久保田さんのプロフィール紹介が随分と遅れてしまいました。
書こう書こうとは思うのですが中々書けません、理由はひとつ。
僕は久保田義雄さんに会った事無いです‥
森秀一さんもじかに話した事はないですがコンサートや音源で声を聴いていたし
顔を覚えていたので何とか書けましたが「南風の久保田さん」は楽曲でしか知りません。
顔を知らない人の紹介をするのがこんなに難しいとは思いませんでした‥
リードギターの一藤(いっとうさん)さんとは高校時代に1、2度あった事があります。
「南風」の曲が好きな事を話して、気に入って頂けたのかギターのピックか何か
貰った記憶があります、一藤さんは中々迫力のある?方でした。
ぶっちゃけ、当時の音楽をやっていた人間は各高校の顔見たいなポジションと言うか
目立った位置にいましたので一般の?学生からは少し離れていたかも知れません。
僕がこのブログを本名で書かないのは業界向けの事ともう一つ「若気の至り」で
少し一般の高校生から離れていた所にいたからです。
当時の僕を知っている人には余り良いイメージがあるとは思えませんので
あえてネットネームで書いています。
そんな僕が南風の皆さんを「恐がっていた」と言うのは僕以上に迫力を感じていたからです。
松田からのデーターによると久保田義雄さんは当時のCBS/SONYのコンテストで
グランプリを取られているそうです。
SONYはまっ、僕のバンド「カステラ」も所属していましたし、発掘の部門SD事業部との関わりは
何回かブログで書きました。
おそらく久保田さんはSD関係のコンテストでグランプリを取られている筈です。
と言うのは当時の、今でもかSONYの発掘は一貫してSD事業部の手によって行われて要るからです。
SDのコンテストで入賞するとレーコード会社の「育成アーティスト」になります。
これは尾崎豊以前からずっとSONYのアーティストが経験する作業です。
カステラやその前年のX(エックス)等はバンドとして完成していたのでこの手順は踏んでいませんが
ソロアーティストは例外なく育成期間があります。
つまり久保田さんはメジャーデビューが約束されていながらその話を「蹴った」と言う事になります。
当時すでに御結婚されていて不安定な音楽の世界には飛び込めなかったのでしょう。
男の決断でかっこいい話だと思いました。
今なら結婚とデビューを分けて考えられますが当時の音楽業界の状況では少し難しかった
であろう事は僕も理解できました。
結果的にはメジャーデビューしていなくても久保田義雄さんの楽曲は今でもキチンと
僕等の町に残っています、やっぱり良いですよ久保田さんの曲は。
僕は毎日そんな曲に囲まれて暮らしているので本当に幸せだと思います。
モチロン皆さんにもそんな曲をお届しますよ、これからゆっくりとねっ!
書こう書こうとは思うのですが中々書けません、理由はひとつ。
僕は久保田義雄さんに会った事無いです‥
森秀一さんもじかに話した事はないですがコンサートや音源で声を聴いていたし
顔を覚えていたので何とか書けましたが「南風の久保田さん」は楽曲でしか知りません。
顔を知らない人の紹介をするのがこんなに難しいとは思いませんでした‥
リードギターの一藤(いっとうさん)さんとは高校時代に1、2度あった事があります。
「南風」の曲が好きな事を話して、気に入って頂けたのかギターのピックか何か
貰った記憶があります、一藤さんは中々迫力のある?方でした。
ぶっちゃけ、当時の音楽をやっていた人間は各高校の顔見たいなポジションと言うか
目立った位置にいましたので一般の?学生からは少し離れていたかも知れません。
僕がこのブログを本名で書かないのは業界向けの事ともう一つ「若気の至り」で
少し一般の高校生から離れていた所にいたからです。
当時の僕を知っている人には余り良いイメージがあるとは思えませんので
あえてネットネームで書いています。
そんな僕が南風の皆さんを「恐がっていた」と言うのは僕以上に迫力を感じていたからです。
松田からのデーターによると久保田義雄さんは当時のCBS/SONYのコンテストで
グランプリを取られているそうです。
SONYはまっ、僕のバンド「カステラ」も所属していましたし、発掘の部門SD事業部との関わりは
何回かブログで書きました。
おそらく久保田さんはSD関係のコンテストでグランプリを取られている筈です。
と言うのは当時の、今でもかSONYの発掘は一貫してSD事業部の手によって行われて要るからです。
SDのコンテストで入賞するとレーコード会社の「育成アーティスト」になります。
これは尾崎豊以前からずっとSONYのアーティストが経験する作業です。
カステラやその前年のX(エックス)等はバンドとして完成していたのでこの手順は踏んでいませんが
ソロアーティストは例外なく育成期間があります。
つまり久保田さんはメジャーデビューが約束されていながらその話を「蹴った」と言う事になります。
当時すでに御結婚されていて不安定な音楽の世界には飛び込めなかったのでしょう。
男の決断でかっこいい話だと思いました。
今なら結婚とデビューを分けて考えられますが当時の音楽業界の状況では少し難しかった
であろう事は僕も理解できました。
結果的にはメジャーデビューしていなくても久保田義雄さんの楽曲は今でもキチンと
僕等の町に残っています、やっぱり良いですよ久保田さんの曲は。
僕は毎日そんな曲に囲まれて暮らしているので本当に幸せだと思います。
モチロン皆さんにもそんな曲をお届しますよ、これからゆっくりとねっ!
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