しいです。

丁度二年前の今頃に、僕らは高知県に移住して来ました。
龍馬記念館のシェクハンド龍馬像の前で
森さんは満面の笑顔で「よう来たねや。」と言ってくれました…



龍馬記念館にはこの春から新しい館長さんが就任されています。
そして森健志郎さんがお膳立てした新しい龍馬記念館を増設する為に
暫くは龍馬記念館はお休みをする事になります。

少しとげのある言い方になりますが
僕らにとっては森健志郎さんが居てこその龍馬記念館でした。
桂浜荘で森健志郎さんとお別れしてから僕らは
桂浜には行っていません。

龍馬記念館にはもう森さんは居ませんが
あれから毎日僕らは森さんと一緒に暮らしていますかから…

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