ぼけ~っと‥
煙草咥えてぼけ~っとチャンスについて考えました。
人生には誰でもチャンスが訪れます、ただそれをものに出来るかどうかは人によって違うし、
「運」が左右する面が多々あります。
By DucDigital
‥CCSのロゴってこうやって使うのが正しいのですね、今頃知りました、遅い?
で、毎度々で申しわけありませんが身近な人の話です、ええ橋田と松田、田んぼの
2人のチャンスについての話です。
橋田と松田は高校時代に組んだ「田んぼ」の成長と供に音楽にのめり込み自分の生活の
一部として音楽と向き合う様になります。
そしてその後の音楽のチョッとしたチャンスとの結果で音楽人生が少し違ったものになっています。
橋田にとっては余り耳触りの良くない話だと思いますが、彼等の音楽の時間を共有した者として
此処で少しその事に触れて見たくなりました。
橋田とは21~22歳の頃に東京は下北沢の駅のホームで再開した話を以前書きました。
橋田は親父さんの許可を得て期間限定での音楽へのチャレンジでした。
橋田は農家の長男なのでどうしても「家」と言うものが人生にのしかかります。
これは重いです、数千のバンドのライブを手掛けた人間としてそこの所は良く分かっています。
この時期の橋田の行動で僕が橋田をグレイト!と思った事がひとつあります。
橋田はチャンスをものにする為にギター1本だけ持って「オラの歌を聞いてくれ!」と
レコード会社を訪ねます。
すげぇ!、僕はこの話を橋田から聞いて何たる行動力かつ、田舎者だろうと思いました。
でも、この勇気は本物の男の行為です、僕が今現在でも橋田を少し?尊敬しているのは
この時の話が強烈だったからです。
結果ある新興のレコード会社のディレクターの目に止まるのですが残念な事にこの
レコード会社は倒産してしまいます、まだ橋田がデビューする前に‥
その後僕と組んで曲を作ったりバンドを組んでライブをやったりしていたのですが
何時の間にか下北沢の「ぴあぴあ」で酒ばかり飲むようになって橋田のチャレンジは
終り土佐へ帰る事になります、不完全燃焼です。
そしてそれは僕の作詞家としての才能の限界であり僕も作詞家としては不完全燃焼のまま
音楽と向き合う様になります、ビジネスとしての音楽です。
by:miyukiutada
で、ビジネスとしての音楽である程度成功?してインディビジュアルレコードをソニーの
SD事業部と始めた頃にふと気がつきました。
「あっ、今の俺なら大抵の事は出来る」と、それで丁度30代になった頃なので30代に
なった人間の歌をコンセプトに曲作りをしたくなりました。
また、今まで知り合った音楽仲間の曲を世に出してやりたいと言う気持ちもありました。
僕は知り合いの才能たちの幾つかに連絡をし音源を聴きます、結構大変でした。
会える奴には会ってから企画を話し音源を貰いましたので‥
当然松田と橋田にも声をかけました。
で、今日の本題はここです、この時に松田はまだ新しい曲を作り続けていたのです。
橋田は残念な事に新曲を作っていませんでした。
そして松田の音源の中の一曲のオオサビにあった「フランケンシュタイン」のメローディーに
ピンと来るものがありました。
すぐに松田に電話しこの曲の歌詞をオオサビのフランケンシュタイン以外全部差し替えていいか?
と言う連絡です、松田は気さくな性格ですから「かまん、かまん」と即OKをくれました。
コンセプトは幼い時に兄貴と手をつないで夕焼けの中で親父を待っていた記憶に
夕日に延びた長い影がフランケンシュタインの様に見えた、と言う郷愁の歌詞です。
この話をプロの作詞家で昔の仲間の「小林まさみ」さんに話して作詞をして貰いました。
結果は僕の思った以上の出来で大満足し、早速松田に歌入れをしたテープを送ってもらい
最後のプレゼンにかけます、此処までは僕の独断で出来ますがSD事業部との業務提携なので
最後の発売に関してはSD側の部長の決裁が必要だったからです。
そしてその結果は「星空とフランケンシュタイン」と言うシングルCDとして形になりました。
松田浩二は僕の思い付きの企画を全てクリアして勝ち抜きました。
これは僕にも凄く嬉しい思い出になってます、浩二が休まずに作曲していた結果で
掴み取ったチャンスです、この時に改めて松田の事を凄い奴だと思いました。
随分長いブログになりました、最後まで読んでくれた方ありがとうございます。
ここで最後の最後に橋田昭和の才能についてふれます。
彼はヴォーカリストとして本物の才能を持っています、しかしその音楽人生は
少し不完全燃焼の部分があると僕は思います、だからこのレーベルで何とかあの時に
出来なかった事を橋田と一緒にチャレンジしてみたいと思っています。
だから、橋田昭和!酒ばかり飲んでないで曲をかけ、歌を歌え。
これ以上酒でキーを下げるな、松田を見習え、酒を飲んでもキーは下がらんぞ!
と言う事をこれから橋田さんに対して言い続けていきます、ありがとうございました。
煙草咥えてぼけ~っとチャンスについて考えました。
人生には誰でもチャンスが訪れます、ただそれをものに出来るかどうかは人によって違うし、
「運」が左右する面が多々あります。
By DucDigital
‥CCSのロゴってこうやって使うのが正しいのですね、今頃知りました、遅い?
で、毎度々で申しわけありませんが身近な人の話です、ええ橋田と松田、田んぼの
2人のチャンスについての話です。
橋田と松田は高校時代に組んだ「田んぼ」の成長と供に音楽にのめり込み自分の生活の
一部として音楽と向き合う様になります。
そしてその後の音楽のチョッとしたチャンスとの結果で音楽人生が少し違ったものになっています。
橋田にとっては余り耳触りの良くない話だと思いますが、彼等の音楽の時間を共有した者として
此処で少しその事に触れて見たくなりました。
橋田とは21~22歳の頃に東京は下北沢の駅のホームで再開した話を以前書きました。
橋田は親父さんの許可を得て期間限定での音楽へのチャレンジでした。
橋田は農家の長男なのでどうしても「家」と言うものが人生にのしかかります。
これは重いです、数千のバンドのライブを手掛けた人間としてそこの所は良く分かっています。
この時期の橋田の行動で僕が橋田をグレイト!と思った事がひとつあります。
橋田はチャンスをものにする為にギター1本だけ持って「オラの歌を聞いてくれ!」と
レコード会社を訪ねます。
すげぇ!、僕はこの話を橋田から聞いて何たる行動力かつ、田舎者だろうと思いました。
でも、この勇気は本物の男の行為です、僕が今現在でも橋田を少し?尊敬しているのは
この時の話が強烈だったからです。
結果ある新興のレコード会社のディレクターの目に止まるのですが残念な事にこの
レコード会社は倒産してしまいます、まだ橋田がデビューする前に‥
その後僕と組んで曲を作ったりバンドを組んでライブをやったりしていたのですが
何時の間にか下北沢の「ぴあぴあ」で酒ばかり飲むようになって橋田のチャレンジは
終り土佐へ帰る事になります、不完全燃焼です。
そしてそれは僕の作詞家としての才能の限界であり僕も作詞家としては不完全燃焼のまま
音楽と向き合う様になります、ビジネスとしての音楽です。
by:miyukiutada
で、ビジネスとしての音楽である程度成功?してインディビジュアルレコードをソニーの
SD事業部と始めた頃にふと気がつきました。
「あっ、今の俺なら大抵の事は出来る」と、それで丁度30代になった頃なので30代に
なった人間の歌をコンセプトに曲作りをしたくなりました。
また、今まで知り合った音楽仲間の曲を世に出してやりたいと言う気持ちもありました。
僕は知り合いの才能たちの幾つかに連絡をし音源を聴きます、結構大変でした。
会える奴には会ってから企画を話し音源を貰いましたので‥
当然松田と橋田にも声をかけました。
で、今日の本題はここです、この時に松田はまだ新しい曲を作り続けていたのです。
橋田は残念な事に新曲を作っていませんでした。
そして松田の音源の中の一曲のオオサビにあった「フランケンシュタイン」のメローディーに
ピンと来るものがありました。
すぐに松田に電話しこの曲の歌詞をオオサビのフランケンシュタイン以外全部差し替えていいか?
と言う連絡です、松田は気さくな性格ですから「かまん、かまん」と即OKをくれました。
コンセプトは幼い時に兄貴と手をつないで夕焼けの中で親父を待っていた記憶に
夕日に延びた長い影がフランケンシュタインの様に見えた、と言う郷愁の歌詞です。
この話をプロの作詞家で昔の仲間の「小林まさみ」さんに話して作詞をして貰いました。
結果は僕の思った以上の出来で大満足し、早速松田に歌入れをしたテープを送ってもらい
最後のプレゼンにかけます、此処までは僕の独断で出来ますがSD事業部との業務提携なので
最後の発売に関してはSD側の部長の決裁が必要だったからです。
そしてその結果は「星空とフランケンシュタイン」と言うシングルCDとして形になりました。
松田浩二は僕の思い付きの企画を全てクリアして勝ち抜きました。
これは僕にも凄く嬉しい思い出になってます、浩二が休まずに作曲していた結果で
掴み取ったチャンスです、この時に改めて松田の事を凄い奴だと思いました。
随分長いブログになりました、最後まで読んでくれた方ありがとうございます。
ここで最後の最後に橋田昭和の才能についてふれます。
彼はヴォーカリストとして本物の才能を持っています、しかしその音楽人生は
少し不完全燃焼の部分があると僕は思います、だからこのレーベルで何とかあの時に
出来なかった事を橋田と一緒にチャレンジしてみたいと思っています。
だから、橋田昭和!酒ばかり飲んでないで曲をかけ、歌を歌え。
これ以上酒でキーを下げるな、松田を見習え、酒を飲んでもキーは下がらんぞ!
と言う事をこれから橋田さんに対して言い続けていきます、ありがとうございました。